『千夜、一夜』 夢に生きるか、現実回帰か

日本映画

監督・編集は『家路』久保田直

脚本は『独立少年合唱団』や『家路』などの青木研次

主演は『おらおらでひとりいぐも』などの田中裕子

物語

北の離島の美しい港町。登美⼦の夫・諭が突然姿を消してから30年の時が経った。
彼はなぜいなくなったのか。⽣きているのかどうか、それすらわからない。
漁師の春男が登美⼦に想いを寄せ続けるも、彼⼥は愛する⼈とのささやかな思い出を抱きしめながら、その帰りをずっと待っている。

そんな登美⼦のもとに、2年前に失踪した夫を探す奈美が現れる。
「理由が欲しいんです。彼がいなくなった理由。自分の中で何か決着がつけられればって」
彼⼥は前に進むために、夫が「いなくなった理由」を探していた。

奈美が登美子に問いかける。「悲しくないですか?待ってるのって」
「帰ってこない理由なんかないと思ってたけど、帰ってくる理由もないのかもしれない」と登美子。

しばらくして、奈美は新しい恋人ができたため、夫・洋司と離婚したいという。
そんなある⽇、登美⼦は街中で偶然、失踪した洋司を⾒かけて…。

(公式サイトより抜粋)

見えない失踪者

日本で1年間に失踪する人は、実は約8万人もいるのだとか。最近の年間自殺者数が約2万くらいだから、その4倍もいるということになる。それでも自殺は話題になったとしても、失踪はほとんど話題にならない。というのも、自殺した人は遺体という証拠が残されることになるけれど、失踪というのは表に出てこないものだからだろう。

万が一北朝鮮に拉致されたとするならばそれは秘密裏に行われることになるし、自ら過去を捨てたいと考えた人はどこかに身を隠すことになるのだろう。どちらにしても失踪後のことは見えてこないわけで、ニュースにもなりようがないのだ。

ただ、待つことになった方として混乱するだろう。もしかしたらどこかで死んでしまったのか、自ら消えることを望んだとすればそれはなぜなのか、そうしたことがわからないまま延々と悩み続けるほかなくなるからだ。『千夜、一夜』では、失踪した夫を待ち続ける女性が二人登場することになるが、二人は対照的な選択をすることになる。

(C)2022 映画「千夜、一夜」製作委員会

二人の“待つ女”

このタイトルはいわゆる「アラビアンナイト」としても知られる「千夜一夜物語(もしくは千一夜物語)」から採られているのだろう。

ボルヘス『七つの夜』という本の中で『千一夜物語』について語っている。ボルヘスによれば、このタイトルは「世界で一番美しいタイトルのひとつ」であり、ここでの「千」というのは「無数」ということであり、「千一夜」というのは無数に一を加えることだという。英語でも「永遠に」という意味でfor everと言うかわりに、ときにfor ever a dayと言うことがあるとのことで、「千夜一夜」という言葉も「永遠に」と言っているに等しいということになる。主人公である登美子(田中裕子)は、夫である諭を30年待っているという設定なのだが、もしかしたら登美子は永遠に待ち続けるつもりなのかもしれない。

そんな登美子には「世話をしたい」などと言ってくる春男(ダンカン)もいる。周囲もそのことを知っていて、ふたりが一緒になることを願っているようでもある。しかし登美子はどうしてもそんなつもりにはなれないらしく、独りでいることを選ぶのだ。

他方、登美子とは対照的な行動を採ることになるのが奈美(尾野真千子)だ。奈美の夫・洋司(安藤政信)は約2年前に失踪したとのこと。奈美は帰化した在日朝鮮人であり、洋司は特定失踪者なのではないか、つまりは北朝鮮に連れ去られたのではないかと疑っている(本作は佐渡を舞台にしている)。劇中でも北朝鮮からの不審船が漂流してきたりもするわけで、失踪に北朝鮮が関わっている可能性もまったくないというわけではないからだ。

奈美が拉致のことをどこまで信じていたのかはわからないけれど、とにかく「いなくなった理由」が必要だったと言っているわけで、区切りを付けることで前に進もうとしていたのだ。

いつ帰ってくるのかわからない夫を待ち続けるのにも限界があって、奈美の傍にはその事情を知り支えてくれる男性(山中崇)もいることから、何かしらの踏ん切りのために登美子に会いに来たということになる。洋司に帰ってくるつもりがあるのかもわからないまま待ち続ける二年という月日は、決して短いとは言えないだろう。それと比べると登美子の異常さが際立ってくる。登美子は前に進むどころか、過去の想い出の中に生きているからだ。日々昔のカセットテープを聞いているのは、そのテープには幸せだった頃の諭の声が残っていたからで、登美子はそんな過去の中に生きているのだ。

