『あなたの名前を呼べたなら』 未亡人となったら終わり

外国映画

脚本・監督はこれが長編第1作だというロヘナ・ゲラ

カンヌ映画祭批評家週間に出品された作品。

原題は「Sir」

物語

ラトナ(ティロタマ・ショーム)はムンバイの高級マンションでメイドとして働いている。雇い主である建設会社の御曹司アシュヴィン(ヴィヴェーク・ゴーンバル)は結婚が決まっていたのだが、婚約者の浮気によってそれが破談となってしまう。傷心のアシュヴィンは広すぎるマンションで孤独に過ごし、ラトナは甲斐甲斐しく食事や身の回りの世話をしている。

突然の婚約破棄でふたりで暮らすことになったアシュヴィンとラトナだが、あくまでもラトナは「召使い」という位置づけだ。アシュヴィンは特別尊大な態度ではなくとも、彼女と目を合わせることもなく過ごしている。それでも次第にふたりは会話を交わすようになり、自分のことを相手に話す時間を持つことに……。

インドの身分制度

舞台となるムンバイは高層ビルがあちこちに建設中という発展著しい都市のようだ。しかし、そんな都会に住む人々のなかでも長年の慣習は変わらないものがあるようで、すでに1950年代に廃止されたカースト制度の名残のようなものを感じさせる。

御曹司のアシュヴィンと召使いのラトナにどのような身分の差があるのかはわからないが、劇中では「都会」と「田舎」、「富裕層」と「貧困層」という具合に分けられていることは見て取れる。アシュヴィンがジーンズなど西洋風のファッションなのに対し、ラトナは民族衣装サリーを着ているのも、「今風な人」と「古風な人」という差なのかもしれないのだが、その一方でラトナは服飾店で警備員に追い出されるエピソードもあったりして、ラトナが被差別者の側にいるということも垣間見させている。

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インドの高等遊民?

アシュヴィンは父親の会社を引き継いでいるらしく、一応仕事はしているものの普段はあくせく働いている様子ではない。父親からは仕事の進行具合を心配されていても、友人とスカッシュなんかで楽しんでいるお坊ちゃまなのだ。

仕事に身が入らないのは、その仕事が亡くなった長男が受け継ぐものだったからということもある。アシュヴィンはアメリカでライターの仕事を始めていたところを、長男の代わりとして父に呼び戻されたのだ。

そんなわけでアシュヴィンは夏目漱石が描いた高等遊民みたいにも見える。漱石が描く書生にはお手伝いのおばあさんがついていたが、アシュヴィンにとってはそれがラトナとなる。ただ、彼女は未亡人とはいえ、まだまだ若いものだからちょっと奇妙にも感じられる。

アシュヴィンの家にはアシュヴィンの母親や姉も出入りしているにも関わらず、若い男と一緒に暮らしている召使いのラトナのことを気にかける様子もないのだ。多分、それほどインドにおける身分の差というものは大きいものであって、ふたりの間柄が恋愛めいたものに発展することなど考えたこともないのだろう。

※ 以下、ネタバレもあり!

(C)2017 Inkpot Films Private Limited,India

未亡人となったら終わり

インドでは夫が死ぬと、その未亡人は後追い自殺をしなければならないという慣行があったらしい(「サティー」と呼ばれるもの)。もちろん今ではそんなことはないようだが、ラトナ自身も「村では未亡人になったら終わりです」とも語っている。未亡人は結婚式で花嫁に会うことも禁止され、アクセサリーをつけるのも禁止される。ましてや再婚するなどもってのほかということらしい。

ラトナは19歳で結婚したのだが、旦那はわずか4カ月で亡くなってしまったということ。それでもラトナは旦那の家に嫁いでいるということは変わらず、一生それがつきまとう。召使いの仕事をしているのは口減らしということらしい。旦那の家族にとって未亡人は邪魔でしかないということなのだろう。

身分違いの「禁断の恋」

同じマンションのなかにいながらも、アシュヴィンとラトナのふたりの間には壁があることが劇中では繰り返し示されている。アシュヴィンは広いリビングで大画面テレビを見ていても、ラトナは納戸のような狭い部屋で小さなテレビを見ている。食事もアシュヴィンはナイフやフォークを使っても、ラトナはキッチンの床に座り込んで指を使って食べている。ふたりのなかでは感情を通じ合うところもあったのかもしれないのだが、昔ながらの風習が残るインドではそれを最後まで押し通すことはまだ難しいようだ。

ラストではふたりがアメリカという新天地に渡る可能性を匂わせてもいる。ファッションデザインの仕事をしたいラトナと、ライターという夢を抱いていたアシュヴィンにとっては窮屈なインドよりも希望があるのかもしれない。

カンヌ映画祭に出品されたという事前情報からアート系なのかと勝手に思っていたのだが、ヒンズー教のお祭りでみんなが踊り出すというシーンもあったり、使用される音楽もポップなものだったりして、エンターテインメントの色合いも感じられる。

差別に対する異議申し立ても感じられるのだが、その一方でご主人さまとメイドの「禁断の恋」というネタは結構ベタだった。ラトナが「Sir」と呼ぶしかなかったアシュヴィンを、初めて名前で呼ぶところで終わるところはロヘナ・ゲラ監督のロマンティストぶりを感じさせた。

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