『キル・チーム』 罪悪感には空砲なし?

外国映画

監督・脚本はドキュメンタリー作家として二度アカデミー賞にノミネートされたというダン・クラウス

実話を元にした作品

監督のダン・クラウスはドキュメンタリーを撮っていた人で、本作の元となった事件に関するドキュメンタリー作品も発表しているとのこと。その事件というのが、アフガニスタンにおいてアメリカ兵が非戦闘員である地元住民を殺害していたというものだ。そのドキュメンタリーがどんなものだったのかはわからないが、軍隊におけるスキャンダルを逐一撮影していたとも思えないから、事件後の裁判に関するドキュメンタリーだったのだろうか。

一方でフィクションである『キル・チーム』は、事件を告発することになる主人公アンドリュー(ナット・ウルフ)の視点で描かれ、彼が不本意ながらも事件に巻き込まれていく様子を追っていく。海兵隊員だった父親と同じように国に奉仕することを選んだアンドリューは、正義感と愛国心にあふれた青年で、アフガニスタンに行くことが正しい道だと信じていた。父親も誇りに思うほどの真っ直ぐで理想に燃えた青年アンドリューは、戦場の現実の中で次第にスポイルされていくことになるのだ。

人を殺すことが自分の仕事

アンドリューたちの仕事は地元住民を取り締まるといった役目なのだが、地元住民との友好関係の形成を訴えていた軍曹は、彼らに(?)仕掛けられた爆弾によって命を落とす。その代わりにやってきたのがディークス軍曹(アレキサンダー・スカルスガルド)で、新軍曹の信条は「人を殺すことが自分の仕事」というもので前軍曹とは正反対なものだった。

ディークス軍曹の考え方からすると、爆弾の犠牲になっているのはアメリカ兵ばかりで、地元住民はそうではない。だとすれば地元住民はテロリストから爆弾の位置を知らされているからで、そんなやつらはテロリストと同じだということになる。

実際には地元住民が敵対行為をしたわけではないのだが、ディークス軍曹はあやしい人間を次々と殺していく。しかもその後で武器を所持していたと偽装して殺害を正当化していたのだ。これはもはや戦争とは言えない犯罪なわけで、それを知ったアンドリューはそれを告発するか思い悩むことになる。

(C)2019 Nostromo Pictures SL/ The Kill Team AIE / Nublar Productions LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

スポンサーリンク

見えない敵

事件は2010年に起きたものとのこと。舞台となっているのはアフガニスタン紛争であり、そのきっかけとなったのは2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ事件」だった。ブッシュ大統領はテロとの戦いを宣言し、ウサーマ・ビン=ラーディンらのアルカイダがその容疑者であるとされた。

容疑者とされたビン=ラーディンに関しては、『ゼロ・ダーク・サーティ』に描かれたように、2011年にパキスタンで特殊部隊の作戦によってこっそりと殺害されていた。それでもアフガニスタン紛争自体は終結することもなく未だに続いていて、アメリカにとってベトナム戦争を越えて「史上最長の戦争」になっている。

ビン=ラーディンが潜んでいたのはアフガニスタンではなかったし、その容疑者を殺害しても戦争は終結しないわけで、アメリカは一体誰と戦っているのかとも思ってしまうのだが、本作においても主人公たちは見えない敵と戦っているみたいなものだったように見える。

テロリストの姿は一度も登場することなく、ディークス軍曹以下のキル・チーム(殺人部隊)は地元住民を締め上げることしかしていないからだ。アメリカの掲げる正義があちこちで嫌われるのも当然とも言えるかもしれない。

(C)2019 Nostromo Pictures SL/ The Kill Team AIE / Nublar Productions LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

「良心の空砲」

軍隊において上官の命令は絶対的なもので、アンドリューも地元住民の殺害に加担させられる立場に追い込まれていく。似たような違法行為を告発しようとしたプエルトリコ人の同僚は粛清され、アンドリューも自分の命が危うくなっていることを感じ、思い描いていた正義を貫くことはできなくなっていく。

地元住民殺害に積極的に関わっていたひとりは、アンドリューに「良心の空砲」というエピソードを語る。これはかつて裏切り者のスパイを殺す時に、銃殺隊の銃の中に一丁だけ空砲の銃が仕込まれていたことからきている。そうすれば銃殺隊は誰が空砲を撃ったのかはわからない。もしかすると自分が空砲だったかもしれないと思うことで、銃殺隊の精神的負担が緩和されるということだろう。

このエピソードによって彼が示そうとしたのは、軍隊はチームだから、ひとりだけその責務を逃れることはできないということであり、みんながチームとなってやったことだと思えば、それぞれの負担は軽くなるということだったのだろう。

何となく説得的な言葉にも思えるのだが、その裏にはアンドリューも犯罪行為に巻き込んでしまえば、告発などできないだろうという犯罪者の心理が垣間見える。処刑というのは必要悪と言えるのかもしれないが、非戦闘員である地元住民を殺害するのは卑劣な犯罪だからだ。チームの連中は当然それを理解している。その罪悪感がアンドリューが手を汚さないのを許さないのだ。銃殺隊がチームなのは個々の精神的負担の軽減のためだが、キル・チームが例外を許さないのは口封じのためでしかないのだ。

(C)2019 Nostromo Pictures SL/ The Kill Team AIE / Nublar Productions LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

声なき声

軍隊内部のスキャンダル(?)を描いた作品としては、『カジュアリティーズ』『プラトーン』などが思い浮かぶ。この二作品は共にベトナム戦争時代の米軍の話だが、『ゆきゆきて、神軍』では第二次大戦時の日本軍でのスキャンダルが描かれていた。

『ゆきゆきて、神軍』でも、当事者たちはそうした過去について語りたがらなかったように、部外者に知られてはまずいことがあったとしても当事者が墓場まで持っていってしまうことも多かったのだろうし、声を上げようとしても途中で揉み消されたりしたケースも多かったんだろうと思う。

ちなみに付け加えておけば、本作のディークス軍曹は事件によって終身刑となったようだ。残虐に地元住民を殺害していったディークス軍曹だが、同時に息子を愛する子煩悩な父親でもあり自分の歪んだ正義を信じていた人物でもあった。そんなわけで、戦場という非日常的で特殊な空間に置かれることが人を何かしらの狂気に駆り立ててしまうということのほうを問題視すべきなのかもしれないとも思え、『人間の條件』ではないけれど「戦争はいやだ」ということを改めて感じた作品だった。

created by Rinker
コロムビアミュージックエンタテインメント

コメント

タイトルとURLをコピーしました