『サン・セバスチャンへ、ようこそ』 含蓄ある人生訓

外国映画

監督・脚本は『アニー・ホール』『マジック・イン・ムーンライト』などのウディ・アレン

主演は『42丁目のワーニャ』などのウォーレス・ショーン

原題は「Rifkin’s Festival」。

物語

かつて大学で映画を教えていたモート・リフキン(ウォーレス・ショーン)は、今は人生初の小説の執筆に取り組んでいる。映画の広報の妻スー(ジーナ・ガーション)に同行し、サン・セバスチャン映画祭に参加。スーとフランス人監督フィリップ(ルイ・ガレル)の浮気を疑うモートはストレスに苛まれ診療所に赴くはめに。そこで人柄も容姿も魅力的な医師ジョー(エレナ・アナヤ)とめぐり合い、浮気癖のある芸術家の夫(セルジ・ロペス)との結婚生活に悩む彼女への恋心を抱き始めるが…。

(公式サイトより抜粋)

人生を振り返る主人公

「#MeToo」運動以降、プライベートのことで評判がよろしくないウディ・アレン。本人は疑惑を否定しているようだけれど、世間的には総スカンだったらしい。本作は2020年の作品らしいのだが、日本での劇場公開が遅れたのは新型コロナの影響なのか、悪い評判のせいなのか、それはわからないけれど次作『Coup de chancel』もすでに出来上がっているとのこと。まだまだ創作意欲は旺盛ということのようだ。

とはいえウディ・アレンも今年で88歳ということで、本作の主人公モート・リフキン(ウォーレス・ショーン)は精神科医の前で人生を振り返ることになる。その主な舞台となるのはスペインのサン・セバスチャンだ。そこでは映画祭が開催されている。サン・セバスチャン国際映画祭というのは、カンヌ・ベルリン・ヴェネチアと並べて四大映画祭の1つとされるのそうだ。

モートは映画の広報の仕事をしている妻スー(ジーナ・ガーション)の連れ添いとしてそこにやってくる。というのも、スーは新進気鋭の映画監督フィリップ(ルイ・ガレル)に入れ込んでいて、目を光らせてないと危なっかしいと踏んでいたからだ。

妻の浮気を疑うモートは、そのストレスで病院に通うことになり、魅力的な女性医師ジョー(エレナ・アナヤ)と出会うことになり、彼女に入れ込むことになるのだが……。

©2020 Mediaproduccion S.L.U., Gravier Productions, Inc. & Wildside S.r.L.

あの名作たちのパロディ

「人生を振り返る」と記したが、本作では奥さんのスーが忙しくて、モートはサン・セバスチャンの街をブラブラしているうちに、色々な形で名作の中に入り込んでいくことになる。そして、名作のパロディを恥ずかしげもなくやっていく。

このセレクションは物語上の「実用的な判断」だとウディ・アレンは語っている。それでもベルイマンが3本も入っていたりするところは、ベルイマンへのオマージュとして『インテリア』を撮っているウディ・アレンの好みも当然入っているのだろう。以下はそのリストになる。

『市民ケーン』
     オーソン・ウェルズ
『8 1/2』
     フェデリコ・フェリーニ
『突然炎のごとく』
     フランソワ・トリュフォー
『勝手にしやがれ』
     ジャン=リュック・ゴダール
『男と女』
     クロード・ルルーシュ
『仮面/ペルソナ』
     イングマール・ベルイマン
『野いちご』
     イングマール・ベルイマン
『皆殺しの天使』
     ルイス・ブニュエル
『第七の封印』
     イングマール・ベルイマン

『サン・セバスチャンへ、ようこそ』はカラー作品だけれど、これらのパロディ場面はモノクロに変わる。画面のアスペクト比はスタンダードサイズになったり、シネスコサイズになったりと様々だったのは、オリジナルに合わせているということらしい。

そのパロディのやり方はあからさまだし、決してうまいとは言えないのだけれど、最後にはウディ・アレンの本音っぽいものが語られている感じもしてちょっと感動的でもあった。

©2020 Mediaproduccion S.L.U., Gravier Productions, Inc. & Wildside S.r.L.