(C)2022 映画「千夜、一夜」製作委員会

予想外の展開

本作はあくまでも待つ女性の側の話となっているわけだけれど、それだけでは待つ側が自己完結するだけの話になってしまうからか、予想外の展開が待っている。登美子が街中で奈美の夫・洋司を偶然発見してしまうのだ。

特定失踪者の中には、そのリストに入れられたと知り、家族に連絡してきた人もいたようだ。さすがに拉致されたと思われたままでは家族に余計な心配をさせると考えたということなんだろうか。とはいえ、失踪者がその理由を語る場面というのは普通はあまりないことなのだろう。

たとえば失踪を題材とした安部公房の小説『燃えつきた地図』では、失踪者を探偵が追うことになるが、結局失踪者は見つかることがない。今村昌平の映画『人間蒸発』でも、失踪者が姿を現すわけではない。ところが『千夜、一夜』では、偶然によって失踪者を登場させ、失踪者自身に胸の内を語らせ、待つ側と対峙させることになるのだ。

登美子は洋司を呼び止め、喫茶店で彼を問い詰めることになる。洋司は奈美の夫であり、登美子とは無関係だが、ここでは失踪者という意味で登美子の夫・諭と重なってくるからだろう。

洋司によれば、奈美には明確な人生設計があったようだ。いつまでに結婚し、いつまでには子供をもうける。そんな計画があり、洋司はその計画にすでに組み込まれている。そうなるとその先のすべてが決められているようにも感じられ、窮屈になってきたのだろう。そのことが洋司の失踪の要因となっているのだ。ただ、そんな言い訳は奈美を納得させることにはならないわけだが……。

(C)2022 映画「千夜、一夜」製作委員会

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ロマンティシズム?

本作は洋司の登場で様相を変えることになる。すでに待つことをやめたつもりだった奈美は、突然の洋司の登場に怒りを露わにし、彼を連れてきた登美子にも怒りをぶつける。奈美は登美子が「夢の中にいる」と指摘することになるのだ。

この奈美の指摘はその後の展開でより一層明確になる。奈美に家を追い出された洋司は、夜遅く登美子の家を訪れることになるのだが、そこで洋司が見てしまったのは、登美子が諭の幻と会話をしている異様な場面だったのだ。登美子は静かに狂っていたということなのだろう(もっとも登美子はそれを自覚しているようでもあるのたが)。

本作が良かったのは、そんな登美子を安易に現実に引き戻さなかったところなんじゃないだろうか。もうひとりの“待つ女”である奈美に関しては、洋司と再会して散々怒りをぶつけ、ビンタも喰らわしたことで、スッキリして前に進むことになるのだろう。一方で30年も待っている登美子に関しては、奈美の指摘する通り、夢の中に留まることを選ばせて終わるのだ。

登美子にはもっと現実的な場所へ着地する可能性も示されていた。それは春男と一緒になるのを受け入れることだ。しかし、最後の最後になっても、登美子は春男のことを突き放すことになる。登美子は夢の中に生きることを選んだということだ。これは久保田直監督のインタビューで使っていた言葉で言えば“ロマンティシズム”ということになるのだろう。

この言葉を一言で定義するのは難しいが、現実とは反対の方向を向いているもので、現実から離れていこうとするものであることは確かだろう。洋司が登美子の家で過ごした夜の出来事は現実のはずだが、ここでは洋司は諭の代わりとなっていて、どこまでが現実でどこからが登美子の夢なのか曖昧になっている。

洋司は諭と勘違いされたまま登美子の腕の中に抱かれることになるのだが、その際、洋司は登美子の腕の中の暗がりにすっかり入り込み、まるで幻だったかのように消えてしまったかにも見える。一瞬、すべてが登美子の妄想だったのかとも思わせるあたりがとても良かった。

肝心なことは言わずに、余計なものを残していく。登美子は家族に対してそんなふうにつぶやく。戦争で片足を失い暴力的になったとされる父親は、戦争のことは語らずに使い道のない義足を遺して亡くなった。何も言わずに失踪した諭が遺していった余計なものとは、彼の声が録られたカセットテープだったのだろう。この声は登美子をいつまでも過去に縛り付けるものとなっているのだが、同時に何かしらの救いにもなっていたようにも思えた。最後に付け加えておけば、ちょっぴり前衛チックな部分もある音楽も印象的だった。

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