『アムステルダム』 そこには何があったの?

外国映画

監督・脚本は『アメリカン・ハッスル』などのデビッド・O・ラッセル

主役の3人はクリスチャン・ベールマーゴット・ロビージョン・デビッド・ワシントンだが、そのほかの出演陣がかなり豪華。ラミ・マレックロバート・デ・ニーロクリス・ロックアニヤ・テイラー=ジョイゾーイ・サルダナマイク・マイヤーズマイケル・シャノンテイラー・スウィフトなどが顔を揃える。

大物の死と巻き込まれ型主人公

主人公であるバート(クリスチャン・ベール)は医者だ。彼は友人の弁護士・ハロルド(ジョン・デビッド・ワシントン)に呼び出される。そこで待っていたのはある人物の遺体だ。その人物・ミーキンスは、第一次世界大戦時にバートたちの上官だった大物だ。彼はどうやら殺されたらしい。バートはその遺体の解剖を彼の娘リズ・ミーキンス(テイラー・スウィフト)から頼まれたのだ。殺された証拠を探るために……。

バートは解剖については素人らしく、イルマ(ゾーイ・サルダナ)の力を借りてそれをやり遂げるのだが、胃の中には予想通り毒物が発見される。その解剖結果を知らせるために、依頼人であるリズのところへ赴くと、リズは何者かに突き飛ばされ道路に倒れ、そのまま事故死してしまう。ミーキンスは何らかの秘密を握ったため殺され、さらにはそれを調べようとした娘まで殺されたということになる。

ところがリズを殺した下手人は、バートとハロルドが犯人だと騒ぎ出し、二人はいつの間にか殺人の容疑者として警察に追われることになってしまう。

(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.

陰謀論の存在

何が起きているのかはわからないけれど、何かしらの大きな陰謀が背後にあることはわかる。バートたちはこれを調べていくことになる。ここで描かれている出来事は「ほぼ実話」だとされている。英語版のウィキペディアには「ビジネス・プロット」という名前で記載があるが、これは退役軍人たちを組織し、ルーズベルト大統領政権を転覆して独裁者を据えようとしたという出来事だったとされる。

この出来事に関わる重要人物は、独裁者として担ぎ出されることになったスメドリー・バトラーという人物であり、劇中ではロバート・デ・ニーロが演じるギル・ディレンベックとして登場する。

バトラーが議会で証言したことは歴史的事実である。ただしバトラーが証言したような陰謀があったとしても、それがどこまで差し迫った出来事だったのかというと疑問もあるようだ。誰かが「荒っぽい計画」を立て、何かしらの議論がされていたとまでは言えるけれど、それが現実味を帯びていたかどうかはあやしいらしい。それでも『アムステルダム』ではそれが事実であったとして描かれていくことになる。「ほぼ実話」という遠慮気味の言い方は、事実に基づいているとは言い難いからということらしい。

(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.

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豪華な役者陣の会話劇

デビッド・O・ラッセルの過去作品のレビューを読み返してみると、とてもテンポがいいと書いてあるのだが、本作はどうにもテンポがよくないように感じられる。導入部は決して悪くはないのだが、そこから時間を遡ってバートとハロルドの出会いや、もう一人の仲間ヴァレリー(マーゴット・ロビー)との結束が描かれる。そこから再び元のところへ戻ってきてバートとハロルドが陰謀について調べ始めると、そこで二人は10年も疎遠だったヴァレリーと再会することになる。過去と現在を行ったり来たりして話はなかなか前に進まないし、ようやく現在時(第一次世界大戦の後)に戻ってきても、陰謀の全貌はなかなか見えてこないのだ。

最終的に三人がたどり着くのは、アメリカにおいて富裕層がヒトラーの代わりを作ろうとしていたという嘘みたいな話なのだ。そのこと自体はそれなりに意外性はある。というのも、本作はその陰謀を企てた側からは描かれていないからだ。富裕層がルーズベルト大統領の政策に対して不安を抱いていたということが背景にはあったようだが、そのあたりは本作では描かれることはないわけで、意外なところにたどり着いた感はある。

それでもそこまでの過程がよくない。映画としてはほとんどが会話劇に終始するし、興味を惹くような突拍子もないキャラクターもいないし、スター俳優の顔ばかりに頼っていて単調さは否めないのだ。もちろん豪華な役者陣は見どころなのだけれど、話がまったくハネてこない感じで退屈なのだ。

(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.

そこには何があったの?

タイトルが「アムステルダム」となっているのはなぜか? 戦場で出会った三人は何者でもない状態でアムステルダムで自由を謳歌した。

ヴァレリーは家族から逃れるために偽名だったし、バートとハロルドは戦争で傷を負った元兵士という名前がない存在だった。だからこそ三人はアムステルダムという土地で心おきなく楽しむことができた。

それでもバートにはアメリカに妻がいたし、医者という仕事もあった。ハロルドはアメリカで弁護士として働きたいという気持ちもあった。だから二人はアメリカへ戻ることになったわけだが、それによって事件に巻き込まれることになる。

そしてヴァレリーにとってはアメリカに戻ることは、家族のいざこざに巻き込まれることだったようだ。ヴァレリーの家は保守的な富裕層として政権の転覆を狙っていた側にいて、前衛的アーティストだったヴァレリーが邪魔だったからか薬を盛られていたことも明らかになる。

三人はアメリカに戻るとそれぞれ立場もあるし名前のある存在になるわけで、それに縛られていくことになる。あのアムステルダム時代のような自由な時間は二度と戻ってくることはないのだ。

本作において中心となる出来事とアムステルダムは何の関係もない。それでもタイトルとしてそれが選ばれているのは、監督がそこに何らかの希望を見出しているということだろうと推測されるわけだけれど、それがどんな希望なのかはよくわからないし、本作において回り道でしかなかったアムステルダムのエピソードが急に称揚されることになるのも説得力に欠ける。

また、本作では「必要ではなく選択することが大事」だとされる。これは結婚についてで、バートは一人では寂しいからという理由から必要に迫られて奥さん(アンドレア・ライズボロー)と結婚することになったけれど、最終的にはイルマを選択することになるという展開に結び付く。この選択というテーマももっと掘り下げることができたかもしれないのだがサラッと触れられるだけで中途半端に終わっている。

デビッド・O・ラッセル監督の『アメリカン・ハッスル』『世界にひとつのプレイブック』などはおもしろかったし、あまり出来がよくなくて自分の名前を掲げることをイヤがったとされている『世界にひとつのロマンティック』でさえもっと笑えたかもしれない。それらの過去作品と比べると、本作はちょっと残念な出来だったと言えるかもしれない。監督のデビッド・O・ラッセルと、主演のクリスチャン・ベールが5年の歳月をかけて練り上げてきたようなのだが、結局は豪華なスター陣の出演ばかりが目立つばかりで何か空回りしている。久しぶりの作品で力みすぎたというところだろうか?

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