『約束の宇宙そら』 近くて遠い場所

外国映画

監督・脚本は『ラスト・ボディガード』などのアリス・ウィンクール

音楽は坂本龍一が担当している。

原題は「Proxima」。

物語

フランス人宇宙飛行士のサラ(エヴァ・グリーン)は、ドイツの欧州宇宙機関(ESA)で、長年の夢だった宇宙へ行く事を目指して、日々訓練に励んでいる。物理学者の夫トマス(ラース・アイディンガー)とは離婚し、7歳の幼い娘ステラ(ゼリー・ブーラン・レメル)と2人で暮らす彼女は、「プロキシマ」と名付けられたミッションのクルーに選ばれる。大喜びのサラだったが、このミッションに旅立てば、約1年もの間、娘と離れ離れになる。ステラを残し宇宙へ飛び立つまでに2ヶ月しかない。過酷な訓練の合間に、娘は母と約束する「打ち上げ前に2人でロケットを見たい」と。母は約束を果たし、無事に宇宙へ飛び立てるのか。

(公式サイトより抜粋)

母と娘の物語

予告編をちょっとだけ観て、勝手にSF的作品なのかと勘違いしていた。娘のステラが「ママは私より先に死ぬの?」などと訊ねていたからで、光速で進む宇宙船に乗って戻ってくることで、年齢が逆転するといったSF的設定なのかと思っていたのだが、それは大いなる勘違いで、『約束の宇宙そらはもっと現実的な宇宙飛行士の話となっている。

本作の設定では人類はすでに火星に向かおうとしていることになっていて、そのための最後の訓練を「スターシティ」という宇宙飛行士たちが集まる場所で行うことになる。その後に主人公であるサラ(エヴァ・グリーン)は宇宙に行くわけだが、火星に行く前に国際宇宙ステーションでその前段階の準備をするらしい。まだまだ火星は遠いらしいのだが、それもまたリアルな宇宙飛行士映画ということなのだろう。

ちなみに原題は「Proxima」で、これは太陽系に最も近いとされている恒星のこと。この距離感が主題と関わっているからだろう。「最も近い」とされている恒星なのに、地球からの距離は4.2光年で、ウィキペディアの記載によれば「数世紀以内という太陽系外惑星としては比較的現実的な期間で探査が可能」とのこと。つまり現実的にわれわれがProximaに行くことは到底無理な距離なのだ。近いけれども遠いという感覚なのだ。

サラは宇宙に飛び立つ前の訓練で、初めて娘と離れることになる。宇宙に行ってしまえば、最低でも1年は会えないことになるわけだが、訓練施設も飛行機で行くほど遠い場所にある。それまで離れて暮らしたことがなかった母と娘は初めて距離を感じることになる。宇宙ほどは遠くないけれど、訓練施設もふたりにとっては十分に遠い場所ということになる。そんな「近くて遠い場所」が「Proxima」というタイトルの示すものなんじゃないだろうか。

(C)Carole BETHUEL (C)DHARAMSALA & DARIUS FILMS

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推進力と抑制力

監督のアリス・ウィンクール『裸足の季節』という作品の脚本を担当していた人。『裸足の季節』はトルコというイスラム圏の作品で、女性の自由がかなり制限される場所でありながらも、少女たちが自由を求める姿を描いた作品ということになるだろう。

本作もサラという女性宇宙飛行士が男性が多い社会で奮闘する姿を描いていく。エンドロールにおいては、現実世界で活躍した女性宇宙飛行士たちのことが紹介される。そこの中には日本人の山崎直子さんの姿も登場する。サラというキャラはそうした人たちをモデルとして生み出されたのだろう。現実の女性宇宙飛行士も山崎さんを含め子供を持つ母親も多いようで、サラと同様の苦労があったことが推測される。

サラの同僚のマイク(マット・ディロン)は、サラが女性であることから、訓練に耐えることはできないと決めつけ、彼女を観光客扱いしてきたりもする。宇宙飛行士の訓練は確かに男性にとっても大変なことで、サラはそんな彼らと互角に渡り合わなければ認めてもらえないのだ。

しかし、それと同時にサラにとって娘のステラ(ゼリー・ブーラン・レメル)のことも頭から離れない。マイクなどは家庭を守る奥さんが子供の面倒をしっかり見てくれるわけだが、シングルマザーのサラは別れた夫トマス(ラース・アイディンガー)に託すしかない。サラと同様の仕事をしていて忙しいトマスがステラのことを世話できるのかも心配だし、ステラが転校して新しい環境でうまくやっていけるかなど、悩みの種は尽きないからだ。

そんな意味で本作は宇宙へと向かう推進力よりも、娘を置いていかなければならないという抑制的な力のほうが強調されているのかもしれない。

(C)Carole BETHUEL (C)DHARAMSALA & DARIUS FILMS

約束の宇宙?

宇宙飛行士は国際宇宙ステーションに行く前には一定期間隔離して有害な菌を除去するらしい。アポロ11号の月面着陸を描いた『ファースト・マン』でも、宇宙から帰ってきた主人公はしばらく隔離されることになっていたが、その逆も同様らしい。というのも国際宇宙ステーションに菌を持ち込んでしまうと、閉鎖された空間で感染が拡大してしまう可能性があるからだ。

サラはそうしたルールを知っていながらも、隔離施設から抜け出してまでして、ステラとの約束を果たすことになる。それほどまでに娘との約束は大事ということなのかもしれないのだが、その行動には色々と問題がありそうだ。

サラは出発前にヨードチンキ(?)か何かで全身を消毒していたようだが、それだけで菌がすべて除去できるなら隔離などしないわけで、ルールを無視してほかの人を危険にさらしているように見えてしまうのだ。

前半にはもう一つの約束が描かれていて、サラがステラの元に帰れなかった代わりに、訓練施設にステラを招待して穴埋めをすることになる。このレベルならば、「女性が働きやすい職場環境」といった名目でも問題ないのかもしれないが、隔離を抜け出しておいて知らん顔というのにはちょっと疑問を感じてしまった(そこに主眼があるわけではないとは思いつつも)。新型コロナで感染症の怖さを改めて知ることになった今だからこそ余計にタイミングが悪いような……。

(C)Carole BETHUEL (C)DHARAMSALA & DARIUS FILMS

本作ではマイクに「完璧な宇宙飛行士などいない」などと言わせつつも、観客として宇宙飛行士を見ているとほとんど完璧な人間に見えてくる。訓練に耐え得る体力は尋常ではないし、物理学の専門家でもあったりして頭脳も明晰だ。しかもみんな語学が堪能で、訓練施設では英語・ロシア語やフランス語なんかも飛び交っていて、さらには詩を吟じたりもする。何でもできる人でなければ宇宙飛行士にはなれないということらしい。サラも完璧主義者なのだろう。だからこそ約束を果たすために無理をしてしまったわけだけれど……。

男性宇宙飛行士役のマット・ディロンなどは肉体的にハードな実際の訓練をするシーンはない一方で、サラを演じたエヴァ・グリーンだけがすべてをこなしている。その鍛錬された肉体美を強調するかのような裸のシーンがあるのも、宇宙飛行士の完璧さを示しているようでもあった。

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