『夏への扉 -キミのいる未来へ-』 一本道タイムトラベル

日本映画

原作はロバート・A・ハインライン『夏への扉』

監督は『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』などの三木孝浩

物語

将来を期待される科学者の高倉宗一郎は、亡き養父である松下の会社で研究に没頭していた。

早くに両親を亡くしずっと孤独だった宗一郎は、自分を慕ってくれる松下の娘・璃子と愛猫ピートを、家族のように大事に思っていた。

しかし、研究の完成を目前に控えながら、宗一郎は罠にはめられ、冷凍睡眠させられてしまう。

目を覚ますと、そこは30年後の2025年の東京、宗一郎は研究も財産も失い、璃子は謎の死を遂げていた―失って初めて、璃子が自分にとってかけがえのない存在だったと気づく宗一郎。

人間にそっくりなロボットの力を借り、30年の間に起こったことを調べ始めた宗一郎は、ある物理学者にたどり着く。驚きの事実を知った宗一郎は、再び1995年へと時を超える。

ただ、璃子を救うために―

(公式サイトより引用)

“タイムトラベルもの”の元祖

原作小説はSFのオールタイムベスト10などでも上位にランキングされるほど古典的な作品。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(以下『BTTF』)にも影響を与えていると言われているのだとか。

確かに昔読んだ時は「いい話」だと思ったような記憶もあったのだが、最近になって映画に合わせて読み返してみると、すらすら読めて楽しいのだが驚きはない感じもした。古典としてあまりにあちこちでアイディアを流用されてきたから、既視感のようなものを覚えてしまうのかもしれない。

そんな作品だけに今まで映画化されなかったことのほうが不思議にも思えるのだが、今回は日本を舞台にして映画化されることになった。原作は1956年発表で2000年の未来にタイムトラベルする形になっていたわけだが、すでに今は現実世界が2021年になってしまっているわけで、時代もズラされている。

そのほか、ヒューマノイドロボット(藤木直人)が主人公の相棒として活躍するなど細かい点では原作と異なる部分はあるけれど、おおよそは原作に沿っている。一番の違いとしては、本作が恋愛映画になっている点だろうか。

(C)2021「夏への扉」製作委員会

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原作のツッコミどころを回避?

この変更は監督の三木孝浩が恋愛映画を得意とする人だからかもしれないし、“タイムトラベルもの”というだけでは女性客に訴えるものがないと考えたからかもしれないのだが、原作のツッコミどころを回避した結果とも言えるのかもしれない。というのは、原作の主人公は30歳で、その相手役は11歳の女の子だからだ。

今回久しぶりに読み返して、ちょっとこの部分にも引っかかりを覚えた。子供時代の戯れ言として結婚を約束したりはしているのだが、それを真に受ける30歳はヤバい人のようにも感じられるだろう。だから一部では“ロリコンもの”などと揶揄されることもあるのだとか。もちろん結婚する時点での年齢差は、冷凍睡眠の時間差でやや縮まるとはいえ、11歳の少女がそんな大人に執着するとは到底思えないという点でツッコミどころはあるのだろう。

だから映画版の『夏への扉-キミのいる未来へ-』では、主人公の高倉宗一郎(山﨑賢人)と、相手役の松下璃子(清原果耶)の年齢差は狭められている。これによってふたりの恋愛感情はごく自然なものと感じられるだろう。

そして、タイムトラベルをすることになるきっかけは、原作では発明品を人に奪われたことだったのが、映画では「璃子を救うために」という変更がなされている。愛のために時間を超えるという点で、いかにも恋愛映画的な要素が盛り込まれているのだ。

寒さが苦手な猫のピートが“夏への扉”を探し回ることを決して諦めないように、「諦めなければ、失敗じゃない」といったメッセージや、若いふたりの恋愛事情も悪くはなかったのだけれど、なぜかカタルシスに欠けるような気もしたのだが、それは本作が「過去に戻って未来を変える」というよくある“タイムトラベルもの”とは異なるからだろうか?

(C)2021「夏への扉」製作委員会

一本道タイムトラベル

たとえば『BTTF』は1955年という過去に行き、現在時である1985年に戻ってくると、そこはかつての1985年とはちょっとだけ変わっている。「過去に戻って未来を変える」ことになったわけだ。

一方で『夏への扉』では事態はそんなふうにはなっていない。宗一郎は悪女・白石鈴(夏菜)に騙されすべてを奪われ、冷凍睡眠で30年間眠らされる。2025年に目覚めた宗一郎は、璃子がすでに亡くなっているのを知り、1995年に戻ることを決意する。宗一郎は璃子を助けるために、つまりは未来を変えるために1995年に戻ると考えているわけだが、実際にはそうなっていないのだ。

どういうことかと言えば、2025年はすでに変えられた未来だったということだ。2025年の世界には璃子は生きていたけれど、名前が変わっていただけだったのだ。そして、その養子縁組をしたのは実は1995年に戻った宗一郎であり、つまりは宗一郎が1995年に戻ることはすでに決定していたかのようなのだ。

(C)2021「夏への扉」製作委員会

それからこれも映画版で追加されたエピソードだが、タイムマシンを発明する遠井博士(田口トモロヲ)に資金を援助するのも宗一郎で、彼が1995年に戻らなければ、冷凍睡眠で辿り着いた2025年はないことになるのだ。遠井博士がパラレルワールドは存在しないと語っていたのは、このことを指すのだろう。

ちなみにライムスター宇多丸はラジオ番組「週刊映画時評ムービーウォッチメン」の中で、本作のタイムトラベルを「全て一本道」と語っていて、まさにその通りの話となっているのだ。

『BTTF』はパラレルワールドが存在する世界だったわけだが、『夏への扉』の世界は宗一郎がタイムトラベルをすること自体が決定していたことであるかのように進んでいく。すべてがすでに決められていたかのように感じられるのだ。だから未来を変えるといったカタルシスには欠けるように思えるのではないだろうか。

私は『TENET テネット』でも似たような感想を書いているのだが、それは『TENET テネット』も『夏への扉』と同様の一本道な世界を描いているからなのだろう。

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