『ほの蒼き瞳』 “Pale Blue”とはどんな色?

外国映画

原作はルイス・ベイヤードの小説『陸軍士官学校の死』

脚本・監督は『ファーナス 訣別の朝』『ブラック・スキャンダル』などのスコット・クーパー

原題は「The Pale Blue Eye」。

一部劇場でも公開されているが、Netflixにて1月6日から配信中。

物語

1830年のある冬の日。米ニューヨーク州ウェストポイントの陸軍士官学校で、ひとりの士官候補生が、心臓がくり抜かれた死体となって発見される。学校の体面に傷がつくことを恐れた幹部たちは、事件をひそかに調査するため、引退していた地元の元刑事オーガスタス・ランドーに真相解明を依頼する。調査を進める中でランドーは、詩を愛する風変わりな士官候補生のエドガー・アラン・ポーと出会い、2人で事件の真相に迫っていくが……。

(「映画.com」より抜粋)

猟奇的殺人とポー

原作の『陸軍士官学校の死』は日本でもミステリーの「ベスト10」などにも選ばれるほど評価された本らしい。原作未読者としてはそちらに関しては何とも言えないけれど、映画を観た感想を正直に言えば、ミステリーとしてはツッコミどころも多い気もする。しかしながら白い雪景色の中にブルーの陸軍士官学校の制服が映える暗いイメージは良かったんじゃないかと思う(これに関してはレビュー後半で触れる)。

『ほの蒼き瞳』の主人公オーガスタス・ランドー(クリスチャン・ベイル)は、心臓がくり抜かれるという猟奇的な殺人事件の捜査にあたることになる。おもしろいのはランドーの助手のような役割で活躍することになるのが、あのエドガー・アラン・ポーハリー・メリング)だというところだろう。本作はもちろんフィクションだが、作家として活動する前のポーが陸軍士官学校にいたことは事実らしい。

ポーは「モルグ街の殺人」を書いたことにより、推理小説の元祖ともされる人だ。そんなポーがまだ若かりし時代の士官候補生だった時に、ある事件の解決に関わる仕事をすることになるわけで、本作はポーのキャリアの始まりを描くような物語になっている。

ポーはディケンズの小説 『バーナビー・ラッジ』の最初の部分を読み、その小説の結末部分を言い当てたとされる。これは有名なエピソードだ。ディケンズはポーのことを「悪魔のような男だ」と言ったとされるようだが、それほどポーという人は切れ者だったということになる。

本作でもポーは、ランドーが謎かけのようにしてポーに任せることになった手紙の切れ端から、その手紙の全体像を見事に推理することになる。しかしながらランドーもさる者で、ポーと同じ結末にたどり着いていたらしいことも判明する。本作はそんなふたりの活躍によって意外にも呆気なく犯人が判明することになる。

※ 以下、ネタバレあり!

Netflix作品『ほの蒼き瞳』 1月6日より配信中

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オカルトとその先の何か

以下はネタバレだが、首吊りをした男の心臓をくり抜くような猟奇的なことをしたのはオカルト的な儀式に基づくもので、それは最初に遺体を検死した医師(トビー・ジョーンズ)とその家族が犯人だったということになる。医師の娘リア(ルーシー・ボーイントン)は病で瀕死の状態にある。医師は自分の力ではそれをどうすることもできず、リアの兄(ハリー・ローティー)や母親(ジリアン・アンダーソン)など家族が一丸となってオカルト的儀式を一縷の希望とし、それによってリアを救おうとしていたのだ。

ポーは美しいリアに入れあげてしまい、彼女のためなら「何でもする」という犠牲の精神を発揮し、自らの心臓を提供しようというところをランドーが助けに入り、間一髪で事なきを得る。しかし本作はその先にどんでん返しが待っている。

確かに医師家族は遺体から心臓をくり抜いたし、オカルト的儀式に救いを見出していたのだが、そのために殺人までは犯していなかったというのがポーがたどり着いた結論だ。つまりは別の犯人が士官候補生を殺し、それを医師の家族たちが横取りする形で心臓をくり抜いたというのが真相だ。

