『星の子』 つながりはいいか悪いか

日本映画

原作は芥川賞作家今村夏子の同名小説。

監督・脚本は『さよなら渓谷』『日日是好日』などの大森立嗣

物語

ちひろ(芦田愛菜)は生まれた頃とても病弱で、身体中にできた湿疹のせいで常に泣きじゃくり、家族はかわいそうで気が休まらないような日々が続いていた。

そんな時、藁にも縋る思いで試してみたのが、「金星の恵み」という特別な水で、それをちひろの患部につけると次第に湿疹は治癒していくことになる。それ以来、ちひろの父(永瀬正敏)と母(原田知世)は、「金星の恵み」という水を売っている新興宗教に入れ込むことになる。

時は流れ、中学生になったちひろは、未だに「金星の恵み」を飲み続け、風邪をひくこともなく健康に暮らしている。そして、数学教師・南先生(岡田将生)を好きになったちひろだが、その南先生に父と母が新興宗教の妙な教えを実践しているところを見られてしまう。

(C)2020「星の子」製作委員会

縋る思い

生まれたばかりの娘の肌が湿疹だらけで、泣きじゃくるわが子を前に親としては何もしてあげることができない。そんな状況になったとすれば、民間療法でも加持祈祷でも何でも試してみたくなるのが人の親というものだろう。ちひろの両親も縋る思いで「金星の恵み」という水を試してみたところ、なぜかそれが効果を表す。それがちひろの両親を信仰の道へと導く。

ただ、その宗教はあやしげな新興宗教で、「金星の恵み」以外にもちひろの父と母にあれこれと理由を付けて物を売りつけることになる。最初の水からしてどんな類いのものなのかはわからないわけだが、その後の様々な品物も傍から見ればうさんくさいものばかり。しかも教団は「金星の恵み」を浸したタオルを頭に乗せ、頭頂部からエネルギーを吸収させるとより効果的であるという教えを吹き込み、父と母はまるでカッパのような姿になっても律儀にそれを続けている。

そんな両親の姿を見て姉のまーちゃん(蒔田彩珠)は自分の家の異常さに気づき、その信仰に対して異議を唱えたりもするものの、敬虔な信者である父と母には理解されず、自分のほうが家を出ていくことになってしまう。ちひろもその信仰には疑いを抱いてはいるのだが、両親のことは大切に思っていて、家から逃げ出そうとまでは思っていないのだが……。

(C)2020「星の子」製作委員会

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世間とのギャップ

信じるものは人それぞれだし、それに関して他人がとやかく言う必要もないのかもしれない。ちひろがコンビニで買う水よりはちょっと高い「金星の恵み」という水を飲んでいたとしても誰からも非難されることはないし、両親が変な行動をしていてもそれだけでは問題視されることもない。それでもいつかはちひろも自分の家庭がほかと違っていることに気づくことになるだろう。

そして、それは残酷な形でやってくる。憧れである南先生に両親のカッパ姿を見られてしまい、さらに学校では南先生とちひろの関係性もネタになってしまったことから、南先生は両親やちひろを全否定するような言葉を投げかけることになるのだ。

教師でもあり好きな男性でもある南先生から否定されたちひろはさすがに愕然とする。人のいい両親は「ちひろの好きな人なら会いたい」などとも語っていたわけだけれど、その相手が両親を完全に否定しているわけで、ちひろの家族と世間の感じ方の違いに改めて気づくことになる。ちひろにとっては大切な両親も、南先生には夜中の公園でカッパの真似事をしているイカれた連中ということになるからだ。

(C)2020「星の子」製作委員会

静観か脱洗脳か

もちろん周囲はちひろの家族がちょっと変わっていることに気づいている。友人のなべちゃん(新音)は新興宗教のことを知りつつも静観しているが、雄三おじさん(大友康平)は積極的に介入してくる。深みにはまらないうちにちひろを親から離そうとするのだが、ちひろはそれに関してははっきりと断る。教団に対する疑問はあるが、それ以上に両親に対する思いがあるからだろう。

