『魔女がいっぱい』 子供たちへのメッセージ

外国映画

 

原作は『チャーリーとチョコレート工場』などのロアルド・ダールの児童文学。

監督は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズなどのロバート・ゼメキス

魔女は子供が大嫌い

魔女は実在する。ごく普通の人間のフリをして、どこの町にでも魔女は潜んでいる。そんな話を誰かが子供たちに聞かせている場面から本作は始まる。

魔女はなぜか子供たちのことが大嫌いで、子供たちをハイヒールで踏み付けにすることが何よりも大好きなのだ。そして、魔女たちの親玉である大魔女グランド・ウィッチ(アン・ハサウェイ)はある計画を実行しようとしていた。

(C)2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.

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グランド・ウィッチの計画

姿を見せないナレーターは、魔女に出会った話として、自分の子供の頃の話を始める。主人公のぼく(ジャジール・ブルーノ)は8歳のクリスマスに両親を事故で亡くし、おばあちゃん(オクタヴィア・スペンサー)の家に引き取られる。茫然自失の状態のぼくをおばあちゃんは励まし、楽しく日々を過ごすようになるのだが、そこに襲い掛かってきたのが魔女の恐怖だった。

おばあちゃんはかつて親友がニワトリにされたところを見ていて、魔女がどれだけ恐ろしいかを知っていたのだ。魔女はハゲ頭でカツラを被っていて、頭皮は出来物だらけでボロボロ。足の指は欠損していて、手はかぎ爪になっている。鼻の穴は子供の匂いを嗅ぐときには急に大きくなる。

そんな魔女が近づいていることを知ったぼくとおばあちゃんは、ある高級ホテルへと逃げ込むのだが、そこは魔女たちがある計画を実行するために集まっていた場所だった。グランド・ウィッチは魔女たちにそれぞれの町に帰ってお菓子の店をオープンさせ、そこで売るお菓子に「ネズミニナール」という薬を仕込み、世界中の子供たちをネズミに変えてしまう計画を立てていたのだ。たまたまその計画を知ってしまったぼくは、何とか計画を阻止しようとするのだが……。

※ 以下、ネタバレもあり!

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悪ノリのアン・ハサウェイ

ほとんど何の情報もなしに「ロバート・ゼメキスだし、久しぶりの大作みたいだし」と思って選んだ作品なのだが、最初にビックリさせられるのは魔女のビジュアルだろうか。

グランド・ウィッチを演じるのがアン・ハサウェイで、いかにもオシャレな服に身を包んでいるのを見ると、『メリー・ポピンズ』みたいな魔女のイメージしか思い浮かばなかったのだが、実際にはほとんど化け物みたいな見た目だからだ。グランド・ウィッチは口が裂けていて、ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーのようなコミカルな不気味さなのだ。

子供が大嫌いというグランド・ウィッチは、世界中から子供たちを消し去ろうとしている狂気の持ち主で、アン・ハサウェイは滅多にやる機会のない悪役を演じることを存分に楽しんでいる。CGが手助けしている部分はあるものの、半ば悪ノリといった感じのビジュアルは子供が見たらトラウマかもしれない。

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意外なラスト

黒人少年として登場した主人公のぼくは、中盤でグランド・ウィッチに「ネズミニナール」を耳に注入され、あえなくネズミにされてしまう。友達の食いしん坊のブルーノもネズミにされ、もともとぼくのペットだったネズミのデイジーも合わせた3匹は、魔女たちに踏み付けにされそうになりながらも逃げ回り、グランド・ウィッチの計画を阻止しようと奮闘することになる。

ネズミたち3匹がホテルの中を走り回る後半は、『スチュアート・リトル』みたいでかわいいらしいし、アクションとしても楽しめる。その意味でも本作は子供向けの作品なのだが、意外だったのは3匹の大活躍でグランド・ウィッチを退治したものの、結局は3匹がネズミのまま大団円を迎えるというところ。

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子供たちへのメッセージ

ちなみに本作は過去に一度映画化されている。『ジム・ヘンソンのウィッチズ/大魔女をやっつけろ!』というタイトルで、日本では劇場未公開とのこと(DVDなども発売されていないらしい)。しかし、この作品に関しては、原作者のロアルド・ダールはラストが気に入っていなかったらしい。というのも『ジム・ヘンソンのウィッチズ』では、ラストでネズミだった主人公が人間に戻ることになっているからだろう。

一方で本作『魔女がいっぱい』は、ラストが原作に忠実になっているのだとか。つまりは原作者とすれば、ラストはネズミのままでなければいけないということなんだろう。

ぼくがネズミにされてしまった時、人間に戻る方法を模索するのだが、結局それは見つからない。ぼくが飼っていたデイジーも実は元は人間の女の子だったこともあり、私自身はラストで人間に戻ってそのかわいらしい姿を見せてくれるのかと予想していたのだがそれも叶わず、3匹のネズミはネズミのままで終わってしまうのだ。

ただ、原作者が子供たちに向けて言いたかったことは、そこにこそあるのだろう。ぼくが8歳で両親を亡くし、愕然としていた時、それを励ましたのはおばあちゃんだった。「神様がなさることは時に不可解で不公平だけれども、それを受け入れていかなければならないよ」。そんなふうにおばあちゃんは語るのだが、それこそが原作者が子供たちに伝えたかったメッセージなのだろう。

だから『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいにタイムトラベルして過去を変えたりもできないし、死んでしまった人間が生き返ることもないし、ネズミにされてしまったことも受け入れなければならない。ラストでは物語を語り始めたナレーターの姿が初めて登場する。それはネズミになって老いたぼくの姿で、ネズミのぼくは未だにおばあちゃんと一緒に魔女退治に精を出しているのだ。

人間がネズミに変身させられるのも、子供嫌いの魔女の存在もファンタジーだけれど、メッセージはリアルな世界を生きるための真っ当な智慧と言ってもいいかもしれない。

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