『はちどり』 14歳という曖昧な存在

外国映画

キム・ボラ監督の長編デビュー作。

世界各地の映画祭で50を超える賞を受賞し、韓国では単館での公開ながら15万人を動員する異例のヒットとなった作品。

原題は「House of Hummingbird」。

14歳は特別?

たとえば『新世紀エヴァンゲリオン』楳図かずお14歳』などでは、14歳という年齢に特別な意味を持たせている。実際に特別な時期なのかはわからないけれど、心身共に不安定だったことは確かなのかもしれない。中二病」という言葉は、その年頃にありがちな恥ずかしい行動なんかを指すらしいのだが、それが世間でも広まったのは、誰もが大いに頷ける部分があったからなんだろう(ちなみに中二病」という言葉は韓国でも使われるらしい)。

立志式という中学二年生で行われる儀式(これは地域によってやらないところもあるらしい)は、「元服にちなんで(数え年の)一五歳を祝う行事」のことで、「参加者は、将来の決意や目標などを明らかにすることで、おとなになる自覚を深める」(『大辞林』第3版)ものとされている。この「おとなになる自覚を深める」というのが曖昧だが、つまりは成人するわけではないが、もう子供でもないという中途半端な段階に入るのがこの時期ということなんじゃないだろうか。

本作のタイトルとなっている「はちどり」とは、世界最小の鳥のことだそうで、鳥なのか蜂なのかわからないほど小さいらしい。タイトルにこの鳥が選ばれているのは、14歳がそんな曖昧な存在だということを示しているからだろう。

(C)2018 EPIPHANY FILMS. All Rights Reserved.

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本心まで知っている?

『はちどり』の主人公ウニ(パク・ジフ)も14歳の中学生だ。本作のチャッチコピーは「この世界が、気になった」というものだ。ここで示されている世界とは、これまでの子供の世界ではなく、これから体験するであろう大人の世界ということになるだろう。

そんな不安定な時期にウニが出会ったのが、漢文塾の先生・ヨンジ(キム・セビョク)で、ウニはヨンジ先生が教えてくれた言葉によって世界を理解していくことになる。その言葉の最初の一つが「知っている人の中で、本心まで知っているのは何人?」というものだ。

知り合いはいたとしても、心の中まで理解できているのか。その言葉に導かれるように、ウニは友人や彼氏など身近な人のいつもとは違う姿を目撃していくことになる。映画の冒頭で、ウニは母親(イ・スンヨンから拒絶されるように、家から閉め出されることになる。しばらく玄関前で騒いでみたものの埒が明かず、時間を潰して戻ってみると、何食わぬ顔の母親が出迎える。ウニはそんな自分の知らない母親に、先ほどのことを尋ねることもできないのだ。

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韓国社会の変化の時期

本作は1994年を舞台としている。監督のキム・ボラは1981年の生まれということで、1994年に14歳のウニは監督自身と同じで、ウニは自らをモデルとしていることが推測される。

作では金日成主席の死去なども描かれるが、この年の象徴的な出来事としては聖水大橋崩壊事故がある。韓国では1988年にはオリンピックが開催され、急速な経済発展が進行していた。その経済発展の速度があまりに急だったのか、1994年には聖水大橋崩壊事故が起き、翌年には死者500名以上を出した三豊百貨店崩壊事故が起きる。これはどちらも手抜き工事が原因だったらしい。急ぎすぎた経済発展の弊害がそんなところに出てしまったわけで、時代が変化していくときだったと言えるのかもしれない。

それから本作では韓国の家父長制の社会も描かれている。食卓では父親の一言で食べ始めることになるわけだが、和気あいあいとした会話があるわけでもなく、箸や茶わんの音が響くほど静かだ。その中で父親が子供たちに対して言葉を投げかけ、子供たちはそれに敬語で答えている。家父長制の息苦しい雰囲気が伝わってくるシーンだ。

しかし、そんな家族の中の権威者である父が、あることをきっかけにウニの前で涙を流すことになり、また父親の影でウニに暴力を振るう兄も同様に涙を流す。これもまたウニにとってはこれまで知らなかった一面ということになるだろう。いつもは家父長制によって権威付けされ尊大に振舞っていたふたりの男性の脆い姿を垣間見てしまうことになるからだ。

