『聖なる犯罪者』 矛盾なく成り立つ善と悪?

外国映画

監督は『リベリオン ワルシャワ大攻防戦』『ヘイター』ヤン・コマサ

脚本は『ヘイター』でもコンビを組んだマテウシュ・パツェビチュ

アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされたポーランド映画。

原題は「Boze Cialo」で、「聖体の祝日」というカトリックの祝日。

物語

意気がって人を殺してしまったダニエル(バルトシュ・ビィエレニア)は、少年院でキリストの教えを知り、聖職者になりたいと考えるようになる。しかし、前科者は神学校には入れないとされていたため、あきらめざるを得なかった。

その後、少年院を仮出所したダニエルは、指定された職場には行かずに教会を訪れる。そこで出会ったマルタ(エリーザ・リチェムブル)に「司祭だ」と冗談混じりに言ったところ、たまたま偶然が重なって本当の司祭だと勘違いされてしまう。ダニエルは行きががり上アル中で説教壇に立てない神父の代理を務めることになるのだが……。

型破りで率直な神父

ダニエルは突然神父の代理となり、キリスト教についての薫陶を受けたトマシュ神父の真似事からスタートするのだが、そこから先は彼の自由な解釈でキリストの教えを教区の村人たちに伝えていくことになる。

ダニエルは説教壇で神に対して「評価するのではなく、理解して欲しい」などと語る。また、神の為すことの理不尽さには怒りを露わにしたりもする。これは正統な教えを学んできた神父からすると問題のある言動ということになるのかもしれない。

それでいて「祈りは神との対話」であるとか、「赦しとは愛」であるといったキリストの教えのエッセンスは押さえているようでもあり、ダニエルが吐露したような神に対する考え方は、村人たちにとって親しみやすいものと感じられたのかもしれない。そんな彼の型破りで率直なところは、次第に村人たちからの信頼を勝ち得るようになっていく。

(C)2019 Aurum Film Bodzak Hickinbotham SPJ.- WFSWalter Film Studio Sp.z o.o.- Wojewodzki Dom Kultury W Rzeszowie – ITI Neovision S.A.- Les Contes Modernes

村に起きた悲劇

村では一年前にある悲劇があった。二台の車が衝突した交通事故によって、村人七人が亡くなったのだ。しかし、教会近くの献花台には、若者六人の遺影しか飾られていない。遺影がない一人は、若者たちとは別の車の運転手で、彼はかつてアル中だったこともあり事故を引き起こした殺人者として罵られている。運転手の位牌は村の墓地に埋葬することも禁じられ、運転手の未亡人であるエヴァも同様に非難され、今でも村八分の状態にあるのだ。

こうした対処の仕方は、神父と村長が事を収めるために決めたことなのだ。それによって運転手と未亡人が犠牲になるかもしれないが、若者たちの遺族の気持ちは収まるだろうという判断だったのかもしれない。

神父代理であるダニエルはそんな村の問題に、彼なりのやり方で対応していく。彼が調べた限りでは、六人の若者と対向車に乗っていた運転手のどちらにも事故を起こした可能性があることが判明する。若者たちはクスリでハイになっていたことがわかり、運転手は奥さんとのケンカで自暴自棄になっていたかもしれないからだ。実際の事故の原因はわからないわけだが、どちらかが一方的に悪いとは言い切れないわけで、エヴァが村八分にされているのは不当なものだったのだ。

ダニエルはエヴァに対して罵倒する手紙を送りつけた多くの村人たちの態度を非難し、理不尽に周囲から苦しめられているエヴァを擁護する。そのことがきっかけとなって村の中に生じていた対立の空気は解消されていくことになるのだ。

(C)2019 Aurum Film Bodzak Hickinbotham SPJ.- WFSWalter Film Studio Sp.z o.o.- Wojewodzki Dom Kultury W Rzeszowie – ITI Neovision S.A.- Les Contes Modernes

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聖人なのか悪人なのか

ダニエルという主人公には二面性がある。少年院では仲間たちとひとりのターゲットをリンチしようともしているのだが、同時にトマシュ神父の助手として積極的にミサに参加してもいる。イエス・キリストの存在に感化されているのは事実で、部屋でひとり祈りを捧げる姿には真摯なものを感じさせるのだが、その一方で欲望には素直で、酒もタバコも女さえ制限するつもりもないようだ。イエスを敬愛する気持ちは本物なのだが、かといって禁欲的で模範的な信徒として生きるつもりもないのだ。

そんなダニエルが神父になりすますのは、神父という立場がもたらす利得にあったわけではない。もともと聖職者になりたかったダニエルは、お布施などの使い道に関しても真摯に村と教会のことを考えていて、神父代理としての役割を懸命に果たそうとしているのだ。その一つの成果がエヴァに救いの手を差し延べたエピソードになるだろう。

