『キリエのうた』 音楽映画あるいは震災映画?

日本映画

『リリイ・シュシュのすべて』などの岩井俊二監督の最新作。

音楽は『スワロウテイル』や『リリイ・シュシュのすべて』などの岩井作品も手掛けている小林武史

主演はBiSHアイナ・ジ・エンド

物語

新宿で「ミッドナイト・ライブ」という小さな看板をかかげて佇んでいたキリエに声をかけてきたのは、イッコと名乗る水色の髪の女性。彼女が「何か歌って」とキリエにお願いすると、キリエは歌い出す。その声の響きには天性のものがあった。
キリエはうまくしゃべることができないけれど、歌だけは歌えるのだという。二人はイッコがマネージャーとなり、改めて音楽活動をし始めることになるのだが……。

キリエとは?

キリエという名前で思い出したのは、80年代にヒットしたMr.ミスターの「キリエ」という曲。意味もわからずに洋楽を聴いていた若輩者としては、この曲もポップな曲というイメージしかなく、キリエというタイトルも人の名前なのだろうと思っていたのだが、まったくの勘違いだったようだ。

このMr.ミスターの曲でもそうなのだが、キリエという言葉は「キリエ・エレイソン」という形で使われると「主よ、憐みたまえ」という意味になるのだそうだ。もともとはミサなどで唱えられる祈りの言葉なのだそうだ。

『キリエのうた』においては、アイナ・ジ・エンドが演じる主人公はキリエと名乗っている。この主人公はキリスト教を信仰する家庭に育ち、本名は路花と書いてルカと読む。ルカという名前も、キリスト教では福音書の著者のひとりともなっている由緒正しき名前ということだろう。そして、路花の姉がキリエという名前だったのだ。路花はミュージシャンとしては、姉のキリエという名前を使っているということになる。

一方で路花のマネージャーをやると言い出す水色ウィッグの女性はイッコと名乗るのだが、こちらも本名ではない。実はこのイッコはかつての路花の友人・真緒里(広瀬すず)だったのだ。二人はかつて帯広で出会ったのだが、紆余曲折あって東京の街で再会したということになる。最初はイッコの変装めいた格好でそのことがわからなかったのだが、路花の抱えていたギターは真緒里から譲り受けたものだったのだ。

イッコ=真緒里は、キリエのイメージをブルーとし、いつも同じブルーの衣装で歌うことを勧め、路上生活者だった路花に手を差し延べることになる。そんなふうにして二人の音楽活動がスタートすることになる。

(C)2023 Kyrie Film Band

13年の長きに渡る物語

本作の構成はなかなか入り組んでいる。冒頭でキリエとイッコが出会った新宿の街は、現在(2023年)という設定だ。それから二人が出会った2018年の帯広の話がある。そこにはイッコ=真緒里の家庭教師として登場する夏彦(松村北斗)の姿もある。さらにキリエが子どもの頃(2011年)にいた大阪の話があり、その前に2010年の石巻での夏彦の恋の話もある。

劇中ではこれらがランダムに展開していくことになるし、さらには路花とその姉のキリエをどちらもアイナ・ジ・エンドが演じたりするということもあって、ちょっと混乱するかもしれない(最初に姉のキリエが出てきた時には何が起きたのかと思った)。

一人二役というのは岩井作品ではよくあることで、『Love Letter』では同じ人物の若い頃と現在の姿を別の役者が演じて分けているのに、なぜか別の登場人物を同じ役者が演じていたりもするわけで、いつも通りのこととも言える。

本作の物語を時間通りにかなり大雑把に整理してみると次のようになる。2010年に夏彦は石巻でキリエ(姉)と出会う。ところが2011年の東日本大震災で、そのキリエは亡くなってしまうことになる。生き残った幼い路花は、姉のフィアンセ・夏彦を頼りに大阪へ流れていくものの、何の血縁関係もない二人は引き離されてしまう。

2018年、帯広にいた夏彦は、真緒里の家庭教師をすることになる。その頃、一時的に夏彦と兄妹として一緒に住んでいた路花は、帯広で真緒里と知り合うことになる。ところがその後に行政の横槍が入ったりして路花は連れ去られ、再び真緒里と路花が出会ったのが2023年だったということになる。

(C)2023 Kyrie Film Band

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音楽映画あるいは震災映画?

なぜ本作が日本全国を旅するような舞台設定になっているのかはよくわからないけれど、本作の核にあるのは東日本大震災という出来事なのだろうと思う。

『ラストレター』という作品は、まったく震災という出来事とは関係のない作品なのだけれど、私にはそれが東日本大震災のことを描いているもののように見えた(冒頭の滝の流れとか、理不尽な出来事との遭遇などがそんなふうに感じさせたのだ)。

これはもちろん私の勝手な解釈であるけれど、脚本・監督の岩井俊二としては地元で起きたこの出来事についてもっときちんと描きたかったんじゃないだろうか。

『キリエのうた』には東日本大震災の丁寧な描写がある。震災の時、岩井俊二はアメリカにいたとのこと。遠く離れていて何もすることができないという感覚が、キリエとは電話でつながりつつもどうすることもできない夏彦の状況に示されているのだろう。また、津波に関する描写はないのだが、キリエと幼い路花が出会った瞬間には、川の向こうの海にさざ波が立っているようにも見えた。

