『浜の朝日の嘘つきどもと』 映画館は必要か?

日本映画

『百万円と苦虫女』『ロマンスドール』などのタナダユキ監督の最新作。

本作は2020年10月に放映されたテレビドラマの前日譚とのこと。本作の最後にテレビドラマへとつながるエピソードがあり、映画から入っても特段問題ない内容になっている。

物語

福島県南相馬市にある映画館「朝日座」。10年前の震災に続き、今度は新型コロナの騒動もあり、さすがに経営難に陥った支配人は100年続いた映画館をやめる決意をする。意を決して「朝日座」初めての上映作品である『東への道』(D.W.グリフィス監督)のフィルムを燃やしていたところ、突然見知らぬ女の子が現われ、潰れてもらっては困ると言い出し突っかかってくる。

茂木莉子と名乗った女の子は、支配人の戸惑いもそこそこに勝手にその場を仕切り始め、すでに解体が決まっている映画館を救うためにあれこれと動き出すことになるのだが……。

もぎりの女の子?

突然現われて映画館を救済するなどと勝手なことを言い出す茂木莉子。もちろんこれは偽名で、本名は浜野あさひ(高畑充希)と言う。実はこの不可解な行動はある人の遺言によるものだった。

あさひは映画に辛い時期を救われたところがあり、そのきっかけを与えてくれたのが田中茉莉子先生(大久保佳代子)だ。10年前の東日本大震災の時、南相馬は甚大な被害に見舞われた。あさひは震災の被害は逃れたものの、その後に人生が狂っていくことになる。

タクシーの運転手をしていたあさひの父(光石研)は、震災をきっかけに原発事故の復旧作業員を運搬するための会社を経営することに。これは「誰かがやらなければならない仕事」という思いからだったのだが、それが莫大な利益をもたらしたと噂になり、地域社会で総スカンを喰らうことになったのだ。しかもその会社の名前は「浜野朝日交通」というもので、あさひの名前“全部入り”ということで、あさひ自身もその影響を受けることになってしまう。

そんな時に屋上で死にそうな顔で佇んでいたあさひを見咎めたのが茉莉子先生だった。それからあさひは茉莉子先生から薫陶を授かり映画好きとなったわけだ。そんな先生の遺言が朝日座の再建というものだったのだ(遺言というと堅苦しいが大久保佳代子のキャラもあって湿っぽくならず、先生の最期の言葉には吹き出してしまう)。

(C)2021「浜の朝日と嘘つきどもと」製作委員会

半分は暗闇を見ている

この設定にはかなり無理がある。茉莉子先生と朝日座という映画館の関係は途中まで不明になっているので、支配人の森田保造(柳家喬太郎)と茉莉子先生が親子だったりするのかと予想していたのだが、茉莉子先生は単なる客だ。支配人の組むプログラムに文句を言ってきた変な客として、支配人の記憶には残っていたようだが……。映画と映画館が好きな人たちを描く人情喜劇として強引に押し切ったところは否めないわけだが、やはり映画好きとしては観ていて楽しくなる部分がある。本作には様々な映画が引用されるからでもあるし、映画についての映画でもあるからだ。

あさひも映画によって救われたわけだが、茉莉子先生も自分がフラれると必ず『喜劇 女の泣きどころ』(瀬川昌治監督)を観て同じところで泣くことが習慣になっている。先生にとっては映画はなくてはならないものなのだ。その先生曰く、映画はフィルムで観る時、実は半分は暗闇を見ていることになる。フィルムはその形状の都合で1コマと1コマの間には暗闇が混じることになるからだ。それでも人間の目には残像現象というものがあるらしく、それによって観客はフィルムに映っているものが動いているように見えるようになるのだとか。

そんなわけで映画好きな人たちは、半分は暗闇を見続けていることになる。だから映画好きにはネクラが多い。そんな説を茉莉子先生はあさひに聞かせるのだ。一概にそんなことは言えないと思う人もいるのかもしれないけれど、個人的には納得してしまうところがある。明るい日差しや人混みを避けるようにして映画館の暗闇ばかりを求める物好きとしては‥‥。