後半では、ダニエルは偽神父だったことがバレてしまい少年院に逆戻りすることになるのだが、そこでのラストはちょっと意外なものだったかもしれない。ダニエルは彼が殺してしまった少年の兄・ボーヌスにつけ狙われており、少年院で決闘することになる。キリスト教の教えからすれば「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」ということになるはずだが、ダニエルは決闘相手のボーヌスを返り討ちにしてしまうのだ。

(C)2019 Aurum Film Bodzak Hickinbotham SPJ.- WFSWalter Film Studio Sp.z o.o.- Wojewodzki Dom Kultury W Rzeszowie – ITI Neovision S.A.- Les Contes Modernes

善魔とカラマーゾフ

聖人のようにも悪人のようにも感じられるダニエル。このキャラクターの造形から思い浮かべたのは、先日たまたま観た『善魔』(U-NEXTにて配信中という作品のことだった。これは木下惠介監督の1951年の作品で、三國連太郎がデビューした映画だ。ちなみに三國連太郎は『善魔』における役名を自分の芸名にしてしまったということで、それほどこの役柄が気に入っていたのだろう。

“善魔”とは何か? 世の中では悪が蔓延り、善は悪に太刀打ちできない。そんな中で善を貫くためには、時として悪魔のようなしぶとさや厳しい側面が善にも必要とされる。そんな悪魔のような側面を持つ善を“善魔”と呼ぶのだ。

『善魔』の主人公・三國連太郎は誠に立派で善意の人だ。しかし、それが度を越してくると悪魔のような面が顔を出してくる。三國は自分の尊敬していた上司のことを倫理的な問題で手酷く否定することになる。厳しい倫理観を押し付けられる側ははた迷惑かもしれないが、世の中で善を貫いていくためには、そんな悪魔的な強さも必要となるということなのだろう。

『善魔』の三國連太郎というキャラは、どこかドストエフスキーの登場人物のような雰囲気が感じられなくもない。実際の影響関係は不明だが、ここで私が念頭に置いているのは『カラマーゾフの兄弟』の続編に関してだ。

もちろんこれは作者であるドストエフスキーの死によって書かれることがなかった作品だ。それでも続編の構想に関しての噂は残っており、そこでは『カラマーゾフの兄弟』の主人公であるアリョーシャが皇帝を暗殺しようとするテロリストになるとされる。アリョーシャは「だれからも愛される、心優しい、若き聖人」として登場するわけだが、そんな修道僧アリョーシャが続編ではテロリストに変貌してしまうというのだ。

これは仮説にすぎないわけだが、『カラマーゾフの兄弟』の序文には続編のことが書かれており、説得力のある説となっている(これに関しては、『カラマーゾフの兄弟』の翻訳者でもある亀山郁夫『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』に詳しい)。アリョーシャの意外とも言える変貌も、善を貫くために悪に手を染めるということなんじゃないだろうか。

矛盾なく成り立つ善と悪?

そんな意味で『聖なる犯罪者』のダニエルはとても興味深いキャラクターだった。ダニエルは人を殺した犯罪者であり、それを深く反省しているようにも見えない。しかしながらイエス・キリストへの想いは真摯なものがある。

同じように、クラブで音楽を聴きながら踊っている時のダニエルのぎらついた目と、神父の服装でキリスト像を見上げる時の穏やかで優しそうな目は、まったく別人のそれに見える(ダニエルを演じたバルトシュ・ビィエレニアの格闘家のような風貌もインパクトがあった)。

しかしながら、ダニエルにとってはそれは善と悪のような二面性ではないのだろう。欲望には素直になることは当然だし、誰もできないことを成し遂げたイエスを信じることもまたダニエルにとってはごく自然のことなのだ。二面性にも見える両極端な顔も、ダニエルにとっては矛盾なく成り立つことなのだ。

そして、ダニエルは単なる善意の人ではなかった。自分の信じることを貫く強さを兼ね備えていた。そうでなかったらダニエルは村の問題を解決することなどできなかっただろう。村長に事故について探るのを止められた時も、ダニエルは「権力者はあなただが、正しいのは私だ」と言い放って村長を退けた。少年院の仲間が偽神父であることをバラすと脅してきた時も、それに屈することもなかった。ダニエルが単なる善意の人だったとしたら、自分が善だと信じることを貫き続けることは難しかっただろう。

ラストの決闘で相手を返り討ちしてしまうのも、そうした意味で自分なりの善を貫こうという意志だったように思えた。暴力に訴えるのはやりすぎだとしても、そうした強さがなければ善は悪に太刀打ちすることができないのかもしれない。

監督のヤン・コマサにとって本作は3作目。前作の『リベリオン ワルシャワ大攻防戦』U-NEXTにて配信中)は母国ポーランドでは大ヒットを記録したらしい。この作品は『プライベート・ライアン』のような陰惨な戦闘シーンを描きながらも、若者たちの瑞々しい恋愛模様を描く青春映画の雰囲気も兼ね備えた作品だった(若手女優二人がどちらも優劣付け難く美しかった)。さらに4作目の最新作の『ヘイター』Netflixにて配信中とのことで、これまた若手の注目株が登場したようだ。

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