そんな意味で本作は、東日本大震災で孤児となった路花が、亡くなったキリエとしてその歌声を響かせるというところが核にあるのだろうと思うのだ。『ラストレター』でも、主人公が亡くなった姉のフリをすることになるけれど、そんなふうに「誰ががその人を想い続けていたら、死んだ人も生きていることになるんじゃないか」という想いが提示されている。本作の路花がやっていることも同じことなんじゃないだろうか。

しかしながら、一方で本作は音楽映画でもある。岩井俊二にとって音楽映画というのは、『スワロウテイル』や『リリイ・シュシュのすべて』あたりのことを指すという認識のようで、本作は音楽を先の二作品と同じ小林武史が音楽を担当しているところからもまさしく音楽映画ということになる。

『スワロウテイル』ではYEN TOWN BANDが登場し、『リリイ・シュシュのすべて』ではリリイ・シュシュという歌い手が登場し、映画用に製作されたオリジナルの楽曲を奏でる。本作においてその重要な役割を担うのがキリエということになる。

これも私の勝手な推測だけれど、本作の中心には震災に翻弄された孤児の成長物語があったのだけれど、途中から音楽映画としての要素が増えてきて歪な形になっていったんじゃないだろうか。それというのは、やはりキリエを演じたアイナ・ジ・エンドの存在が大きいのだろう(本作の企画はアイナが参加することになる前から存在していたようだ)。

私自身はBiSHの存在すら知らなかったのだけれど、アイナという人の声はやはり人を惹きつけるものがある。You Tubeでいくつか動画を観てみたのだが、“ファーストテイク”なども聴かせるものがあるのだけれど、ライブでワンコの振付をしながら歌っている曲が妙に気に入ってしまった。

『キリエのうた』では、冒頭からオフコースのアカペラで始まり、音楽プロデューサー(北村有起哉)との顔合わせの喫茶店でもアカペラでキリエに歌わせている。喫茶店の場面では、突然店の中で歌い始めるキリエに同席したお客さんたちも戸惑うわけだが、その歌声はすぐにそのお客さんたち全員を味方につけることになる。それほどインパクトのある歌声なのだ。

『スワロウテイル』では、CHARAがバンドのボーカルを務めていた。岩井俊二はどこかでCHARAを自分の“隠し球”だったか“切り札”だったか、そんな言い方をしていたことがあったように記憶しているが、そんなCHARAでも本作のアイナほど前面に押し出されてはいなかったわけで、本作における岩井俊二のアイナへの入れ込み具合がわかる気もするのだ。ただ、その分、震災についての映画というよりも、音楽映画としてのボリュームが膨れていって歪な形になっているような気もする。

(C)2023 Kyrie Film Band

何に対する憤りか?

本作の核が震災のほうにあると推測するのは、後半で路花=キリエがプロとして成功することはどうでもいいかのように振舞っているところがあるからだ。路花としては成功よりも世話になったイッコ=真緒里のほうが重要だし、最後はなぜか地元(どこの駅だったんだろうか?)とおぼしき場所にたどり着いて終わりとなることからも、そもそもの核は震災のほうにあったと推測するのだ。

それでも冒頭のイッコとキリエの出会いからすると本作は音楽映画としてスタートするわけで、それが途中から脱線してしまったかのようにも見えてしまう。観客の興味としてはキリエがどんなふうにスターになっていくのかという点に向かっている時に、夏彦の回想として震災の記憶とその後の幼い路花の流浪へと逸脱していったようにも感じられてしまうのだ。

また、孤児となった路花に対する行政の対応が何度か描かれている。これも岩井俊二が震災の時に感じた行政に対する憤りみたいなものがあるのだろうか。路花は震災によって孤児となり、姉のフィアンセである夏彦を頼りにする。身寄りのない大阪で親切な教師・風美(黒木華)に保護された路花は、その手助けもあり夏彦と再会することになるけれど、行政側の対応は個々の事情に配慮しない四角四面のやり方だった。

夏彦と路花に血縁関係はない。だとすると二人は無関係ということになる。そんな判断で二人は引き離され、路花がどうなったのかも個人情報保護の観点からまったく知らされないことになる。同じことは帯広でも繰り返されることになるし、ラスト近くのライブフェスで警察が許可書云々と騒ぎ出すというエピソードがあることからも、何かしらの行政の対応に対する不満が感じられる。こんな部分も本作が震災映画であることを示しているように感じられた。

(C)2023 Kyrie Film Band

同窓会的な雰囲気

本作は約3時間の長尺だ。同じように長尺の『リップヴァンウィンクルの花嫁』ほどの恍惚感とはいかない気もするけれど、岩井俊二ファンなら存分に楽しめる内容になっているだろう。これまでの岩井作品を色々と想起させるようなところが多いからだ。

真緒里がなぜ結婚詐欺みたいなことをしていたのかは謎だけれど、路花は彼女のために身を投げ出そうとする。この二人の危なっかしい関係性は『リップヴァンウィンクルの花嫁』のそれとよく似ている。また、帯広の路花が制服姿で踊るシーンは、『花とアリス』を思わせる。

ちなみに岩井俊二がアイナのことを気に入ったのは、声だけではなく手の動きでもあったらしい。ラストでは回想の中で真緒里のためにひとりで海で歌い踊ることにもなるのだが、このシーンも印象的だった。

それから『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』奥菜恵は真緒里の母親役で顔を出すことになるし、路花が着ている黒いワンピースは『四月物語』のそれとそっくりに見える。『ラストレター』のおじいちゃんとおばあちゃん(鈴木慶一木内みどり)は、本作では幽霊となって顔を出したりもする。そんな同窓会的な雰囲気も楽しめる作品となっていると思う。

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