『82年生まれ、キム・ジヨン』 自戒を込めて

外国映画

韓国では130万部を超えるベストセラーとなった小説の映画化。

監督は演劇界で女優をしていた人物で、本作が長編デビュー作となるキム・ドヨン

主演は『トガニ 幼き瞳の告発』『新感染 ファイナル・エクスプレス』などのチョン・ユミで、その夫役には先の2作品でも共演しているコン・ユ

社会現象となった原作

2016年に発表された原作小説『82年生まれ、キム・ジヨン』は、韓国ではベストセラーとなり社会現象ともなった。この小説が描くのは韓国における女性に生きづらさのようなものだが、それが社会現象にまで発展するほど売れることになったのには、あるきっかけがあったらしい。

上の記事によれば、2016年5月に起きた「江南通り魔殺人事件」が韓国社会に及ぼした影響が、そのきっかけになったらしい。この事件では公衆トイレで若い女性が見ず知らずの男に殺害されたのだが、犯人は普段から女性に無視されていたことを逆恨みして犯行に及んでいたことが明らかになる。つまりは女性嫌悪(ミソジニー)が動機となっていたことになり、それに対して韓国の女性たちが連帯していくことなる。

この事件が女性に対するヘイトクライムだとする声がSNSなどで上がるようになり、被害者に対する追悼の呼びかけが広がり、事件現場近くでは何千枚ものメッセージと花などで埋め尽くされるほどになった。そうした中で出版された『82年生まれ、キム・ジヨン』は、女性たちの支持を集めることになり韓国でベストセラーになったということらしい。

この原作本の表紙は顔がない女性の絵が描かれている。これは主人公であるキム・ジヨンは特別な誰かではなく、それを手に取った読者自身だということを示しているのかもしれない。ちなみに82年に生まれた女性の中で最も多い名前がジヨンで、この主人公はどこにでもいる普通の女性のひとりなのだ。

(C)2019 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.

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ジヨンを追い詰めたもの

ジヨン(チョン・ユミ)は男性に負けじと仕事に励んでいたのだが、企業社会では女性は結婚と出産によって休暇を余儀なくされる部分で不利益を被る。仕事ができたとしても、プロジェクトのメンバーに選ばれるのは連続して長くそれに携わることができる男性社員ということになる。そんなこともありジヨンは結婚を機に会社を辞め、主婦として育児に専念する。

しかしキャリアをあきらめたということもあり、娘とふたりだけで家に閉じこもっていると、産後うつ的な気分に襲われる時もある。また娘を連れて街へと出てみれば、「ママ虫」などと陰口を叩かれたりもする。これは韓国のネットスラングで、旦那の給料で遊び回っている母親を侮辱する言葉らしい。

さらには旦那の実家との関係もジヨンを追い詰める。旦那の実家に帰省した際には、料理を作るために前日から働き通しで、朝も姑に合わせて早起きして準備に明け暮れる。そんな一日を送るうちに、過度のストレスがかかったのかジヨンはおかしなことを口走ることになる。

ジヨンは自分では気づいていないのだが、精神的に病んでいるところがあり、時に別人が憑依したような状態に陥る。しかもその症状が現れても、本人はそのことをまったく記憶していないらしい。

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この時他人の口を借りて言われるのは、本来はジヨンが言いたくても言えないことのようにも思えた。前回取り上げた『生きちゃった』では、日本人が「言いたいことが言えない」ということをテーマにしていたが、ジヨンも何らかのストレスによって参ってくると防衛機制が働き、自分の言いたくても言えないことを他人が憑依する形で言おうとしているようにも見えるのだ。

ジヨンが参っているのは韓国社会における性差別に対してである。企業社会内部での女性の扱いもそうだし、そもそも韓国の家父長制が未だに残る社会では、男性が常に優遇され、女性は脇に置かれる。ジヨンの家庭でも、とりわけ父親からは長男だけが特別扱いされ、次女のジヨンに関しては好きな食べ物さえも知らないという無関心ぶりで、女性がどんな扱いを受けているのかがよくわかるだろう。

