『ファルコン・レイク』 明るい場所と暗い場所

外国映画

監督・脚本はシャルロット・ル・ボン。彼女は役者として『ザ・ウォーク』とか『イヴ・サンローラン』などに出演していた人とのこと。本作は彼女の長編デビュー作品。

原作はバスティアン・ヴィヴェスのバンド・デシネ(フランスの漫画のこと)『年上のひと』で、邦訳版も発売されている。

物語

ある夏の日。もうすぐ14歳になるバスティアンは、両親と歳の離れた弟と一緒にフランスからカナダ・ケベックにある湖畔の避暑地へとやってくる。
2年ぶりに訪れる湖と森に囲まれたコテージ。母の友人ルイーズと娘のクロエと共に、この場所で数日間を一緒に過ごす。
久しぶりに再会したクロエは16歳になっていて、以前よりも大人びた雰囲気だ。桟橋に寝転んでいたクロエは服を脱ぎ捨てると、ひとり湖に飛び込む。
「湖の幽霊が怖い?」
泳ぎたがらないバスティアンをおどかすようにクロエが話す。
大人の目を盗んで飲むワイン、2人で出かけた夜のパーティー。
自分の知らない世界を歩む3つ年上のクロエに惹かれていくバスティアンは、帰りが迫るある夜、彼女を追って湖のほとりへ向かうが——。

(公式サイトより抜粋)

バカンス映画

原作漫画はフランスのものらしいのだが、『ファルコン・レイク』はカナダのフランス語圏であるケベック州を舞台としている。そして、いかにもフランスらしいバカンスの様子が描かれていくことになる。

主人公のバスティアン(ジョゼフ・アンジェル)はもうすぐ14歳だ。バスティアンは家族と一緒にフランスからバカンスにやってきたわけだが、そこには見慣れない女の子がいる。それがクロエ(サラ・モンプチ)だ。

大人になって久しぶりにいとこなんかと顔を合わせたりすると、全然印象が違って誰なのかわからなかったりするけれど、バスティアンから見たクロエもそんな感じだったのだろう。ふたりは劇中で親戚同士と間違えられたりしているけれど、母親同士が友人だったことから小さな頃からバカンスでは一緒だったらしい。

ところがクロエのほうが3歳年上で、先に思春期となったからか、11歳の時を最後にバカンスには来てなかったらしい。そんなクロエが16歳となって久しぶりにバカンスに現れたものだから、バスティアンは彼女のことを意識してしまうことになる。

ふたりとも微妙な年齢だ。それでも親たちはまだまだ子どもだと考えているのか、ふたりのことには無頓着なようで、クロエはバスティアンとその弟ティティ(無邪気でかわいい)と一緒の部屋で過ごすことになる。バスティアンは年上のひと・クロエに導かれ、学校では教わらないような様々なことを学ぶことになる。

(C)2022 – CINEFRANCE STUDIOS / 9438-1043 QUEBEC INC. / ONZECINQ / PRODUCTIONS DU CHTIMI

なぜか薄暗い空模様

バカンス映画である。映画で見るフランス人がバカンスに傾ける意気込みには異様なものすら感じなくもないわけだけれど、それというのもやはりバカンスが楽しいからなのだろう。避暑地で普段の仕事のことなど忘れ、のんびりと気の合う仲間と過ごす。これ以上に楽しいことはないかもしれない。

『ファルコン・レイク』でもそんな楽しいバカンスが描かれることになる。主人公となるバスティアンは、クロエという年上の女性とひと夏を過ごすことで、これまでになかったような経験をすることになる。思春期の少年にとってこれ以上に高揚する夏はないかもしれない。そんな意味では本作は楽しいバカンスが描かれているわけだが、なぜか本作は夏の明るい陽射しというものが感じられない

もちろん青空の場面もあるのだけれど、全体的には曇天で、冒頭シーンのように夕暮れ時の暗い場面も多い。バカンスを描いた映画とはいえ、本作がバスティアンのひと夏の経験を描いただけの映画ではないということだろう。

というのも、本作は“生”というものの隣にある“死”を意識しているのだ。村上春樹はある小説の中で、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」と記している。本作ではクロエがそうしたことを如実に感じているということになるだろう。