劇中で描かれる教団は傍から見たらあやしいのだが、本当のところはわからない。海路さん(高良健吾)と昇子さん(黒木華)という教団幹部はいつも笑顔を絶やさない。それが他人に対する優しさなのか、詐欺師のそれなのかを判断する材料はあまりない。

信徒が監禁されたりする事件が起きてるとか、そんな噂は色々出てくるのだがはっきりしたことは不明のままだ。教団の集会では不穏な部分もある。ちひろはいつまでも両親に会えない状況になり、何が起きてるのかという疑いは増していく。

しかし一方では、本作では唯一南先生が「イヤな奴」に成り下がっただけで、人のよさそうな登場人物ばかりなのだ。南先生にすべてを否定されて目に涙を浮かべているちひろを、なべちゃんとその元カレである新村くん(田村飛呂人)が慰めるあたりはほのぼのしていて心温まる瞬間で、教団のあやしさもそれが危なっかしいものだと決めつけるほど本作にギスギスしたものを感じさせるものはないのだ。

(C)2020「星の子」製作委員会

本作では、ちひろたち家族の行く末を明確に示すことはない。新興宗教に洗脳されて家族まるごと絡めとられることになるのか、ちひろだけはそこから抜け出すことになるのか。ラストでもその後に待ち受けるのがどんなことになるのかわからないし、どちらとも取れるようにも感じられる。

大森監督の前作『MOTHER マザー』はある事件に関して描かれるのだが、その事件に対する解釈は一切含まずに単なる実例報告としてあり、その解釈は観客に委ねられているように感じたのだが、本作のラストもそれをどんなふうに感じるのかは観客によって様々なのかもしれない。

つながりはいいか悪いか

ラストで両親とひちろは流れ星を見るために夜空を眺めている。流れ星は一瞬だから、三人同時に見ることは難しい。それでも三人は同時に流れ星を見るために座り続ける。

このラストシーンを見た時に、私は大江健三郎がどこかで語っていたことを思い出した。大江は信仰を持たない者として、西洋のキリスト教の信仰を羨望するようなことを語っていたと記憶している(テレビ番組だったような気もするが詳細は忘れたから不正確な引用かも)。

ここでの羨望というのは、宗教が社会的な紐帯になっていることに対してだったと思う。というのは一神教の神を信じる人は、みんなが神という同じ方向を見ているからだ。信仰を持たない者はそれぞれがバラバラの方向を見ているわけで、みんなが同じ方向を見ていることに対して羨ましいものを感じる。そんな意味合いだったと思う。

本作のちひろたちは、同時に流れ星を見ようと同じ方向を見つめている。多分、信仰心の強さは人それぞれだし、同じ流れ星を見られるかはわからないわけだが、三人が同じ方向を見ているという点ではそのことが三人の紐帯となっている。それは麗しいものであるかもしれないし、今後煩わしいものになるのかもしれないのだが、三人はそうした行為で結びついている。

どちらに転がるかは教団次第なのだが、両親の洗脳が解けるとは思えないわけで、あまり希望があるとは言えないのかもしれない。最初のきっかけがちひろの病気にあることを、ちひろは姉のまあちゃんから聞かされていた。そんなこともあり、まあちゃんがそうしたつながりを切って別の家庭を築いたようには、ちひろは両親とのつながりを切ることができないように思えるからだ。

主演の芦田愛菜にとっては『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』以来の主演作とのこと。あの頃はまだ子供がこしゃまくれた演技をしているといったふうだった(もっともそれだって難しいわけだが)のだが、本作では世間と両親への愛情との間で揺れる感情を繊細な演技で見せていたと思う。

また、黒木華が演じた教団幹部はその笑顔が人に安心感を与えるような自信に満ちていて、黒木華が『リップヴァンウィンクルの花嫁』などで演じていたキャラのぎこちない笑顔とはまったくの別物だったのも特筆すべきものがあったかも。

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コロムビアミュージックエンタテインメント
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