『夜明けの夫婦』 何が言いたかったんだろ?

日本映画

監督・脚本は『友だちのパパが好き』『At the terrace テラスにて』などの山内ケンジ

物語

コロナ禍もようやく一応の終焉を迎え、町行く人々の口元にもマスクが目立たなくなってきた。さら(33)は夫、康介(31)の家で康介の両親と一緒に暮らしている。さら夫婦にはまだ子供はいない。ある日、義理の母が「そろそろ子供は? 作らないの?」と遠慮がちに聞いてきた。遠慮がちに聞かれたのはもうこれで何度目であろう。しかし、パンデミックの間、さらと康介は、今までよりもはるかに長くこの家に居たのに、すっかりセックスレスになっていた。なおかつ、さらは最近、康介に女がいることに気がついていた。さらは、夜中コンドームを捨てた。一方、義理の母、晶子は、コロナによって年老いた母を亡くしたこともあり、命について深く考える毎日。どうしても孫の顔を見たいという欲求で精神的に不安定になっていた。

(公式サイトより抜粋)

コロナ禍が明けた世界

本作の設定では、新型コロナによる自宅待機が明け、ある程度の日常が戻ってきたという状況になっている。そんなコロナ後の世界においては、何かしらのリハビリが必要になることが予想される。

コロナ禍にあっては、人との接触を避けることが世の中全体で推奨される「新しい生活様式」が求められた。しかし、コロナ後にはそれが一変し、また別の「新しい生活様式」が必要となることが予想されるからだ。昨年公開された『恋する寄生虫』という作品は、コロナとは関係ないにも関わらずそんなリハビリの姿を描いているようにも見えたのだが、『夜明けの夫婦』もコロナ後の世界を描くことになる。

まだ新型コロナの脅威というものがよくわかっておらず、しかも感染した人が亡くなるようなことが起きていた頃は、自宅待機というものも徹底していて、家族は自宅に閉じ込められそこで軟禁状態に置かれることになった。

普段は仕事などで大半は外出し、顔を合わすのは朝や夜のわずかな時間だった家族が、四六時中顔をつき合わせて生活することになれば関係性も変わってくる。一緒にいる時間が限られていれば問題は生じないとしても、常に一緒で逃げる場所もないとなれば互いにストレスが溜まってくるからだ。そんなわけで、さら(鄭亜美)と康介(泉拓磨)は、コロナでの自宅待機の状態によってセックスレスになってしまったらしい。

康介には浮気相手(筒井のどか)もいるようで、康介はその浮気相手とも会うこともできずに自宅待機期間を過ごし、浮気相手からも恨まれているらしい。浮気相手は康介が奥さんのさらと一緒に待機生活をしていることから、さぞかしセックス三昧の日々を送っていたと想像し、「何回セックスしたのか」などと康介を問い詰めることになる。

(C)「夜明けの夫婦」製作委員会

「子供はまだ?」

康介はひとり息子で、さらはその嫁だ。自宅は二世帯住宅になっていて、二階は若夫婦のスペースで、階下では康介の両親が暮らしている。姑(石川彰子)としては、早く孫の顔を見たいという願いを抱くことになるわけだが、そんな時に康介は神戸へ転勤が決まり、さらは自宅近くでの新しい仕事が見つかる。そうなると、姑にとってはますますその願いが遠のくわけで、何か言わずにはいられずに「子供はまだ?」とさらに訊ねることになる。さらは姑の期待に応えるべき旦那の康介をベッドに誘うことになるのだが……。

さらはとても古風な女性に感じられる。常に「お父様、お母様」などと丁寧な言葉を使っているからだ。それでもあまり不自然な感じがしないのは、さらを演じている鄭亜美が在日コリアンであり、劇中でも同様の設定となっているからだ。どこかたどたどしい日本語もあって、極端に古風なさらの言葉もごく自然に受け取れるのだ。

なぜさらがこんな古風なキャラになっているのかと言えば、成瀬巳喜男監督の『山の音』が意識されているかららしい。『山の音』は原節子が演じる嫁が、山村聰演じる舅に淡い気持ちを抱くことになるという作品だった。『山の音』のそれは精神的なものであり上品さを保っていたが、『夜明けの夫婦』はそれのパロディであるからちょっと滑稽だ。周防正行が小津安二郎作品のパロディとして『変態家族 兄貴の嫁さん』というピンク映画を撮ったみたいなものだろうか。『夜明けの夫婦』の舅(岩谷健司)は、普段はさらに理解を示しているけれど、飲んだ帰りには無理やりキスをしてしまったり、裸のさらがベッドで誘っているような妄想まで抱くことになる。

(C)「夜明けの夫婦」製作委員会

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何が言いたかったんだろ?

