『天気の子』 自由が大切か? 役割が大切か?

日本映画

『秒速5センチメートル』『君の名は。』などの新海誠監督の最新作。

プロデュースには川村元気、音楽にはRADWIMPSと、大ヒットとなった『君の名は。』と同様の布陣。

物語

何の計画性もなく離島から東京へ家出してきた高校生の帆高(声:醍醐虎汰朗)は、あやしげなオカルト雑誌のライターとなり、ようやく住む場所と仕事を確保する。

その仕事で様々な都市伝説に関する取材をしていた帆高は、「100%の晴れ女」の噂を耳にする。偶然にもその「100%の晴れ女」陽菜(声:森七菜)と出会った帆高は、その能力が単なる噂ではないことを知ることになる。

帆高は仕事にあぶれていた陽菜と一緒に、一時的に晴れ間を届ける仕事を始める。人の気持ちは天気によってたいぶ変わる。人生の「晴れ舞台」には文字通り「晴れ」になってほしいもので、ふたりの仕事は評判を呼ぶことになるのだが……。

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現実でも異常気象の東京

2019年の7月は昨年の暑さが嘘みたいに雨ばかり続いている。『天気の子』が公開された7月19日の気象庁の発表によると、東京の日照時間は平年の14%に留まっているのだとか。最近では異常気象のほうが普通のようにすらなってきてもいるので、さほど驚くことではないのかもしれないのだが……。

そんな現実の天気に合わせたかのように、本作のなかの東京もずっと雨が続いているという設定。劇中の登場人物に言わせると、今のような天気予報のシステムができて記録に残っているのもそれほど昔からではないわけで、長いスパンで見ればこの長雨も異常なのかどうなのかもあやしくなるということになるらしい。

新海誠の作品の魅力

私はどちらかと言えば実写のほうが好みで、正直それほどアニメ作品を観ているほうではないのだが、それでも新海誠の作品は『星を追う子ども』以外は観ている。というのも、新海作品は実写作品とはまた違った繊細な風景描写が魅力的だから。

『言の葉の庭』での雨の描写の写実性に目を瞠ったのだが、本作も東京の街全体が煙るような雨に包まれる描写がとてもいい。さらに今回は天気を自由に操れる少女が登場することもあって、天から何かが降りてきそうな「光の水たまり」のシーンも印象的だった。実は帆高が島を出るきっかけとなったのは「あの光の中に、行ってみたかった」という衝動だったようで、自転車でその光を追いかけていくシーンは、光の部分と影の部分が変化していく様子が立体的にすら感じられて観ていて心地よかった。

(C)2019「天気の子」製作委員会

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賛否がわかれそうなラストの展開

特殊な能力には何かしらの落とし穴があるものだ。降り続く雨を一時的に晴れ間にするという陽菜の能力は、実は陽菜の身体そのものを引き換えにして成り立つものだということが次第に明らかになってくる。そして終盤には、陽菜は天気の巫女として人柱の役目を果たすべく空に消えてしまうことになる。

それに対して帆高の出した答えは、世界の調和よりも陽菜を取り戻すことを優先するということだ。それによってさらに異常な天気が続いたとしても、再び日の光を浴びることが叶わなくなったとしても、それでもその狂った世界で陽菜と一緒にいることを望むということだ。

監督自身も賛否が分かれるかもしれないと語っているが、これはなかなか思い切ったラストだったと思う。

帆高の選択に納得できるか?

これに関して劇中では、かつては東京の湾岸地域一帯は海に沈んでいたとも語られる。異常気象といっても、それがどこまで異常なのかはよくわからないのと一緒で、東京のゼロメートル地帯が沈んだとしても、元の世界に戻っただけじゃないかとも説明されるのだ。

ただ、そのことに納得できるのかと言われれば疑問符が付くようにも思える。昔に戻っただけで異常ではないというのならば、昔からずっと続いてきた天気の巫女の役目だって同じように自然であるわけで、それを無視して帆高が陽菜を連れ戻してしまったのは、そうした自然に反することであるようにも感じられるのだ。

自由が大切か? 役割が大切か?

そもそもそんなものに縛られなくたっていいという考えは当然ある。陽菜は好き好んで天気の巫女になったわけではないはずだし、自分の運命や与えられた役割を放棄する自由だってあるはずだからだ。そんな意味では本作の帆高と陽菜は自由に生きることを選択したということになる。

しかし、本作を観ているとなぜか不自由な感覚を抱かないでもない。本作は劇場で日清食品のカップヌードル・シーフード風の「新海誠ヌードル」がプレゼントとして配られたりもしていた。そのこと自体はありがたいのだが、劇中にもカップヌードルは宣伝まがいに登場するし、ほかにもあちこちに配慮しているように感じられる場面が見受けられる。前作『君の名は。』が予想以上のヒット作となって、さらなる期待が寄せられる本作には様々な出資者が現れたということなのだろう。

もともと新海誠監督は『ほしのこえ』をほとんどひとりきりで作り上げて評判になった人だ。その後に商業ベースに乗るようになり、大きな予算のなかで作品をつくるようになると、様々な人や会社も絡んでくるしという大人の事情が垣間見られるのだ。

本作では主人公たちには世界よりも自分たちのことを選ばせながらも、新海監督自身は雁字搦めになっているようにすら見える。もちろん主人公と監督は同じではないのだが、自由にやりたい気持ちと多くの人に観てもらえる作品をつくるべきという気持ちの間で揺らいでいるようにも感じられなくもないのだ。

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