『雨降って、ジ・エンド。』 ぶちまけること、耳を傾けること

日本映画

映像ユニット「群青いろ」の17年ぶりの最新作。

監督・脚本は『東京リベンジャーズ』シリーズなどの脚本家である髙橋泉

主演は『偶然と想像』などの古川琴音と、『凶悪』などの廣末哲万

物語

フォトグラファーを夢見る日和(古川琴音)は、派遣バイトで働きながら、 自分の写真をSNSにアップする日々。職場の上司ムツミ(新恵みどり)の パワハラにうんざりしながらも、先輩の栗井(大下美歩)と密かに 仕返しすることぐらいしかできず、何者かになりたい気持ちを持て余していた。 ある日、急な雷雨から逃れて忍び込んだ店で、 顔にピエロのようなメイクをした雨森(廣末哲万)と出会った日和。 思わずカメラを向けた彼の写真が思いがけずバズったことで、 このチャンスに賭けようと一念発起し、 街頭で風船を配るピエロ姿の雨森と再会する。 雨森を利用するために接近したはずなのに、 二人で過ごす自然体で穏やかな時間は、次第に日和の心をほぐしていく。 日和はいつしか雨森に惹かれている自分に気づくが、 彼の抱えるショッキングな秘密を打ち明けられ、 事態は予想外の方向へ転がっていく――。

(公式サイトより抜粋)

幸せの世界ランキング

普段は派遣の仕事をしつつも、フォトグラファーとしての成功を夢見ている日和ひより古川琴音)。たまたま撮ったピエロ男との遭遇写真をSNSにアップしたところ、今までにないほどバズることに。日和はピエロ男に対する興味というよりは、SNSでの反響が気になり、需要があるかもしれないピエロ男に近づくことになる。

ピエロ男の正体は雨森(廣末哲万ひろすえ ひろまさ)という中年男で、普段からそんな格好をして街中で風船を配っているらしい。雨森はその風船に50円玉を結びつけている。つまりは見ず知らずの人に50円を配って歩いているということになる。雨森は元教師で、退職金が400万円ほどあるから、8万人くらいには風船を配れると言う。酔狂なおじさんなのだ。

雨森は常にピエロの姿のままだ。彼にはオン・オフはないのだという。そして、世界平和のためにそんなことをやっているなどと語る。とち狂ってしまった善人ということなのかもしれない。

一方で、日和が雨森に近づいたのは打算でしかない。「幸せの世界ランキング」において上を目指すためのネタ探しなのだ。ところが雨森のその人柄に触れるにつれ、日和は彼と会うこと自体が楽しくなってくるのだが……。

『雨降って、ジ・エンド。』

ピエロ姿の中年男と女の子

ピエロ姿の中年男と若い女の子。不思議な組み合わせだが、この関係がとても魅力的だ。

雨森はかなり変わっている。近所ではペニーワイズなどと揶揄されているらしい。『IT イット “それ”が見えたら、終わり。』に登場するあのピエロだ。近所でも噂のあやしい男ということなのだろう。

日和も最初は恐る恐る雨森に近づく。するとどうやら雨森は人畜無害なおじさんに見えるし、妙な共通点も見つかって楽しくなってくる。そうなると日和は無邪気なもので、一緒に酒を飲みつつ無駄話を語り合うような関係になってしまう。憂鬱そうな表情を白塗りで隠した雨森と、そんなおじさん相手に本当に楽しそうな日和の関係が、傍から見ていてもとてもいい雰囲気なのだ。

ところが後半に入ると、事態は一変する。そんな二人の心地よさげな雰囲気に馴染んでいたところだったので、正直、この展開には驚いた。

『雨降って、ジ・エンド。』

「群青いろ」とは?

その後半について触れる前に、映像ユニット「群青いろ」のことについて、自分が知っていることを記しておきたいと思う。本作の監督である髙橋泉と、主演役者である廣末哲万、この二人のユニットが「群青いろ」だ。「群青いろ」にとっては、『雨降って、ジ・エンド。』は実に17年ぶりの作品なんだとか。

私自身は「群青いろ」の作品では、『ある朝スウプは』『14歳』をDVDで観ている。宮台真司が書いた『〈世界〉はそもそもデタラメである』という本で、この2作品を扱っていたからだ。

『ある朝スウプは』(監督:髙橋泉)は、パニック障害を患った男とその同棲相手の話で、男が次第にあやしげな宗教にはまっていってしまう。『14歳』(監督:廣末哲万)は、もしかしたら一番厄介かもしれない年齢である14歳の子供たちと、14歳だったことを忘れてしまった大人たちの群像劇となっている(まだ幼くてかわいらしい感じの染谷将太も出てくる)。

この2作品を一言で表現することは難しいけれど、とりあえずはシリアスな作品であることは間違いない。重苦しいと言ってもいいかもしれない。それに比べると『雨降って、ジ・エンド。』は、かなり取っつきやすい作品になっていると言える。

※ 以下、ネタバレもあり!