冒頭では湖に浮かぶ水死体が描かれる。暗い湖に浮かぶ人影はちょっと不気味なものがあるわけだが、それはクロエが水死体の真似をしていただけだったことが明らかになる。なぜかクロエは死に囚われているようでもあり、道端で行き倒れた死体の真似事をしてみたりもする。そして、湖には幽霊が出るということを信じていて、バスティアンと一緒に『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』のようなシーツの幽霊の写真を撮ってみたりもする。

演出の仕方もどこかで見えない存在を感じさせる不穏さを醸し出している部分もある。鬱蒼とした森の中からは何か得たいの知れないものが出てきそうでもあるし、“生”の世界とは別の、“幽霊”の世界や“死”の世界というものを感じさせることになっているのだ。

※ 以下、ネタバレもあり! ラストについても触れているので要注意‼

(C)2022 – CINEFRANCE STUDIOS / 9438-1043 QUEBEC INC. / ONZECINQ / PRODUCTIONS DU CHTIMI

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ラストの解釈は?

以下、野暮なことだとはわかっているけれど、ラストで起きたことについて触れていく。本作は少年バスティアンのひと夏の体験物語として観ることもできるわけだけれど、それだけに終わらないわけだし、そこから先のことを書こうとすれば当然ラストに触れざるを得ないからだ。そして、ラストのシークエンスがあったからこそ、本作は特別に印象深いものになっているのだと思う。

ラストでバスティアンはクロエを追いかけて湖を泳いで渡ろうとして溺れ死んでしまったということになるだろう。それ以降に登場するバスティアンは幽霊ということだ。

劇中でクロエが語っていたように、自分が死んだことに気づいていない幽霊もいて、バスティアンも両親たちと車でフランスに帰ろうとして、途中でおかしなことに気づく。両親と弟のティティはバスティアンのことが見えておらず、なぜか湖に向って頭を下げたりしている。その様子を見たバスティアンは、自分が幽霊になってしまったことに気づいたということなのだろう。

そして、幽霊になったバスティアンが湖のほとりに佇んでいたクロエに近づいていくと、何かを感じたクロエが振り向くというのがラストシーンとなっている。

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明るい場所と暗い場所

バスティアンは自分がいつ“生”の世界から“死”の世界へと移行したのかわからなかったのだろう。本作ではそんなふうに“生”の世界と“死”の世界は密接している。そんな本作の主題を示しているかのようにも見える印象的なシーンがある。クロエとバスティアンが夜にパーティーに出かけていく場面だ。

ふたりは夜道を歩いて会場まで行くのだが、あたりはほとんどが暗闇に支配されている。ふたりは会話しながら通りを歩いていくのだが、明かりは街灯のある場所のごく一部を照らすだけで、そのほかは暗闇が広がっている。ふたりは暗い中を歩き、わずかの間だけ明るい街灯の下を通り、さらに暗闇の中へと消えていくことになる。多分、これは“生”と“死”の関係でもあるのだろう。生まれてくる前の暗闇と、亡くなった後の暗闇。そのごくわずかな間の時間だけが明るい“生”の時間ということになる。

街灯に照らされた空間はわずかだけれど、そこだけは強烈な光に満ちている。暗い“死”の世界と対照的な“生”の世界。本作におけるバスティアンとクロエの関係は、“生”の喜びに溢れていたように感じられる。その関係には当然ながら性的なものものある。“生”というものの喜びを強調させるために、“性”が描かれていたということなのだろう。そんなふうに明るい“生=性”の場面があるからこそ、すぐ近くにある暗い“死”というものも際立ってくるのだ。

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Sweet sixteenと言われる特別な年齢だったクロエ。この世で一番怖いことは「孤独であること」だと語り不安を覗かせながらも、同時にその成熟した身体でバスティアンを戸惑わせて翻弄したりもする。

彼女はまさに“生”の只中にあるという状況だっただろう。それでも彼女には“死”の世界が近しいものに感じられている。バカンスの明るい世界を楽しみつつも、同時に暗い“死”の世界を如実に感じている。だからこそ本作はバカンス映画でありながら、明るい陽射しではなく夕暮れ時の暗い場面が多かったわけだ。

原作漫画は読んでいないから詳細は不明だけれど、ラストは映画のオリジナルらしい。本作の主人公はバスティアンなのだとは思うけれど、同時にクロエのほうに焦点が当たる時もあって、死に囚われているようにも見えるクロエの感覚は監督のシャルロット・ル・ボンが感じていたことなのかもしれない。もはや珍しくもないわけだけれど、これまた活躍しそうな新人女性監督の誕生ということになるんじゃないだろうか。

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