監督は『秘密の花園』、『太陽と月に背いて』などのアグニエシュカ・ホランド 。
原題は「Zielona Granica」で、英語版のタイトルは同じ意味の「Green Border」。
物語
「ベラルーシを経由してポーランド国境を渡れば、安全にヨーロッパに入ることができる」という情報を信じて祖国を脱出した、幼い子どもを連れたシリア人家族。しかし、亡命を求め国境の森までたどり着いた彼らを待ち受けていたのは、武装した国境警備隊だった…。
(公式サイトより抜粋)
一体、何が起きている?
冒頭から描かれるのは、祖国を脱出しヨーロッパを目指している家族の姿だ。そのシリア人一家は、ベラルーシ経由でポーランドとの国境を渡るルートが最も安全にヨーロッパにたどり着けるという情報を聞かされていた。ところが、実際には予想外の出来事に巻き込まれることになってしまう。
安全なはずのベラルーシだが、なぜか国境付近では銃声が鳴り響き、一家は案内人に突然「走れ!」と言い渡され、有刺鉄線の穴から国境の向こう側へと渡ることになる。その先には森が広がっており、そこはもうポーランドなのだが、すぐに国境警備隊に捕まることになってしまう。
ポーランドの国境警備隊は意外にも親切なのだが、しばらくするとちょっと前に渡ったばかりの有刺鉄線の向こう側へと戻されることになってしまう。しかし、その先にはベラルーシ側の国境警備隊がいて、一家はその他多くの人とともに拘束されることになってしまう。そして、なぜかわからないのだがベラルーシ側の国境警備隊は、再びポーランド側に彼らを無理やり渡らせることになるのだ。
何も知らなかったシリア人一家と同様に、観客である私も「一体、何が起きているのか」と困惑していたのだが、この出来事は2021年に現実に起きていたことなのだとか。
人間兵器とは?
難民一家を国境線上で行ったり来たりさせていたのはどういう意図だったのか? これはベラルーシ側の企んだ「人間兵器」というものだったらしい。
ベラルーシのルカシェンコ大統領は「ベラルーシ経由のルートが安全だ」というデマを流し、ヨーロッパを目指している難民を集め、それを隣国ポーランドに流し込み、隣国に混乱を招こうとしたらしい。
劇中でも「これからの戦争はハイブリッドになる」という台詞もあったが、何の関係もない難民を騙して一種の銃弾のように使うなどという「人としてあるまじき行為」が現実に行われていたらしい。私自身はこの出来事をまったく知らなかったので、本作に描かれている事実に驚かされることになった。
英語版タイトルの「Green Border」というのは、ポーランドとベラルーシの国境地帯に広がる森のことを指しているということなる(冒頭に少しだけカラーで森の緑が捉えられている)。一方で、邦題の「人間の境界」というのは、「人間兵器」などというとんでもないことをやってのけてしまう人間の倫理というものの境界線を問うているということなのだろう。
ポーランドの対応は?
アグニエシュカ・ホランドはポーランドの映画監督であり、当然ながらベラルーシのやっていることに対する怒りもあるのだろう。しかし、それと同時にポーランドの対応にも「問題あり」と判断しているようだ。
難民を追い出すということは、国際的に問題とされる行為であり、ベラルーシから流入する難民を大っぴらに追い出すことはできない。かといって、難民に対して否定的な保守層に配慮するためにも難民の流入を放っておくわけにもいかない。
だからポーランドは国境付近に非常事態宣言を出し、立入禁止にしたらしい。そうして国境付近を外部の目が届かない場所にし、その中でこっそりと難民をベラルーシ側に押し戻すことをやっていたということになる。そんなふうにして、難民たちを国境付近で行き場のない状況へと追い込むことになったというわけだ。騙された難民たちからすれば、とんでもない所業ということになる。
劇中では国境付近に行き倒れになっている難民の姿があった。そんなふうにして命を失った人も少なからずいたということだろう。劇中ではその死体は厄介な代物として扱われることになり、こっそりと国境の向こう側に投げ入れられることになる。両方が邪魔なお荷物を押し付け合っているというような状況なのだ。
ポーランド政府はこの映画に描かれていることが事実と異なるとして監督に対して抗議したりもしたようだが、そうした極端な反応自体が映画と似たようなことが実際に行われていたということを示しているのかもしれない。
何もできないという感覚
『人間の境界』は、こうした状況を多角的に描いていく。最初のエピソードは難民一家の話だが、そのあとには別の立場にある人物に視点が移行していく群像劇なのだ。
次に登場するのはボーランドの国境警備隊の若者ヤン(トマシュ・ヴウォソク)で、もう一人は国境近くに住む精神科医の女性ユリア(マヤ・オスタシェフスカ)だ。
ヤンは仕事として難民を国境の向こう側に押し戻す立場にある。とはいえ、特別に弱い者いじめをしたいわけではないから、自分のやっていることに疑問を感じている。しかし、それでいて自分の新居に難民が勝手に入り込んだりしていると、難民に対して反感を抱いたりもして、自分の置かれた複雑な立場に煩悶することになる。
ユリアはたまたま家の近くでシリア難民の子供が死ぬところに出くわしてしまい、それがきっかけで難民を支援する活動に参加していくことになる。ただ、この活動が難しいのは、違法行為をして難民を助けてしまうと国境警備隊に付け入る隙を与えることになってしまうことがわかっていて、ほとんど何もできないような状況にあるということだろう。難民を移動させたりすることは問題となるようで、食事や着替えを用意したりするなど限られたことしかできないのだ。ユリアはそれでも難民を助けたいと考え、行動することになる。
ラストのエピソードで印象的なのは、精神科医のユリアが自分の患者の男性を活動に巻き込んでいくところだ。この患者は政権に対して批判的で、現状に対する不満をヒステリックにぶちまけていた。
しかし、彼はユリアから頼まれてこっそり難民を匿うことになると、そうした不安定な症状は消えてしまう。自分でも何かができるという感覚が、彼を健全な状態へと導くことになっているように見えるのだ。彼の抱えていた不満は、現状に対して何もできないということだったのだろう。だから彼は人助けをすることで、自分のことも救う形になっているのだ。
アグニエシュカ・ホランド監督はここに何らかの希望を見出だしたかったということなのだろう。しかしながら、このベラルーシからの「人間兵器」という出来事は、今では過去のものになっている。というのも、その後にロシアがウクライナに戦争を仕掛けたことで、ポーランドはウクライナからの難民を急遽受け入れることになったからだ。
とは言うものの、これによって問題が解決したわけではないわけで、別の問題によって上書きされてしまって単にうやむやになってしまっただけということになる。
アグニエシュカ・ホランドの前作『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』では、1930年代のソ連のウクライナ地方で起きていた悲劇を学ぶことになった。本作ではまったく知らなかった「人間兵器」というものを学んだ。歴史にも世界情勢にも疎い者としては、わかりやすく物事を学ぶことのできる映画は単純にありがたい気がする。尤も、その前に自分の不勉強を恥じるべきなのかもしれないけれど……。
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