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人生の先達

ウニはそんな変化の只中でもがくことになるわけだが、そのとき自分の行くべき道を照らしてくれるのは同性の先達ということになるだろう。家父長制社会において男と女の役割の違いが厳然としてあるのだとしたら、男性の経験はあまり役に立たないからだ。だから本作では女性同士のつながりが強調されている(他方でウニは彼氏には別れを告げることになる)。ウニが憧れるのはヨンジ先生だが、そのウニは後輩のユリに慕われる。それぞれが同性の先達に自分のあるべき姿を探しているということだろう。

しかし突発的な事故によってヨンジ先生は突然亡くなってしまう。聖水大橋崩壊事故がたまたまヨンジ先生を巻き込んでしまうのだ。この事故ではウニの姉はたまたま助かることになるわけで、人生における理不尽な出来事を示していると言える。その理不尽な世の中について教えてくれたのもヨンジ先生だったわけだが……。

本作ではウニは道半ばにして心の支えを失ってしまうことになるわけだが、なぜか最後のウニの表情は前向きで希望に満ちているように思えた。それはもうひとりの先達である母親の存在が大きかったんじゃないだろうか。

上述したが本作の冒頭では、ウニの理解できない母親の姿から始まる。そして、ヨンジ先生の死の現場を見て帰宅したウニを迎えるのも母親だ。母親はチヂミを作り、夜の食卓でウニと向かい合うわけだが、その表情はとても愛おしいものを見るようなやさしさに満ちている。と同時にその表情には、ウニの行く先に対する不安も入り混じっているように感じられた。母親は自分の分身が辿るであろう困難な道を思っていたんじゃないだろうか。ウニがこれから行く道は、これまで母親が辿ってきた道だからだ。この母親は普段は家業で忙しく冷淡にも見えるのだが、ウニが誰かを必要とするときにはそばにいてくれる存在なのだろう。

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母親と先生の共通点

母親とヨンジ先生に関しては共通点がいくつか挙げられる。ヨンジ先生はウニに「殴られたら黙っていてはダメ。立ち向かいなさい」と助言する。その言葉に呼応したわけではないが、ウニの母親は父親に立ち向かって流血騒ぎを演じる(翌日は何もなかったように夫婦を演じるわけだが)。ヨンジ先生も母親も戦う女性だということなのだろう。だからだろうか家父長制社会で、それに立ち向かうのは疲れるはずで、ヨンジ先生にも母親にもどこか憂いのようなものを感じさせる瞬間があるのだ。

もうひとつの共通点は、その後ろ姿だろうか。ヨンジ先生がウニの前に初めて現れたときは、階段の踊り場で外を眺めつつタバコを吸う姿だった。また、母親はどこかの街角で遠くを見つめ、ウニが呼びかける声も無視してどこかへと去っていく。それらの後ろ姿は、ふたりが見つめているものを示さないし、どのような表情をしているのかを見せることもない。ただ、その姿は最後にウニが校庭に散らばるクラスメートたちを見つめるシーンと響き合っていることは確かだろう。

ヨンジ先生はウニにこんなことを教えていた。区画整理のために住居を追い出されようとしていた人たちに対し、ウニがかわいそうだという感想を漏らしたとき、ヨンジ先生は「かわいそうだと思わないで」と語るのだ。監督キム・ボラのインタビュー記事を読むと、この言葉には監督の人生の姿勢が込められているようだ。「自分がすべてをわかっていると思わないように努力し、わかっていたことも間違っているかもしれないと認識する」そういう姿勢だ。ウニはヨンジ先生から教わったそうした姿勢を受け継ぎ、自分の目の前に広がる世界を見つめているわけだ。

ウニを演じたパク・ジフは夜のシーンでは大人びて見える瞬間もあるのだが、そうかと思うと黄色いリュックを背負った姿はいかにも子供っぽいあどけなさを漂わせている。彼女自身もそんな微妙な時期だったのかもしれないのだが、とにかくスクリーンから目が離せないほど魅力に満ちていたと思う。

そのウニがそのスクリーンのこちら側を見つめるシーンがあるのはどういう意図なのかと思っていたのだが、キム・ボラ監督の前作は9歳のウニを主人公とした短編なんだとか。フランソワ・トリュフォーが監督し、ジャン=ピエール・レオーが主演した『大人は判ってくれない』の最後を意識していたのかもしれない。そうなると「アントワーヌ・ドワネルもの」みたいに、ウニを主人公とした連作が期待されるわけで、パク・ジフの成長に合わせるようにウニの成長を辿る作品が登場するのかもしれないと思うと勝手に楽しみになってしまう。

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