監督・脚本は『別離』や『セールスマン』などのアスガー・ファルハディ。
カンヌ国際映画祭ではグランプリを獲得した。
原題は「A Hero」。
最初の計画は
主人公のラヒム(アミール・ジャディディ)は服役囚だ。罪状は借金を返せなかったということ。イランでは借金を返さなかった場合、金を貸した側が訴えれば債務者は収監されることになるのだという。
とはいえ、凶悪犯罪というわけではないからか、刑務所に収監されていても休暇というものがあり、休暇には刑務所の外に出ることも可能となるというシステムらしい。
ラヒムはそんな休暇を利用して、ある計画を実行しようとする。自分の借金を全額返してしまい、刑務所から出所しようという計画だ。これにはラヒムの婚約者ファルコンデ(サハル・ゴルデュースト)も関わっている。ファルコンデは街でバッグを拾ったのだが、その中には金貨が入っていたのだ。ラヒムが出所することを望んでいるファルコンデはその金貨をネコババし、ラヒムの借金を返してしまおうと画策する。
ラヒムも最初はその案に乗り気だった。ところが実際に金貨を換金しようとしてみると、すべての借金を返せるほどではないことも判明するなど、計画には暗雲が立ち込めてくる。そうなってから冷静に考えてみると、拾った物をネコババするのは当然良くないわけで、ラヒムは計画を断念し、金貨を落とし主に返すことにするのだ。ところがこれが意外な結果を招くことになる。
英雄から詐欺師へ
ラヒムは別に“英雄”になりたかたったわけではない。刑務所から出たかっただけだ。最初は自分のために金貨を利用しようとしていたわけだが、ネコババする疚しさもあり、最終的には善意のほうへと傾いた。それが金貨を落とし主へと返すという「真っ当な」というよりは「当たり前の」行動になったわけだが、刑務所側はそれを美談と受け取り、その美談を利用しようとするのだ。
ラヒムはそんなことを望んではいなかった。それでもラヒムがテレビに出て“英雄”として持ち上げられると、事情も変わってくる。「正直者の囚人」として有名となったラヒムには、慈善団体を通して多くの人からの寄付金が集まるようになり、彼が出所して働く目処が立つようになってきたからだ。
そうなるとラヒムも積極的にそれに関わるようになっていくのだが、突然“英雄”となったラヒムが気に食わない人もいる。ラヒムが借金している義兄のバーラム(モーセン・タナバンデ)もその一人だし、刑務所内にはラヒムが所長たちに媚びを売っていると感じる人が嫌がらせをしてくることになる。
いつの間にかにSNSではラヒムの美談に疑問が投げかけられ、美談は本当にあったことなのかという疑惑にまで発展することになってしまう。
SNSというツール
ファルハディの『別離』では宗教による束縛の問題が、『セールスマン』では性犯罪が取り上げられるが、そこにはイスラム圏ならではの特殊な事情が絡んでいたと言える。本作ではSNSの問題が取り上げられているわけだが、これは文化圏とは関係なくどこでも起きていることだろう。
最近ソフト化されたばかりの『メインストリーム』でも似たようなことがテーマとされていた。一方はイランを舞台にしていて、もう一方はロサンゼルスが舞台という、全然違う土地を舞台としているわけだが、起きていることは同じだ。SNSによって誰かが祭り上げられ、その後、引きずり下ろされることになるのだ。世間は英雄を欲しているし、それと同時に英雄が失墜する姿も欲している。ネタになればどちらでもいいということなのだろう。
二つの作品はまったく違った外見をしている。『メインストリーム』はYouTubeの動画を頻繁に引用するカラフルな若者たちの世界で、エキセントリックな主人公(アンドリュー・ガーフィールドが怪演)の破天荒な行動が見どころの映画だ。一方の『英雄の証明』はスマホの画面はほとんど登場しない地味な作品だが、SNSというツールが引き起こしているのは同じような事態なのだ。
名誉よりも重要なこと
閑話休題。さて、世間から詐欺師扱いされるようになったラヒムはどうなったか?
ラヒムは急に英雄にされた時には、にこやかに笑っていられた。ちょっと大袈裟だけれどプラスに評価されるならば悪い気はしないからだ。ところがそれはいつの間にかにマイナスになってしまっている。金貨を返したということは事実だが、それを証明することができない。とはいえ、証明できないからと言って詐欺師扱いされるのは許せない。英雄になるのは構わないけれど、不名誉となれば放っておくわけにはいかなくなるのだ。
ラヒムはそこから自分で墓穴を掘ることになってしまう。もともとラヒムは義兄であるバーラムに嫌われ訴えられているところからすると、それほど清廉潔白であるとも言えないのだろう。そして、自らの名誉を回復するために嘘をつくことにもなるし、さらにバーラムには暴力までふるうことになり、自ら評判を落とす証拠まで作ってしまうことになる。これはある意味では自業自得だから仕方ないとも言える。しかし、そうした事態に巻き込まれてしまったラヒムの息子シアヴァシュ(サレー・カリマイ)は一番の犠牲者と言えるだろう。
シアヴァシュは吃音がありしゃべることが苦手だ。しかし、見せ方によってはそれも利用できる。そんなふうに考える人もいたのだ。父親のために懸命にしゃべろうとするシアヴァシュの姿が同情を呼べば、それはラヒムにとってプラスになるというわけだ。しかし、それはシアヴァシュを晒し者にしていることにもなる。
最終的にラヒムは自分の名誉よりも、息子のことを守ろうとする。それはあてにならない名誉なんてものよりも、ラヒムにとってもっと重要なものがあるということに気づいたということだったのだろう。それによってラヒムは頭を丸めて刑務所に戻ることになるわけだけれど……。
ファルハディの作品では、大人の事情に巻き込まれいつも子供が悲しい思いをする。2011年の『別離』では、両親の離婚によって残酷な選択を迫られる少女の涙が印象的だったのだが、実はその少女を演じていたサリナ・ファルハディは本作にも登場している。ラヒムの元妻役だ。彼女は名前からもわかるように監督の娘さんらしいのだが、立派に成長した姿を垣間見ることが出来て、親戚のおじさんみたいな気持ちになった。
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