『愛がなんだ』などの今泉力哉の監督作品。
新型コロナの影響で公開が延期されていた作品で、実際には今年2月に公開になった『あの頃。』よりも前に完成していた作品らしい。
物語
下北沢の古着屋で働いている荒川青(あお)。青は基本的にひとりで行動している。たまにライブを見たり、行きつけの古本屋や飲み屋に行ったり。口数が多くもなく、少なくもなく。ただ生活圏は異常に狭いし、行動範囲も下北沢を出ない。事足りてしまうから。そんな青の日常生活に、ふと訪れる「自主映画への出演依頼」という非日常、また、いざ出演することにするまでの流れと、出てみたものの、それで何か変わったのかわからない数日間、またその過程で青が出会う女性たちを描いた物語。
(公式サイトより抜粋)
「猫に時間の流れる」
下北沢を舞台にした会話劇で、いわゆる出来事らしい出来事はほとんどなく、他愛ない日常が綴られていく130分。『街の上で』を観ていた時に思い浮かんだのは、「猫に時間の流れる」という言葉で、これは某作家の小説のタイトルだが、本作に描かれる下北沢という街もそんな自由でゆったりとした時間が流れているように感じさせる。
主人公・青(若葉竜也)は古着屋の店員だが、そこで何をしているのかと言えば、店番をしながら読書をしている(『金沢の女の子』という赤い本は実在するんだろうか)。そして仕事が終わって気が向くと、ライブハウスで音楽を聴き、バーに寄って一杯やって帰る。すべてが下北沢の中だけで完結する、そんな自由で気ままな生活を送っている。
ほかの登場人物も古本屋の店員や、自主映画を製作している学生など、生活にあくせくしている人物はいない。下北沢はライブハウスや古着屋があり、小劇場も集まっていることから“文化の街”とされるらしい。文化の担い手となるような人はあくせくしてないのかもしれない。
劇中に登場する飲食店やバーなども実在する店のようだ。本作に描かれているそれがどれほど現実を反映しているのかはわからないけれど、とりあえず『街の上で』のそれらはのんびりとした優雅な時間が流れているように見えるのだ。
青はかつては音楽を志していたようだが、現在では何を目指しているのかわからない。劇中では自主製作映画の面々の間で映画に関する議論が交わされているものの、青はそうしたことにはあまり関心がなさそうだし、読書をしてはいても何か書こうとしているわけでもなさそうだ。
何となくブラブラしているといった感じなのだが、古着屋の店頭で読書する姿はひどく落ち着いていて、充実した自分の時間を過ごしているように見える。忙しなく生きている人の姿が目立つ東京にありながら、本作における下北沢では別の時間が流れているように感じられるのだ。
記録と記憶
「誰も見ることはないけど、確かにここに存在している」というのが本作のキャッチコピーだ。これは自主製作映画に使うはずだった青の映像のことを示している。あまりにその演技がヘタだったものだから、青の読書する姿が気に入って映画に誘ったと思われる監督の町子(萩原みのり)もNGにせざるを得なかったのだ。つまり使い物にならなかった幻の映像ということになる。
本作は映画のワンシーンのように記録されて残るものと、人々の記憶の中に残るもの、その両方が意識されているように思えた。喫茶店のマスター(芹澤興人)が映画や漫画などの文化を褒めたことに対して、青は「街もすごくないですか。変わっても、なくなっても、あったってことは事実だから。」と街のことを持ち上げる。
それでもその街のすべてを記録することは難しい。ある時期の街の姿を切り取ることはできる(本作や劇中にも登場する魚喃キリコの漫画『南瓜とマヨネーズ』のように)。しかしそれは街の変化によって過去のものとされていく。そんな街の姿がどこに残っているのかと言えば、その街に住む人々の記憶の中ということになるんじゃないだろうか。
さらにそれは街だけではなくて、亡くなった人も同様だろう。古本屋の店主はある日突然亡くなったらしく劇中には一切登場することがないが、店主の話題はあちこちで顔を出す。留守番電話に残されていた店主の声は、実は彼と不倫の関係にあった古本屋の店員・冬子(古川琴音)を不意打ちして泣かせることになったりもするが、店主のことは形ある記録よりも人々の曖昧な記憶の中に刻まれているのだ。
イハ(中田青渚)が完成した自主製作映画の中に青のカットが残っていたと嘘をついたのは、こうしたことと結びついているのだろう。青とイハはちょっとだけいい関係になりそうになるわけだけれど、それは最後に青と雪(穂志もえか)が復縁してうやむやな形になる。それでもイハはわざわざ古着屋まで出向き、青の様子を伺いに来た。ここで初めてイハの中に青の読書する姿が刻み込まれたんじゃないだろうか。映画撮影時の酷い演技の記録とは別の、青の自然な姿の記憶が……。だから、「青のカットがあったよ」というイハの言葉は告白のようにも聞こえたのだ。
魅力を記録すること
『街の上で』のおもしろさは観た人の頭の中には記憶されているのかもしれないけれど、それを改めて言葉にして記録しようとすると何とも厄介な気もする。
本作は雪にフラれた青が新しい恋に向かうのかと思っていると、元の関係に収まって終わる。終わりのところで始まりに戻ってくるわけで、何も起きてないとすら言えるかもしれない。
けれども本作がおもしろいのはそうした部分ではないわけで、クライマックスと言えるかもしれないイハと青のやりとりを捉えた長回しも、良かったのはその微妙な空気感みたいなものだからだ。
初めて出会った女の子の家にその日のうちに上がり込んでしまうというシチュエーションは、青に淡い期待と同時に一抹の怖さを感じさせる。突然、誰かが訪ねてきたりとか、何かしらの罠が待っているんじゃないかという恐れもあるからだ。その先がどんなふうに転がっていくのかわからないまま、微妙な距離感を保ちつつ展開していく。まるでふたりきりの部屋を覗き見てしまったかのような感覚になり、いつまでもそれを見ていたくなるのだ。
とにかくひとつだけ確実に言えることは、一度本作を観た人は、もう一度『街の上で』を観たくなってしまうだろうということだ。本作はそんな魅力に溢れている。
役者の解釈を優先し自由にやらせる今泉演出があり、その中心に『愛がなんだ』のダメなキャラクター(“仲原青”という役名だったらしい)を引き継いだような青を演じた若葉竜也が据えられ、“受け”のうまさで4人の若手女優の魅力を引き出している。
特にイハを演じて美味しいところを持っていった中田青渚は、本作の後に製作された『あの頃。』にも顔を出していた。『あの頃。』の役柄はあまり大きな役ではなかったにも関わらず、なぜか妙にクローズアップのショットがあって印象に残っていた。今から考えると、それは今泉監督からの本作の名シーンを演じきったことに対するご褒美みたいなものだったのかなとも思えた。
下北沢を舞台にして撮るということ以外は比較的自由に撮られたと思われる本作は、脚本にほかの人(大橋裕之という今泉監督がそのセンスを信頼している漫画家らしい)が参加していることもあってわかりやすいオチがついて笑える作品になっている。本作はその融通無碍な語り口も一段と磨きがかかってきた感じもあるし、さらに軽妙さも加わった気もする。昨年ベスト10に選んだ今泉作品『his』は泣かされたが、本作はもっと今泉印満載の映画になっていて今泉ファンにはたまらない作品になっていると思う。
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