『淵に立つ』『海を駆ける』などの深田晃司監督の最新作。
主演は『淵に立つ』の筒井真理子。
ふたりの女?
ヘアカットにやってきたリサ(筒井真理子)は初めての店にも関わらず、米田(池松壮亮)を指名する。「どこかでお会いしましたか」という米田の問いには、「亡くなった夫と同じ名前なので懐かしくて」などと答えるのだが、リサの米田を見つめる目はどこか異常なものが感じられる。
次の場面では市子(筒井真理子)と呼ばれる女性が訪問介護の仕事をしている。どちらも筒井真理子が演じるリサと市子という女性は、同じ女性に見えるのだがなぜ別の名前を名乗っているのか?
時間軸のズレ
米田に近づくリサと、訪問介護の仕事に励む市子、『よこがお』ではこのふたつのエピソードが同時進行で描かれていく。
私は事前の情報で「復讐」ということがテーマになっていることをぼんやりとは知っていたから、ふたりの関係に時間軸のズレがあることに何となく気づいたのだが、ちょっと混乱する観客もいるのかもしれない。
一応、ヒントはある。リサがヘアサロンに現れたとき、リサは口を大きく開けるポーズをしていた。実はそのポーズは市子が訪問介護の仕事しているときに教わったものであることが示されている。つまりは市子のエピソードは時系列で言えば「過去の出来事」にあたり、リサは「現在」ということになる。何らかの出来事が起き、市子はリサに姿を変えなくてはならなかったということだ。それは一体何なのか?
タイトルの「よこがお」は、こうした人間の二面性を指しているようだ。「よこがお」で見えているのは顔の半面だけで、もう半面は反対側で見ることができない。市子という女性は彼女の半面でしかなく、リサという女性にもう半面が現れているのだ。
きっかけとなった出来事
市子がリサとなったのにはひとつの出来事が関わっている。市子が訪問介護の仕事で訪れていた大石家の次女・サキ(小川未祐)の誘拐事件だ。市子と大石家はとても良好な関係にあり、介護されるおばあさん(大方斐紗子)からの信頼も厚い。長女・基子(市川実日子)とサキも一緒になって、市子と勉強に励んだりもしている。しかし、たまたますれ違うことになった市子の甥・辰男(須藤蓮)が、サキを誘拐したものだからトラブルに……。
ここで事態を厄介にしてしまったのが基子の存在だ。基子は引きこもりぎみで、市子を外の世界とのつながりとして執着しているようだ。そこには自分も介護の仕事に就きたいという市子に対しての憧れもあるのだが、それ以上の同性愛的なものも感じる。
だから誘拐事件で市子が身を退こうとしたのも基子に引き止められてしまうことに。そうなると市子の側にも打算があって、バレなければ問題ないとして済ましてしまう(このあたりは市子を単なる無関係な被害者とは言い難くしているようでもある)。しかし、事件がマスコミに大きく取り上げられることで、市子はあたかも犯人であるかのように追われることになる。
メディアスクラムと音の効果
今回の「加害者の関係者」がマスコミに追われるという状況は異常過ぎるのかもしれないのだが、昨今のメディアの様子を見ていると満更嘘でもないのかも……。某タレントの闇営業に端を発した問題では、タレントの嘘が最初にあったこともあり、誰の証言が本当なのかよくわからない。雑誌社側は反社会的勢力側の証言をそのまま載せているようだが、その情報の信憑性もあやしい。
劇中でも、基子は市子から聞いた話に尾ひれをつけてメディアに暴露したことで、市子は「加害者の関係者」から「加害者にトラウマを与えた人物」になってしまう。事件のきっかけをつくった張本人にされてしまうのだ。
われわれ情報を受け取る側としては、こうした情報は話半分で聞かなければいけないのかもしれないのだが、流されている情報の真偽をいちいち確かめていることもできないわけで、誰かを傷つけるかもしれない情報が垂れ流されていても、何となくそれを消費してしまうことになる。
その意味では本作の暴力的とも言える音の使い方は効果的だった。視覚は目を閉じればシャットダウンできるが、聴覚は完全にはシャットダウンすることは難しい。マスコミを避けて家に閉じこもることはできても、インターホンを鳴らす音が市子を追い詰めていくし、群れとなるマスコミの顔は無個性なものだが、市子を問い質す声は鋭く響いてくるからだ。
曖昧な場所
すべてを奪われた市子は、リサと名前を変えて基子の彼氏である米田に近づき、米田を奪うことによって復讐するということになる。ただ、この復讐は何とも他愛のないもの。米田とセックスをしたリサはその証拠を基子に送るのだが、すでにふたりは別れた後だったのだ。市子の復讐は空振りだったわけだ。
そこには市子の限界が見える。後に市子は仇敵たる基子を見かけるのだが、本人に直接報復をすることはできず、ただ車のクラクションを鳴らしただけだった。夢のなかで犬の格好で基子に吠えたり、白昼夢で基子を張り倒そうとしても自分がやり返されてしまうのだ。さらには市子は自殺も企てたようだが、結局、死ぬこともできずに甥の出所を迎えることに。市子はギリギリの淵にいることは確かなのだが、その向こう側へと行くことはできないのだ。
同じように市子をマスコミに売った基子も、誘拐犯となった辰男も、後には謝罪の意志を示しているところからすれば、淵の向こう側には行けなかった普通の人々と言えるかもしれない。人間はそんな曖昧な場所で生きているらしい。
『淵に立つ』でインパクトを残した筒井真理子を、様々な手で追い込んでいくのを深田晃司監督は楽しんでいるようにも感じられた。夢のなかで犬になってしまうという奇妙なエピソードは、『アンチポルノ』(園子温監督)でも犬のように裸で四つん這いにさせられていた筒井真理子の姿がお気に召したからだろうか。
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