『陰陽師0』 「雅なもの」に囲まれた世界

日本映画

原作は夢枕獏の「陰陽師」シリーズ。

監督・脚本は『エコエコアザラク』などの佐藤嗣麻子

主演は『キングダム』シリーズなどの山﨑賢人

物語

呪いや祟りから都を守る陰陽師の学校であり省庁――《陰陽寮》。学生の安倍晴明は、呪術の天才ながらも陰陽師に興味を示さず、友達も持たず、周囲から距離を置かれる存在だった。ある日晴明は、貴族の源博雅から貴族の徽子女王よしこじょおうを襲う怪奇現象の解決を頼まれる。衝突しながらも真相を追う晴明と博雅だったが、ある学生の変死をきっかけに、平安京をも巻き込む凶悪な陰謀と呪いが動き出す。若き晴明は平安の闇を祓えるのか? そして呪いに隠された真実とは――?

(公式サイトより抜粋)

「呪」とは「思い込み」?

一応は『呪術廻戦』という人気アニメも観てはいるけれど、あまりオカルト的なものに詳しいわけでもないし、陰陽師おんみょうじがどんなものなのかもよく知らない。安倍晴明あべのせいめいという人が実在した人だというくらいは聞いたことがあるけれど、あちこちに顔を出す人気キャラみたいになっているのがなぜなのかもわからない。そんなわけで知らないことだらけなのだが、何となく観に行った『陰陽師0』

素人の勝手なイメージとしては、『孔雀王』みたいな世界なのだろうと予測していた。『陰陽師0』の予告編で見ることができた「印を結ぶ」という仕草が、『孔雀王』でやっていた「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」という、何かしらのまじないみたいなものに似ていたからだ。『孔雀王』に関しては内容はほとんど覚えていないけれど、香港の人が監督らしくユン・ピョウも出ていて、その続編『孔雀王/アシュラ伝説』では前作から主役を交替した阿部寛が積極的にアクションを頑張っていたことが印象的だった。

そんな感じだったから『陰陽師0』に出てくる安倍晴明が、とても合理的な考えの持ち主であると知って意外だった。「のろい」とか言うけれど、これは人の意識に働きかけるものであって、それが身体にも影響してくるということらしい。つまり言い換えれば、「思い込み」に過ぎないと言うわけで、とても現代的とも言える。カエルを殺した出来事も、結局はマジックと同じで「種」があるということになる。「種明かし」がされれば、不思議に思えたことにもすべて理由があることがわかるのだ。

©2024映画「陰陽師0」製作委員会

バディムービー+青春映画

そもそも陰陽師というのは、現代で言えば官僚のようなものだったらしい。当時は天皇を筆頭とした貴族が政治を行っている時代で、その手足となって働くのが陰陽師だったということらしい。数少ない貴族が平安京を統治し、それ以外は人間扱いされない。貴族以外の者が上を目指せる唯一の道が陰陽師になるということだったらしい。だから陰陽寮という場所は、成り上がりたい人たちの闘いのフィールドなのだ。

山﨑賢人が演じる安倍晴明はまだ若く、舞台となる陰陽寮では一番下っ端の「学生がくしょう」ということになる。それでも能力は優れていて、ほかに敵うものはいないとされる。ただ、本人はそんなことには興味がなさそうで、超然としている。何と言うか、今風の冷めた若者といった佇まいなのだ。

晴明が陰陽師に興味が持てないのは、それが一種の詐欺師みたいなものになっている側面があるからなのだろう。陰陽師は占い(統計学)などを使い、政治に対するアドバイスをする役割を担ったりする。この力を使えば、権力を操ることだって可能になるかもしれないわけで、陰陽寮で上を目指す人たちが望んでいるのはそうした力を得ることなのだ。晴明はそうしたことには関わりたくないということらしい。ところがある学生が殺されるという事件が発生し、晴明はその事件を解決する必要に迫られることになる。

