ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した黒沢清監督の最新作。
脚本には黒沢清のほかに、『ハッピーアワー』の濱口竜介と野原位も参加している。
もともとはNHKBS8Kで放送されたテレビドラマ。
物語
1940年。戦争への足音が近づいている時代だが、そんななかでも聡子(蒼井優)は神戸で貿易会社を経営する優作(高橋一生)と、瀟洒な洋館に住み、使用人を雇い優雅な生活をしている。
優作は仕事柄外国人との付き合いも多く、その生活スタイルや服装も西洋趣味だったため、神戸憲兵分隊本部の分隊長・津森泰治(東出昌大)は優作に忠告する。アメリカの参戦も噂される状況では、敵性の品物に囲まれた生活など、これからは世間的に許されなくなってくると。そういう時代になりつつあったのだ。
ブルジョアジーの秘かなお務め
優作はどういう人物なのか?
貿易会社を経営し外国人との付き合いも多く、逮捕されたイギリス人を助け出すことができるほどのコネも持っている。舶来品のウイスキーを好み、休日には8ミリ映画の撮影に興じる。戦時下にあってもそれなりに優雅なブルジョワジーというのが、優作のイメージだろうか。
そんな優作がスパイと疑われるようなことになるのは、満州への旅行がきっかけとなる。この旅行は頼まれた仕事のためでもあるが、戦争が酷くなる前に大陸を見ておきたいという観光的な意味合いでもあり、向こうに行って8ミリの撮影をしようと目論むほど呑気な旅だったはずで、スパイとしての使命を帯びていたようには見えない。
しかし、優作とその甥・竹下文雄(坂東龍汰)は満州において、日本のしている悪魔のような所業を目撃してしまう。そのことが優作と文雄のそれからの人生を変えてしまうことになる。
普遍的な正義
優作たちが目撃したのは、関東軍の731部隊が捕虜たちにしていた人体実験だ。731部隊は中国人の捕虜たちを人体実験の実験台とし、ペスト菌や炭疽菌などの細菌兵器を開発するために、非人道的な残虐な行為を繰り返していた。優作たちはその詳細なレポートを手に入れ、世界に向けて発表することを計画する。
優作はどこかの国のスパイなどではなく、ただ単に自分が見てしまった残虐な行為が許せずに、売国奴と言われようがそれを止めようとするのだ。優作曰く、愛国心よりもコスポモリタンとしての普遍的な正義のほうが重要だということになる。
理解できるのか?
普遍的な正義のために、母国を売り同胞が殺されるのも厭わない。そんなことが理解できるのか。そういう意見も当然あるだろう。寺山修司は「身捨つるほどの祖国はありや」と詠ったが、祖国を捨てるほどの普遍的な正義というものもあるのだろうかとも思えるからだ。優作の頭でっかちな考え方は、ブルジョワジーという生活のくびきから解放された者だからなのかもしれない。
それでも優作と文雄は満州でそうした所業を見てしまった。満州から帰って以来人が変わったようになる文雄の変化も、その所業が衝撃的だったことを物語るわけだが、その文雄は聡子に対して「あなたは何も見なかった。あなたにはわかりようがない」と非難している。この台詞は「見てしまった人」と「見ていない人」には大きな違いがあることを示している。
見たか/見ないか
しかし、「あなたは何も見なかった。」という台詞は、満州に行ってもいない聡子に唐突に投げかけられるわけで不自然とも思える。以下は勝手な推測だが、この台詞が『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』の台詞を受けて選ばれたものだからかもしれない。
『二十四時間の情事』では、広島を訪れたフランス人女優が日本人男性と恋仲になるのだが、その女性が博物館や残された8ミリフィルムなどで原爆についてすべてを見たと語るのに対し、日本人の男は「君は広島で何も見ていない」と繰り返すことになる。
一方で日本人の男はフランス人女優から彼女の過去を聞く。彼女は敵であるナチスの男性と恋仲で、戦後になって同胞たちから反感を買う。彼女は住民たちに丸坊主にされ、しばらく地下に隠れて生きることに。男はそうした話で彼女を知った気持ちになるが、本当にそれで悲劇を知ったことになるのか。
だから文雄が「あなたは何も見なかった。」と聡子に言い捨てるのは、見ていないほかの多くの日本人には優作や文雄のすることが理解されないであろうという気持ちがあるからだろう。それでも現場でそれを目撃してしまった者としては、それを世界に知らしめる務めがある。そんな正義感で優作と文雄は危険な橋を渡ることになる。
離れていても?
それでも文雄は「知らないほうがいいのかも」と聡子を計画に巻き込んでいくわけだが、聡子のその後の行動をどこまで予測できていたのか。文雄は聡子に捨て石とされることまで読んでいたのか。聡子は優作が満州から連れてきた草壁弘子(玄理)という女性に対して嫉妬を抱き、独自の行動をして優作たちの計画をかき乱すことになるからだ。
聡子にとっては正義と不正義ということよりも、優作と一緒かそうではないかということのほうが重要だったのだ。優作と一緒に行動するためには、優作の目的を遂げさせるほかなく、そのためには聡子はスパイの妻であろうが、売国奴であろうがなんにでもなる覚悟が出来ている。
しかし、そんな聡子は優作のことを読み違えていたのだろう。聡子が文雄を犠牲として憲兵に差し出したのと同様に、優作が聡子を憲兵に差し出すとは思いもしなかったからだ。もっとも観客としては、この結末は優作が監督した8ミリフィルムの結末に予告されていたわけで、予想外ではないかもしれない。
聡子の「お見事」という言葉にも様々な気持ちが混じっているわけで、単純に賞賛するだけではないのは最後に見せた涙が物語っている。一方で、優作はそれでも離れていても心は通じあっていると感じていたのかもしれないのだが……。
黒沢清監督にとって『スパイの妻<劇場版>』の銀獅子賞獲得は嬉しいニュースだろうが、かつての作品と比べて特出しているといった印象ではない気もする。賞レースはいつもそんなものだから仕方がないが、ほかの黒沢清作品にも注目が集まるのならば、受賞にも意味があるというものだろうか。
『岸辺の旅』では蒼井優と深津絵里の対決が一つの見せ場としてあったが、本作では憲兵隊長の東出昌大との対決が用意されている。東出は『予兆 散歩する侵略者 劇場版』と同様の不気味な存在で、聡子に横恋慕しつつも窮地に陥ると手酷く殴りつけるという東出らしい役柄を演じてまた爪痕を残したと思う。
日本人のほとんどが戦争に向けて突っ走っていた狂った世の中では、狂ってないほうが異常というわけで、優作の裏切りの後、狂気を演じることを決意する聡子。その一瞬を蒼井優が絶妙な表情で示していて、個人的にはその瞬間こそが本作のピークだった。
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