『彼女はなぜ、猿を逃したか?』 釈明する必要ある?

日本映画

髙橋泉と廣末哲万による映像ユニット「群青いろ」の作品。

監督・脚本は『東京リベンジャーズ』シリーズなどの脚本家である髙橋泉

主演は『雨降って、ジ・エンド。』にも顔を出していた新恵しんえみどり。共演には『凶悪』などの廣末哲万ひろすえ ひろまさ

物語

動物園の猿を逃して逮捕された女子高生。誹謗中傷に晒された彼女を救いたいと取材にのめり込むルポライターは、いつしか自身の精神のバランスを崩していくが……。

(公式サイトより抜粋)

女子高生とルポライター

女子高生にルポライターがインタビューしている場面から始まる。女子高生の島村未唯(藤嶋花音かのん)という名前は仮名らしい。未唯は動物園から猿を逃したことで話題になった人物だ。ルポライターの優子(新恵みどり)はその事件について未唯にインタビューしているのだ。

この冒頭場面では、「切り返し」ショットの連続で未唯と優子の対話が描かれていくのだが、その映像にはなぜかそれぞれの名前が英語で表示されている。ここでは二人が向かい合って話をしているものと思っていたのだが、それは見せかけだけで本当はモニター画面越しに話していたらしい。ネット回線を通じてのやり取りだったのだ。

未唯は猿を逃した。その情報は歪められて伝えられることになり、彼女は世間から叩かれることになったらしい。優子はきちんとそのことを取材し、未唯がなぜ猿を逃したのかということを正確に伝え、理不尽なバッシングに遭っている未唯のことを救いたいと考えているのだ。

女子高生の未唯は、「顔だけは自信ある」と語るちょっと自信過剰で尊大な若者で、世間から叩かれたということをあまり気にしてないのかもしれない。優子とのやり取りの中では、モニターの向こう側の相手にもまったく迎合しない感じもあり、優子はそれを「共感性の欠如」などとメモすることになる。

なぜ猿を逃したのか? 話題になった週刊誌の記事に書かれていたことはこんなことだったらしい。未唯は「何かをぶち壊したい」といった衝動に駆られている。「変革」への欲望だ。彼女はそんな想いを示すために、ナイフ代わりのニッパーを世界に向って突き出した。その具体例が猿を逃すという行為となり、それによって未唯は世界に対して変革を訴えかけている。そんな内容だったらしい。

この記事は佐藤(高根沢光)という週刊誌記者によるもので、佐藤は未唯からインタビューしたものの、彼女の話が要領を得なかったからか、勝手に自分にとってわかりやすい物語、どう考えても古臭い物語に仕上げたものらしい。

佐藤によれば、どのみち情報なんて捻じ曲げられて伝わることになる。彼はそんな考えのもとに、あるところから入手した映像を使った捏造記事によって、未唯のことをバッシングの対象に仕立て上げてしまったのだ。

©群青いろ2022

精神を病んでいく優子

記事によってバッシングを受けた未唯。それを救いたい優子。優子は何度も未唯とやり取りしているらしい。その優子の熱中ぶりはちょっと病的なところがある。優子は自分の願望を彼女に押し付けようとしているようにも見えてくるのだ。

そんな不安定なものを抱える優子には、彼女を支えてくれる旦那がいる。旦那の奏太(廣末哲万)は結婚式などのビデオを制作する会社で働いている。いつもバイトで来ている高校生トキオ(萩原護)との会話からすると、奏太は元映画青年で、その夢が破れ、今の映像制作会社で働いているらしい。

トキオもまた映画監督になりたいらしく、彼の作っている作品は「サバンナでピューマが獲物を狩るような会話劇」なんだとか。「そんな映画ってあるのか?」と奏太はツッコミながらも、かつての映画青年である奏太はトキオに親しみを感じているらしい。

奏太と優子の夫婦関係はとても穏やかだ。優子が愚痴を言う時もあるけれど、それに対して奏太がうまく対処しているのだ。そして、優子が精神的に落ち込んだ時には、奏太が支えになっているのだ。

※ 以下、ネタバレもあり!