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男性の無自覚な差別

とはいえ、そんな父親が意地が悪いというわけではなく、連綿と受け継がれてきた韓国の歴史がそういう状況を生んでいる。父親が母親から差別的な扱いを指摘されると反論せずに黙ってしまうのは、そんな指摘を受けること自体予想外のことで驚きだったからだろう。父親は無自覚にそうした差別をしているのだ。

それからジヨンの旦那のデヒョン(コン・ユ)だが、ジヨンのことを心配して精神科医に相談に出掛けたり、子育ても積極的に参加する旦那なのだが、そんな優しさだけでは不十分という意見も多いようだ。

私自身は旦那のことよりも、ジヨンの再就職を阻むような介入をしてくる義母のうっとうしさのほうに目が行ってしまったのだが、デヒョンの無自覚な言動も問題ありということになるらしい。二人目の子供を義母からせっつかれているジヨンに対して、「自分も子育てを手伝うから」と能天気にいちゃつくあたりは、デヒョンがあまりに無邪気に見える分、余計にジヨンが断りにくい状況を生み出しているのかもしれない。

デヒョンのことをそれなり優しい旦那さんだと認識していた私は、ちょっと鈍感すぎたのだろう。ジヨンがデヒョンの実家で姑にこき使われていた場面は、どこかで見た風景だった。私の田舎でも本家などに行けば、女性陣は台所でせっせと料理を作る間、男性陣と客人はリビングでのんびりと酒を飲むといった風景は慣れ親しんでいたものだったのだ。

私自身はそうしたことに対して特段の疑問を抱いたこともなかったし、それが性差別だと意識したこともなかった(母親から愚痴くらいは聞いていただろうが、だからといって自分が何かできるとも思えなかった)。そんなわけで自戒を込めて言うのだが、男性が「無自覚にする差別」というものを知るためにも、本作は啓蒙的な役割を果たすかもしれない。

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疑問点とその他の感想

それでも本作を諸手を挙げて絶賛する気になれないのは、あまりに夫婦の物語に徹してしまっているからだ。というのは本作は「82年生まれ」と時代を特定しているのにも関わらず、時代のメルクマールとなるものがまったく描かれないのだ。

同じように韓国の家父長制社会を取り上げていた『はちどり』では、主人公が生まれた年はジヨンとほぼ同じなのだが、『はちどり』では主人公が遭遇する事件などに韓国の時代背景を感じさせる部分があった。

本作が「82年生まれ」のジヨンを主人公とするのも、韓国の歴史の流れの中で特にその世代がフェミニズムの動きに働きかける何らかの役割を果たしたということなのかと思っていたのだが、本作はほとんど夫婦とその周辺の物語になっていて、家庭の外のもっと大きな社会のことを捨て去っているようにも感じられたのだ。私は原作を読んでいないから、映画版がどんなふうな改変がなされているかはよく知らないのだが、原作では夫婦の話はそれほど多くないらしい。

このレビューの最初に原作がベストセラーとなった経緯についても記したが、この原作はそうした時代の流れに合致し、その空気をうまくつかんだわけで、ごく個人的な話にするよりももっと社会に開かれた話にしたほうが良かったんじゃないかとも感じた。

悪口で終わるのも申し訳ない気もするので最後に褒めておくと、チョン・ユミが出突っ張りの主演作というだけでも観る価値があったと個人的には思う。『トガニ 幼き瞳の告発』『新感染 ファイナル・エクスプレス』では、主演はコン・ユでチョン・ユミは脇役でしかなかったからだ。私がチョン・ユミの存在を初めて知ったホン・サンス作品では主演をしたりもしているが(『ソニはご機嫌ななめ』)、不機嫌な表情ばかりで今一つ不完全燃焼の部分があったので、その意味ではお気に入りのチョン・ユミの姿を十分に堪能できただけでも楽しめる作品だった。

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コロムビアミュージックエンタテインメント
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