(C)2021「浜の朝日と嘘つきどもと」製作委員会

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不要不急の最たるもの

『浜の朝日の嘘つきどもと』は映画愛、映画館愛に満ちた話となっているのだが、それほど単純で能天気なものでもない。舞台となっているのは福島の南相馬という場所だ。かつて震災があり、今もコロナ禍が続いている。一時期盛んに言われたように、そんな緊急事態の時には不要不急のことは後回しにすべきだということになる。

支配人の兄弟は支配人とは対照的に米農家をしていて、生きるために必要な米を作っていたという設定。生きるためには食べなくてはならないわけで、必要とされるべき仕事が優先されるのは当然なのかもしれない。それに対して映画はまったく腹の足しにはならない。生きていくためには何の役にも立たないとも言えるかもしれない。

だから朝日座の跡地を買い取るつもりだった会社から横槍が入った時、あさひは反論することができない。映画館を再建するよりも、そこを温泉施設にして、2階にはリハビリセンターを併設する。そうすればもっと多くの人の憩いの場所となる。そんなふうに必要性を問われると、無駄なものとも言える映画館を擁護することなど言えなくなってしまうのだ。

(C)2021「浜の朝日と嘘つきどもと」製作委員会

それでもやはり……

それでは映画館などなくなってしまっていいのか? そんな問いに対して、「いや、そんなことはない」と、この映画は示してくれる。震災の際も「家族の絆」が盛んに言われたし、コロナ禍においてもなかなか会うことができない家族に思いを馳せることもあるだろう。しかし、家族というのは本当に頼りになるだろうか?

あさひは震災をきっかけに家族離散の状態にある。父親は仕事のことで地域で評判を落とし、母親は放射能に対するノイローゼなのか、あさひに対してはつらくあたることもあったようだ。もちろん家族が拠りどころとなり、頼るべき最後の場所だという人も多いだろう。しかしそうでない人も少なからずいる。家族が足かせになる人もいるだろうし、DVの温床となったりもする。「家族って素晴らしい」というのは実は幻想なんじゃないか。しかしながらその一方では、人間はそんな幻想に縋りたいものなんじゃないか。

ここで強調したいのは家族が幻想という部分ではなく、幻想というものに縋らなくては生きていけない人間のほうだろう。現実を生きていくのは大変だ。常に現実というものに直面してばかりでは参ってしまうだろう。そんな時に縋るのが何かしらの幻想なのだ。もしかしたらそれは嘘っぱちなのかもしれないけれど、それでも人を癒してくれるような何かがある。

家族が幻想かどうかはともかくとして、映画というフィクションは当然ながら幻想だ。すべては嘘なわけだから。それでも人はそうした何かに縋らなければ生きていけないものなのだ。だからこそ映画館があったっていいじゃないか。そんなふうに控えめで遠慮がちながらも映画愛を謳うことになるのだ。

(C)2021「浜の朝日と嘘つきどもと」製作委員会

これではという1本

茉莉子先生が朝日座の支配人に非難を浴びせていたのは、映画館自体はいいのにも関わらず、支配人の選ぶプログラムがデタラメで客を困惑させているという点だった。劇中では『トト・ザ・ヒーロー』(ジャコ・ヴァン・ドルマル監督)の併映として『怪奇!!幽霊スナック殴り込み!という組み合わせに文句をつけている。

ちなみに『トト・ザ・ヒーロー』はタナダユキ監督が一時期映画を辞めようかと悩んでいた時に観て感激した作品だとか。そして、もう一本の『怪奇!!幽霊スナック殴り込み!』は、タナダユキ自身が主演を務めた杉作J太郎監督作とのこと。

確かにこの組み合わせは困惑するかもしれない(杉作J太郎監督作は観てないけれど)。その後茉莉子先生が推薦したプログラムは成瀬巳喜男監督の『浮雲』『驟雨』だった(記憶違いでなければ)。この組み合わせはかつて銀座の名画座・並木座でやっていたようなオーソドックスだけれど人気がある組み合わせと言える。

私自身も『トト・ザ・ヒーロー』は大好きな作品だ。当時どこかの名画座で観たように記憶している。今でもラストであの「Boum」という曲がかかるだけで泣けてしまう気がする。映画ファンなら誰にでもそんな1本があるのだろうし、映画についての映画でそんな作品が取り上げられると妙に嬉しくなる。

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