『PIGGY ピギー』 お姫様抱っこの意味は?

外国映画

監督・脚本はカルロタ・ペレダ。テレビ業界で活躍してきた人とのことで、本作は長編デビュー作品。

原題は「Cerdita」で、スペイン語で「子豚」のこと。

物語

スペインの田舎町。ティーンエイジャーのサラはクラスメイトからの執拗なイジメに苦しんでいた。両親や弟からも理解されず、家の中でも居場所を見つけられないサラはヘッドホンに頭をうずめて自分の気持ちを閉じこめる日々を送っていた。ある日、あまりの暑さにひとりで地元のプールへと出かけたサラは、怪しげな謎の男と、3人のクラスメイトと鉢合わせてしまう。再びクラスメイトたちのイジメの標的となるサラ。しかし、その帰り道、恐ろしい現場に遭遇する。それは、血まみれになった3人のいじめっ子たちが、謎の男の車に拉致され、連れ去られるところだった…。

(公式サイトより抜粋)

みんな死んじゃえばいい

主人公のサラ(ラウラ・ガラン)はいじめられっ子だ。それだけでも十二分に辛い人生なわけだけれど、彼女は両親からの理解もない。両親は彼女がいじめられているなどと考えたこともないらしい。とにかくそんなサラの鬱憤が爆発し、「みんな死んじゃえばいい」と叫ぶ時が来る。いじめられっ子の多くは世の中を敵視して、そんな心の叫びを抱いているのかもしれない。

とは言え、なかなかその願いが叶うことはないだろう。誰もが『キャリー』みたいな超能力を持っているわけではないからだ。ところがサラの場合は予想外のことが起きる。白馬の騎士ではないけれど謎の男が現れ、彼女の願いを聞き届けてくれることになるのだ。

サラはクラスメイトから酷いいじめに遭っていた。というのも、彼女はふくよかな体型だからだ。もっとハッキリ言えば太っている。その腰回りの肉付きの充実具合はかなりのものなのだ。だからと言ってそれがいじめの理由になるわけではないし、そもそもいじめ自体があってはならないこととも言える。しかしながら、現実的には“見た目”というものは人を評価する尺度になっていることも確かだろう。

クラスメイトたちはサラのことを「ピギー(子ブタちゃん)」などとからかう。家業はブタのソーセージなんかも取り扱っている肉屋で、家族経営のその店はサラも含めた父と母(カルメン・マチ)の3人のふくよかな家族で運営されているから、余計に「三匹の子ブタ」だとバカにされることになるのだ。ところが本作ではそんなサラに救世主が現れることになるのだ。

(C)MORENA FILMS-BACKUP STUDIO-FRANCESA

血みどろのホラー映画?

その男(リチャード・ホームズ)は水着姿のサラとプールで出会った。その豊満すぎるボディを露にしたサラと鉢合わせた男は、彼女に一目惚れしたのかもしれない。その豊満な肉体に魅了されたのだ。だからそんなサラがクラスメイトからいじめに遭っているのを見て、彼女の心の叫びを聞き取ったのだろう。

その日、サラはプールでクラスメイトに服などすべてを奪われてしまう。そして、裸同然の格好で泣きながら家に逃げ帰る途中で、ある出来事を目撃する。プールで出会った謎の男がクラスメイト3人を拉致していたのだ。サラはその光景に恐れおののき失禁することになるわけだが、男はサラにバスタオルを渡して去っていくことになる。

『PIGGY ピギー』は公式サイトでも“ブルータルリベンジホラー”などと謳っているけれど、実は恋愛映画だったのだ。ちなみに本作は同じタイトルの短編から発展した作品になっている。

この短編は動画サイトなどで観ることができるが、クラスメイトが拉致されていくところまでは本作とほぼ同じだ。ところが違っている部分もあって、謎の男がよく見るとちょっとイイ男に変わっているのだ。短編のほうの男は異常性は感じられるけれど、恋愛に発展しそうには見えない感じで、その点でも本作が恋愛映画を意図しているということが窺える。

もちろん二人の関係はすんなりと発展するわけではない。謎の男はプールで監視員を殺していたことが明らかになり、それに対する恐怖もある。また、サラはクラスメイトが拉致されるのを見ているわけで、何もしないことは彼女たちを見殺しにすることになってしまう。いじめの天罰として「いい気味だ」と放っておくことができるのかどうか、そのあたりでサラは葛藤することになる。

それでもサラは彼女のためにいじめっ子を懲らしめ(?)、大好物のお菓子をプレゼントしてくれたりする彼の優しさに惹かれてしまう。まだ若いサラには今までそんなことはなかったからだろう。だから二人がキスしそうになるほど接近した瞬間は、本作のクライマックスだったかもしれない。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

(C)MORENA FILMS-BACKUP STUDIO-FRANCESA

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お姫様抱っこの意味は?

本作が殺人鬼とサラの恋愛映画だということは、二人の“お姫様抱っこ”の場面に表現されているんじゃないだろうか。“お姫様抱っこ”というのは、結婚した二人が新居に入る時なんかにやるならばよくある光景だが、突然、殺人鬼とサラがそんな状況になることは考えられないだろう。だから牛が一頭逃げ出しているというかなり作為的な設定が用意されている。それによって二人が乗ったバンと牛が衝突し、サラが気絶したために二人の“お姫様抱っこ”のシーンが完成することになるのだ。

殺人鬼のほうもなかなかの巨漢なのだが、サラも結構なボリュームのある体型をしているから、このシーンはそれだけでも印象深いのだけれど、ここでカルロタ・ペレダ監督が意識していたのは『ハンニバル』だったんじゃないだろうか。

『ハンニバル』でも、殺人鬼のハンニバル・レクターが、傷を負った主人公クラリスを“お姫様抱っこ”することになった。そして、『ハンニバル』において描かれていたのも、殺人鬼の愛だったのだ(それは片想いだったみたいだけれど)。

(C)MORENA FILMS-BACKUP STUDIO-FRANCESA

それにしても本作は残酷な作品だったと思う。クラスメイトの中のひとりクラウ(イレーネ・フェレイロ)はサラの幼なじみだったのだろう(同じブレスレットをしていた)。クラウはサラの店の常連だったようだし、いじめに積極的に関わっていたわけでもない。ただ友達とのしがらみもあって、いじめに加担することになってしまう。

ラストでは、一番積極的にいじめに関わっていた女が無傷で生き残り、遠慮気味だったクラウは酷い傷を負うことになった。これはサラのせいではないけれど、サラにとってはかつての幼なじみに裏切られるということのほうが痛手だったからなのかもしれない。

そして、サラにとって一番残酷だったのは、クラウたちを助けるために彼女を愛してくれるかもしれない男を殺さなければならなかったということだろう。ラストで血塗れになったサラが怒りを覚えていたようにも見えたのは、自分に与えられた残酷な運命に対してだったようにも感じられた。

血みどろのホラー映画を期待していると裏切られることになるかもしれないけれど、ちょっと痛々しい恋愛映画としてはなかなかおもしろいものがあったんじゃないだろうか。

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