本作は晴明が探偵役となって、その事件を解決する「探偵もの」とも言えるわけだが、そのためには助手が必要だ。晴明にとっては、それが源博雅みなもとのひろまさ染谷将太)ということになる。元々は貴族でやんごとなき家柄の博雅と、そんなことを何とも思わない無礼な晴明。そんなふたりのやり取りがおもしろい。本作は「バディムービー」でもあり、「青春映画」でもあるのだ。

©2024映画「陰陽師0」製作委員会

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「雅なもの」に囲まれた世界

日本人はみやびなもの」に対する憧れというものがあるのだろうと思う。「雅」という言葉は、「洗練されていて上品なこと」を指し、それは「宮廷風であること」でもあるらしい。最近のニュースでも「皇室のインスタグラムのフォロワーが100万人を超えた」などとも言われていたけれど、こうした皇室人気も「雅なもの」に対する憧れが要因となっているのかもしれない。

『陰陽師0』を観たのは土曜日のレイトショーだったのだけれど、遅い時間にも関わらず、それなりに席は埋まっていて若い女性も多かったように見受けられた。それには主演の山崎賢人の人気も影響しているのだろうし、安倍晴明というキャラに対する人気もあるのかもしれない。

本作のターゲットはそんな女性ファンなのかもしれない。一番の権力者である帝(板垣李光人)はあの“光源氏”みたいなイケメン風な若者だし、雅楽家でもある博雅が奏でる笛の音色は高貴なものを感じさせる。

その博雅が想いを寄せる徽子女王(奈緒)の住まいは、とても清潔で心地よさそうな空間になっていた。なぜかその住まいの床には赤や白の花びらが撒かれている。このイメージはリゾート地の高級ホテルなんかで白いシーツの上やバスタブの中に花びらが撒かれている感じだろう。こうしたサービスは女性客にアピールするものなのだろうし、日常生活では味わえないような優雅な世界を演出するものであり、本作も女性ファンを強く意識しているように感じられた。

徽子女王は自分自身も頭にまで花飾りをしている。そのほかにもCGで何もない場所に花が咲いていくような場面もあり、非現実的な煌びやかな色合いのを構成していた。こうした演出は佐藤嗣麻子しまこ監督による現代風な「雅」というものの解釈ということなのだろうし、本作は「雅なもの」の世界に浸ることができる映画になっていたと思う。

©2024映画「陰陽師0」製作委員会

晴明のオリジンを描く物語

一方で、アクションはちょっとダサかった。捕らえられた晴明が逃げ出していく場面は、後で明らかになることだがすべて夢の中の話とも言える。だからこそのあり得ない浮遊感だったわけだが、この場面はウォシャウスキー姉妹の失敗作『ジュピター』みたいだった。

『ジュピター』では、主人公が空飛ぶブーツみたいなもので不格好に空を飛び回るのだが、晴明の飛び方もそんな感じでアクションとしては今ひとつだった。とはいえ、本作はアクション映画ではないから、派手なアクションはこの程度に抑えられていて、後半はCGの出番ということになる。

しかしながら、私は龍が出てくるとなぜか退屈に感じてしまう。たとえば『シャン・チー/テン・リングスの伝説』も前半の体を張ったアクションは楽しいのだが、後半に龍が登場して大暴れするようになると、結局は「何でもあり」なワケで、アクションのハラハラといったものが失われる感じがしてしまうからかもしれない。『陰陽師0』の火の龍と水の龍がどうこうするラストは、正直言ってスペクタクルとしてはあまりおもしろみがなかった。

ちなみに晴明は「しゅ」は「思い込み」だと喝破していたけれど、夢から醒めた後にはラスボス的キャラを呪術的なもので退治することなる。合理的思考もできるけれど、実際に呪術的なものも使える“本物”の陰陽師ということらしい。

本作は晴明のオリジンを描いたエピソード「0」ということで、続編があるのだろうか? とはいえ、主演の山﨑賢人は『キングダム』『ゴールデン・カムイ』のシリーズを抱えているわけでどう考えても多忙だから、さらなるシリーズものは難しいのかと思っていた。ところが本編が始まる前の予告編では『キングダム』のシリーズは第4作で一応は最終章を迎えることが発表されていた。もしかすると陰陽師もシリーズ化を考えているのかもしれない。

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