スポンサーリンク

 

自虐的な自画像?

モートはかつては映画を教えていたりもしたらしいのだが、現在は小説を執筆中だ。それでもいつまでもそれを書きあぐねている状態だ。どうせ書くのならありきたりのものではダメで、ドストエフスキーのような傑作を。モートはそんな気持ちで原稿を「書いては破り」ということを繰り返しているらしい。

モートは映画監督のフィリップのことをバカにしている。フィリップは社会問題などを取り上げるタイプの作家なのだが、モートはそうしたことを些末なことだと感じているのだ。モートにとって重要な問題は、「存在は何か」といった実存的な問題ということになる。

フィリップとモートは対照的だ。フィリップはフランス人なのに、好きな映画はアメリカ映画でハワード・ホークスやフランク・キャプラを敬愛している。一方のモートはニューヨーカーなのに、いつも字幕がつくヨーロッパの作品ばかり観ていて、ヌーヴェルヴァーグがお気に入りということになる。

こうしたモートのキャラは、ウディ・アレンにとっては自虐的なキャラだろう。モートはクラシック映画が好きで、それはあまり人に理解されることがない。かつて恋をした女性は弟に奪われたらしい。

モートはその女性との最初のデートで『赤い砂漠』(ミケランジェロ・アントニオーニ)を観に行き、次に選んだのは『去年マリエンバートで』(アラン・レネ)だったとのこと。エンタメとはかけ離れた小難しい作品ばかりを選んでしまうわけで、見事にフラれることになったらしい。客観的に見れば、「そりゃ、そうだろう」という気はしないでもない。

劇中ではそのほかにも稲垣浩監督の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』や、黒澤明の『影武者』の音楽を担当したのが池辺晋一郎だとか、周囲の誰も知らないことを言い出して場をシラケさせることになる。このあたりではウディ・アレンはインテリぶった自分を自虐的に描いているということになるわけだが、ラストでは本音も漏らすことになる。

©2020 Mediaproduccion S.L.U., Gravier Productions, Inc. & Wildside S.r.L.

含蓄ある人生訓

それが『第七の封印』をパロディにした死神との対話の場面だろう。ここではクリストフ・ヴァルツ演じる死神(=death)が、海をバックにしてモートとチェスの対決をする。ちなみにモートというのはフランス語では「死」を意味するのだとか。

つまりは「死」と「死」が対話をしていることになるというわけだ。ところがこの対話では意外にも「生」に対して前向きなことが語られることになる。モートが「人生は無意味なんじゃないか」といったことを語る。それに対して死神は、「無意味だとしても空っぽではない」と返答することになる。そして、「無意味」と「空っぽ」の違いに注意を促すことになる。人生は無意味だとしても、ほかの色々なものでそれを満たすことは可能だと言うのだ。

そして、クリストフ・ヴァルツは死神のくせに、モートに「健康的に過ごすように」と助言を残して去っていくことになる。死神によって前向きに生きられるようになるというのがおかしいのだが、ここにはウディ・アレンの本音みたいなものが感じられてちょっとだけ感動的でもあったのだ。

ウディ・アレンは人生は無意味だと感じている。それでもウディ・アレンの作品群を見てみれば、その「生」はまったく空っぽにはなってないわけで、含蓄がある言葉だったと思う。本音というのは、やはりそんなふうにしか生きられないよねということであり、散々モートを自虐的に描いておいて最後は肯定しているのだと思う。

本作は映画祭を舞台にした映画愛に溢れた作品だ。パロディにしている名作を観ている人はもちろんのこと、誰が観ても楽しめる作品になっているんじゃないだろうか。

「ウディ・アレンの中で一番好きな作品は?」と訊かれたとして、最初に思い浮かぶのは『カイロの紫のバラ』だ。この作品もやはり映画愛に満ち溢れた作品だったわけで、本作でパロディとされた名作と並べたっておかしくないだろうし、とりあえずは久しぶりに『カイロの紫のバラ』を観てみたくなった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました