原作は直木賞作家・黒川博行の『勁草』。
監督は『KAMIKAZE TAXI』、『ヘルドッグス』などの原田眞人。
物語
大阪で特殊詐欺に手を染める橋岡煉梨(ネリ)と弟の矢代穣(ジョー)。ある夜、思いがけず3億円もの大金を手にしたことから、2人はさまざまな巨悪から狙われることとなる。
(『映画.com』より抜粋)
オレオレ詐欺の手口を描く
冒頭から丁寧にオレオレ詐欺の手口が描かれる。金を持った高齢者に電話をかける“かけ子”グループと、その騙した高齢者から金を受け取る“受け子”、その“受け子”に指示を出す“三塁コーチャー”、さらにその上には全体を監督している“リーダー”がいる。
「オレオレ詐欺はビジネスだ」という台詞があったけれど、すべては役割分担され、それぞれが仕事として詐欺を行っている。本作の主人公であるネリ(安藤サクラ)は“三塁コーチャー”だ。
野球の三塁コーチがホームベースにランナーを突入させるか否かを判断するように、“三塁コーチャー”は現場であやしい動きがないかどうかを窺っている。この時は金の受け渡し場所までターゲットを尾行する間に、警察らしき男の姿を見つけ、ネリはすぐに“受け子”の男に指示を出し、金の受け渡しを中止することになる。
このシークエンスがとてもいい。『キネマ旬報』の監督インタビューによれば、実はこの“三塁コーチャー”という呼び名は、この映画で使われた独自の隠語ということらしい。それでも本作における“三塁コーチャー”の役割を見ていると、そんな隠語が実際に使われていてもおかしくないような気がする。
この冒頭シークエンスは、組織化された詐欺グループの手慣れた動きがよくわかるし、警察側もそれに負けじとおとり捜査で網を張っている。その攻防がとてもリアルで、まるで実際の詐欺の現場を見ているかのように観客を物語に引き込むことになるのだ。
お仕事映画?
この後にネリの弟ジョー(山田涼介)が登場する。ジョーは刑務所から出てきたばかりらしく、ネリは姉としての監督責任もあって自分の仕事を手伝わせることになるのだ。
オレオレ詐欺の現場で“リーダー”をやっていた高城(生瀬勝久)の本来の仕事は“名簿屋”だ。“名簿屋”はどこかから手に入れた高齢者のリストを詳しく調べ上げるらしい。高城の下で働いているネリは、ジョーと一緒に証券会社とか何とか身分を偽って高齢者から話を聞き、その家の経済状況や家族構成などの個人情報を探り出し、その中からターゲットを絞る作業をするらしい。地道な作業によって詐欺が成り立っているのだ。
ほかにも高城は手広く商売をしているらしく、生活保護受給者を囲って生活保護費の一部を取り上げる仕事もしている。「ふれあい荘」という場所は、生活保護を受給している訳アリ人物たちの住処になっている。元ヤクザでアル中の曼荼羅(宇崎竜童)や、オレオレ詐欺で“受け子”をやっていた教授(大場泰正)もいたりする。この「ふれあい荘」の住人を管理するのもネリの仕事となっているのだ。
特殊な仕事を描いた映画というのはおもしろい。特にこの場合の仕事は犯罪なわけで、普段は決して知ることができない世界だろう。そんな仕事について垣間見ることができるというだけでもおもしろいのだ。
『BAD LANDS バッド・ランズ』は、前半部はそんな詐欺グループの仕事を追うことになるわけだが、途中から状況が変わることになる。というのはジョーがネリの上司である高城のことを殺してしまうことになるからだ。ジョーはネリにとっては厄介な存在だ。何をやらかすかわからないサイコパスなところがあり、それによってネリは殺人の片棒を担ぐことになるのだが……。
※ 以下、ネタバレもあり!
原作とは異なるラスト
本作は黒川博行の『勁草』が原作になっているのだという。私はそのことをエンドロールでようやく知った。かなり昔に原作は読んでいたのだが、まったく気がつかなかったのは、原作の主人公は男性だったからだろうか。原作は一度読んだだけで詳細は覚えていないのだが、ほかにも色々と改変されているところはあるのだろうと思う。
原作でよく覚えているのはラストだ。原作はあまりにも呆気ない幕切れのために、余計に記憶に残っているのだ。原作者の黒川博行は犯罪の手口を調べ上げ、それを物語にするところに重きをおいているようで、その犯罪者たちに対してはあまり同情的ではないのだろう。
黒川原作の『後妻業の女』の時も書いたけれど、それでは映画のラストとしてはあまりにも肩透かしになってしまうので、本作でも原作とはまったく別のラストが用意されている。
本作の主人公はネリだろう。ネリに観客の何らかの共感あるいは同情のようなものがなければ、映画はうまく成り立たないわけで原作からの改変はそこを意識しているように感じられた。
持たざる者で虐げられた人
オレオレ詐欺で“受け子”をやっていた教授は「持たざる者が持つ者から生きる糧を掠め取る」ことを正当化している。このことをそのまま素直に受け取れるわけではないだろう。被害者となっているのはごく普通の一般人なのだから。
だから後半以降は「持たざる者が持つ者から生きる糧を掠め取る」という図式は、犯罪組織内部の闘争になっていく。そうなれば悪党同士の内部抗争なわけで、ネリのような下っ端には同情が集まることになる。
犯罪組織はピラミッドのような構造をしていて、上にいるごく一部の人間が稼ぎの大部分を奪い、下の者たちはそのおこぼれに預かっているだけということになる。ネリは犯罪組織の中では持たざる者であるということになる。
さらに言えば、ネリは虐げられた人でもある。ちなみネリという名前はドストエフスキーの『虐げられた人びと』から採られているらしい。ネリは元カレ胡屋(淵上泰史)からのDVで左耳が聞こえなくなったのだ。ネリが大阪に戻ってきたのは胡屋から身を隠すためだ。
ネリが高城の下を選んだのは、高城のバックにはヤクザがついていて、そこにいれば胡屋が手を出すのは難しいと踏んだからだ。そして、その高城はネリの本当の父親でもある。そんな高城はネリの母親を酷い目に遭わせた張本人であり、ネリは高城を恨んでいても、胡屋から身を守るためにそこに戻るしかなかったということになる。ネリは胡屋にも、父親である高城にも、跪かされ虐げられる立場にあったのだ。
本作では、そんな虐げられた者であり、持たざる者であるネリが、犯罪集団のトップであり、持つ者である高城を殺し、生きる糧を奪い去ることになるわけだ。観客としてもネリが虐げられてきたことを理解しているから、その行為に対して同情的になれるだろう。ただ、その先のジョーの命懸けの行動は、ネリとの関係がそこまで深いものとは感じられなかっただけに(ふたりは本当の姉弟でもない)、ちょっと唐突なものに思えてしまった。
それでも詐欺集団の仕事を描いた映画としてはとてもよくできていたと思うし、大阪弁のやり取りもおもしろかった(台詞はかなり聞き取りづらいけれど)。そして、何より脇役たちの面々がバラエティに富んでいて、観ていて退屈するところはなかった。
理解しかねるDV男の胡屋に仕える東京の着飾った女性陣は、大阪の面子と対照的でよかったし、ヘーゲルを読みつつ賭場を仕切っている女・林田(サリngROCK)もユニークだった。林田は最後にネリに近づき彼女を助けた形になるけれど、それはあくまでもドライなビジネスとしてであり、本作がお仕事映画であることを示しているようでもあった。
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