監督・脚本の山内ケンジという人は今回初めて知ったのだが、もともとはCMディレクターとして名を馳せたらしい。それから演劇の世界に足場を移し、「城山羊の会」というユニットで活動をしているようだ。

U-NEXTでは現在「城山羊の会」の演劇作品も配信している。『相談者たち』という作品だ。この舞台劇は一幕物で、ある家庭のリビングを舞台にして、そこに登場する人々の会話だけで成り立っている。この作品をどんな作品なのかと聞かれても、それをうまく説明することは難しいのかもしれない。そもそも山内ケンジという人は自分の作品について、「結局、何が言いたかったんだろ?」というような作品が理想だと語っているからだ。

『相談者たち』も様々な男女が登場し、男女関係のいざこざが起きたりもするものの、基本はその場をつなぐための他愛のない会話に終始する。登場するキャラはちょっとだけ変わった人もいて、その場にそぐわない発言が場を乱したりシラケさせたりする。そんなグダグダとした会話が続いていくところが魅力ということになるのだろう。

舞台劇をそのまま映画化した作品として、岸田國士戯曲賞受賞作を映画化した『At the terrace テラスにて』という作品があり、これもある豪邸のテラスを舞台にした会話劇となっている。この作品も『相談者たち』と同様に明確なテーマなどはなく、たどり着くべきところもない会話が展開していく。言いたいことが何なのかはわからないけれど、何となくおもしろいというのが持ち味ということなのだろう。

(C)「夜明けの夫婦」製作委員会

持ち味は活かされた?

「結局、何が言いたかったんだろ?」という点は本作でも色々と感じられる。

「子供はまだ?」というプレッシャーがさらを追い詰めていくのは理解できるし、さらも少しだけ本音っぽいことを語ってみたりもする。さらは在日コリアンの友人との内緒話では、日本での在日あるいは女性の苦労を思い、その苦労を子供にさせるのは躊躇してしまうなどとも漏らしている。とはいえ、跡継ぎが欲しいという姑の気持ちもわかるわけで悩ましいところだ。

ところが本作ではなぜか「子供はまだ?」というプレッシャーは、姑をも追い込んでいき、突然姑が若返りを図ることになる。姑はさらが子供を産まないなら自分で産めばいいと考えたらしい(一体何歳という設定なんだろうか? 役者さんは若いから老け役の白髪のほうが妙に違和感がある)。コロナによる自宅待機が退屈すぎて、かわいい子供でもいなくてはやってられないということなのだろうか。また、途中からは現実の中に夢が侵入してきて、どこまでが現実でどこからが妄想なのかわからなくなっていく。だからと言ってそれによってどこかにたどり着くわけもないわけで、どういう意味だったのかはよくわからないまま、それなりのハッピーエンドを迎えることになる。

おもしろかったのはナイフが出てきた部分。山内ケンジの作品をいくつか連続で観たのだが、ナイフが登場するのは恒例のようだ。たとえば映画のデビュー作『ミツコ感覚』でもナイフで自殺を図る女性が出てきたし、舞台作品の『相談者たち』でも、『友だちのパパが好き』でも刃傷沙汰が起きていた。だから本作でも、ネクタイだと思っていたプレゼントの中身が包丁だった時にはちょっと笑えた(と同時にちょっと怖いけれど)。康介の浮気相手は康介に対してそれを贈ることで、その恨みの感情を示そうとしたわけだけれど、それが予想外の方向へと導いてしまったらしい。

そんなわけで本作は135分というそれなりの長尺でありながら楽しく見せる作品ではあるのだけれど、山内ケンジという作家の持ち味が活かされていたかというと疑問も感じた。本作では「子供はまだ?」というプレッシャーや、コロナ後の世界を描いていて、それなりの題材を用意していると言える。そのことが山内作品に特徴的などこにたどり着くのかわからない会話劇の部分を減らしてしまい、持ち味を殺してしまっていたのかもしれない。

主演の鄭亜美は『相談者たち』にも登場していた。この舞台作品でも清楚というか地味な雰囲気でありつつも、よく見ると胸を強調しているようでもあり、自覚なく男を惑わせてしまうといった役柄だった。『夜明けの夫婦』の鄭亜美は、子供が欲しいばかりに積極的に旦那の康介に迫ることになる。それでも康介は久方ぶりのセックスだからか役に立たなくなってしまい、ふたりはベッドの上で全裸で四苦八苦することになる。それは滑稽でもあるけれど、かなり生々しいエロでもあった。というか、レーティングが「R18+」となっている本作は、そこが一番の見どころとも言える。

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