©群青いろ2022

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対象との距離感

本作の構成にはある謎が隠されている。それは前半でも仄めかされていることだから、勘のいい人なら気がつくのかもしれない。その謎についてはここでは伏せておくけれど、それが明らかにされることで前半では意味不明とも思えた描写の意味がハッキリとわかることになる。これは奏太の言っていた伏線が回収されてビックリ(奏太の何とも言いかねる表情!)というヤツとも言えるだろう。

ただ、本作にはその先がある。優子は未唯のことを救いたいと考えていた。そのことが構成の謎とも関わってくるわけだが、その謎がスッキリとした後に、未唯に対しての「救い」が描かれることになるのだ。

未唯はネットでバッシングに遭った。そんな状況に対して、優子は批難の言葉も吐露している。ネットではなぜか他人のことばかりで盛り上がる。他人のことに一喜一憂し、そのことで怒り出して留飲を下げたりすることになる。しかし所詮はそんなのは他人事なんじゃないのか。何のために生きているのかと言えば、自分が幸せになるためなんじゃないのか。もっと自分のことに目を向けたらいいのに。優子はそんなふうに昨今の風潮を批難することになるのだ。

ただ、おもしろいのはそんなふうに感情的な言葉を吐いた後には、そこから距離をとることになるところだ。優子はそんな感情的な自分を客観視する立場に自分を置くのだ。この対象との距離の感覚がかつての「群青いろ」の作品とは違うところなのだろう。

©群青いろ2022

シリアスさとユーモアと

『雨降って、ジ・エンド。』の時にも記したけれど、「群青いろ」の過去の作品はかなりシリアスなものだった。極端に言えば、シリアス一辺倒だったと言ってもいいかもしれない。

ところが17年ぶりの新作だという『雨降って』も、『彼女はなぜ、猿を逃したか?』シリアス一辺倒ではなくてユーモアがある。それでも根っこの部分にはシリアスなものがあることも確かだ。未唯はネットのバッシングに遭った女子高生だし、優子は精神的に不安定なものを抱えているからだ。

生きていくうちには辛い出来事に出遭うこともある。その只中にいると、それは辛いことであることは間違いない。ただ、そうしたことも時が経って振り返ると冷静に見ることができる。そんな意味では、監督・脚本の髙橋泉が歳をとったということでもあるのかもしれない。辛い出来事に対して距離を保って見ることができるようになったのだ。

だから優子は感情的な言葉を口にした後に、それを振り返ることで冷静になり、「ちょっと今のはやり過ぎだったかな」などと自分を茶化すことができるようになったのだ。こうした視点が、「群青いろ」の新しい作品には加わっているということなのかもしれない。

©群青いろ2022

世界の秘密が明かされる?

そして、そうした距離感はユーモアともつながってくる。本作は根っこには暗いものがある。それでもあまり深刻にならないのは、奏太を演じた廣末哲万がうまくユーモアを醸し出しているからだろう。奏太はちょっとだけ距離をとって状況を冷静に見つめているからこそ、そんな余裕があるのだ。

優子の旦那である奏太はうまく彼女の病気を支えているように見えるし、職場のバイトであるトキオとのやり取りも滑稽なものがある。奏太は若者に対して気を遣っていて、いつも場の空気を和ませる。唐突に『グーニーズ』の化け物のような(?)キャラの真似をやってみたりするのも、彼なりの気遣いなのだろう。

ちょっと神経質そうにも見える廣末哲万がそんなことをやるわけで、一瞬狂気を帯びた行為に見えなくもないわけで、それが冗談だとわかると場をホッとさせることになる。廣末哲万の存在がシリアスな内容を含む作品をうまく中和させているのだ。

さらにラストでは、未唯がなぜ猿を逃したのかという謎についても明らかにされる。これは「世界の秘密」について教えてくれた女性に対する感謝の念ということになるだろう。猿を逃すことによって、もしかするとその女性が幸せになるかもしれないと未唯には思えたからだ。そして、そのことは自分だけが知っていればいいことだったのだろう。だから未唯は誰にもその謎について言うことはなかったのだ。世間の人にそれを釈明する必要なんてないのだから……。

『雨降って』でもラストで暗いところから一気に明るいところへと抜け出していったけれど、本作のラストも希望に満ちたものになっている。というのは「世界の秘密」を知ることで、未唯は自分が「何にでもなれる」と感じたからだったのだ。

今回は二週に渡って「群青いろ」の作品を観た。どちらも自主制作作品ということで、宣伝などもほとんどしていないのかもしれない。それでもそれがもったいないと思えるくらい、どちらも「観てよかった」と素直に感じさせる、とても素晴らしい作品だったと思う。

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