そして、そのもうひとりの犯人というのが、実はその事件を捜査していたランドー自身だったのだ(ランドーは真犯人だったからこそ、切れ者ポーよりも事件の真相を知り得たわけだ)。ランドーは娘を士官候補生の男たちにレイプされ、その復讐のために殺人に手を染めていたのだ。その遺体をたまたま横取りしたのが医師の家族であり、たまたま陸軍士官学校から捜査を依頼されたのがランドーだったということになる。

こんなふうに二重に偶然が重なっている点で、本作はミステリーとしてはツッコミどころが多いということになるのかもしれないのだが、本作の眼目としては“死”に囚われた男たちを描くということにあったようにも感じられ、その意味ではどんでん返しの部分はあまり重要な要素ではないようにも感じられた。

Netflix作品『ほの蒼き瞳』 1月6日より配信中

“Pale Blue”とはどんな色?

原題は「The Pale Blue Eye」というものだ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲にも「Pale Blue Eyes」という曲もあったけれど、本作のタイトルはエドガー・アラン・ポーが劇中でリアに贈った詩から来ているということなのだろう。

ポーには「レノア」という詩があるそうで、劇中でも「レノアとはリアのことだ」とも語られていて、後に出版されることになる「レノア」という詩が生まれた瞬間ということになるのだろう。ちなみにこの「レノア」という詩は若くして亡くなった女性についてのものとされていて、その詩の中で“Pale Blue Eye”という言葉が使われている。

また、IMDBに書かれているトリビアでは、ポーの短編小説「告げ口心臓」にも“Pale Blue Eye”という言葉が使われているとされている。この小説の主人公は“Pale Blue Eye”を持つ老人のことを愛しているにも関わらず、その眼が主人公の方へと向けられることが彼を老人殺害へと導くことになる。

そもそも“Pale”という言葉だけで“青白い”という意味になるようだが、この“Pale”は新約聖書のヨハネの黙示録において“pale horse”という形で使われている。この馬に乗っているのは“死”とされていて、クリント・イーストウッド『ペイルライダー』もここから採られている。つまりは“Pale”というのは“死”をもたらすようなイメージの言葉だということなのだろう。

Netflix作品『ほの蒼き瞳』 1月6日より配信中

本作において謎を真に解決したのはポーということになるけれど、主人公はあくまでランドーということになるのだろう。ランドーは医師の娘リアが病であることを知ると、医師がオカルト的儀式に手を貸していることを見破る。それはランドーも医師と同様に、娘の死に囚われていたからだろう。医師は迫り来る娘の死に抵抗しようとし、ランドーは娘の死をもたらすことになった事件に執着する。二人は共に、娘のためにどんなことでもしてしまうような状況に追い込まれていたのだ。

ランドーは医師に向かって「罪なき人を殺すのは許されない」などと訴えるのだが、ランドーが殺したのはレイプ犯だから許されると考えていたわけではないだろう。ランドーも自分がやっていることが許されないと知りつつも、それ以外の道はなかったというところがランドーの悲劇ということなのだ。

本作の冒頭は靄のかかった中にうっすらと人影が映るシーンとなっている。このブルーグレーとでも言うべき印象的な色合いこそが“Pale Blue”だったのかもしれない。実はこのシーンをもう一度観直すと、そこに映っているのは、最初に首吊りをして発見された男の姿であることがわかる。この繊細な色合いは劇場で観たほうが良かったのかもしれないけれど、多分一度観ただけではそれが“何か”はわからないだろう。配信サービスのNetflixだからこそ、冒頭に戻って改めて確認することができたとも言える。

本作は『ファーナス 訣別の朝』と同じで監督スコット・クーパー、撮影監督マサノブ・タカヤナギという布陣になっている。本作において製作陣が力を入れていたのは、ミステリー的な謎解きよりもこの“Pale Blue”のイメージだったように思えた。『ファーナス 訣別の朝』の撮影も良かったのだけれど、本作の“死”をイメージさせるような“Pale Blue”の色合いも素晴らしかったと思う。

ポーを演じたハリー・メリングは、その神経質そうな感じがピッタリとはまっていたように思えるし、シャルロット・ゲンズブールティモシー・スポールロバート・デュヴァルなど脇役が豪華なのも見どころかもしれない。

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