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世界の時限爆弾

ただ、根っこの部分で変わっていないものもある。「群青いろ」の作品は恐らくすべて髙橋泉が脚本を書いているのだろう(ネットにもあまり情報がないからよくわからないのだけれど)。その意味で中心部分はあまり変わっていないのだ。だから後半になるとそういう部分が顔を出すことになる。

その詳細に関しては一応伏せておくことにするけれど、ピエロ男の雨森は一種の病気を抱えているということが明らかにされるのだ。昨今は多様性ということが謳われ、マイノリティに対しての理解が求められている。そのことについては社会的なコンセンサスがあるだろう。しかし、雨森のような病気の場合はどうだろうか。多くの人がここで立ち止まってしまうだろうし、拒絶する人もいるだろう。

雨森が抱えている病気は、それをそのまま行動に移すことは許されないことだからだ。しかしながら雨森はギリギリのところで踏み止まっている。厄介なことを考えてしまう病気を持っているけれど、実際には行動に移す手前で留まっているのだ。だから雨森は自分のことを「世界の時限爆弾」だと語っている。いつ爆発してもおかしくないような存在なのだ。

雨森がいつも素顔を隠しているのは、自分の素顔は見せてはいけないと感じているからなのかもしれない。実際に本作では、回想場面以外で雨森が素顔を見せることはない。雨森は日和にも最後まで素顔を隠したままなのだ。

『雨降って、ジ・エンド。』

ぶちまけること、耳を傾けること

本作は前半ではファンタジックな雰囲気を感じさせながらも、時折不穏さも醸し出している。そして、後半になるとその薄暗い部分、シリアスな部分があらわになる。

日和は雨森の告白をすぐには受け入れられない。一度は拒絶することになる。それでも日和は雨森の抱えた問題に対して、ひとつの答えを示すことになる。

雨森は自分を「世界の時限爆弾」だとした。しかしながら誰でも少なからず鬱憤は抱えている。それらが溜まってくると、いつかは爆発してしまう。日和の職場の先輩・栗井(大下美歩)は、上司のムツミ(新恵みどり)からのパワハラで次第におかしくなっていく。日和は栗井が示していたサインに雨森の言葉で気づくことになり、栗井の爆発を阻止することになるのだ。

そして、日和がたどり着いたのは、誰でも自分の感じていることをぶちまけることは自由だということであり、日和はそれに耳を傾ける人になりたいということだろう。

雨森は危なっかしいものを抱えている。それでもそんなふうに感じてしまうことを告白することは自由だ。もしかしたらその告白を受け入れることはできないかもしれない。それでも耳を傾けることはできる。告白することで時限爆弾のスイッチが解除されることもあるかもしれないし、あるいはそうでなくともタイムリミットを先延ばしにすることになるかもしれないのだ。

そもそも雨森の告白は、日和の告白がきっかけだ。日和は雨森を利用するために近づいた。そして、見ず知らずの人に金を配るくらいならと、雨森の金をチョロまかしていたりもした。日和はそんな酷いことをしてしまった自分を恥じ、それを雨森に打ち明けるのだ。多分、日和はそうすることで気持ちが楽になっただろう。

そんなふうに自分の想いを告白すれば気持ちが楽になるし、それを聞いてもらえる相手がいるということは、それだけで素晴らしいことだ。日和はそのことに気づき、雨森と一緒に暗いところから一気に明るい場所へと抜け出していくのだ。

結論に至るまでは性急だ。何と言っても本作は84分しかないのだから。それでも古川琴音が演じた日和の無邪気さとか、直向ひたむきさみたいなものは、そんなことを強引にねじ伏せるようなものがあった気がする。

ダジャレみたいなタイトルからして、本作は楽しい作品だ。しかし、それでいてどぎついものを隠している。シリアスな題材を扱いながらも、ギリギリのところでコメディとして着地させるという危なっかしい作品でもある。「群青いろ」の17年の空白が熟成された味を生み出したということなのかもしれない。とにかく古川琴音がとても魅力的で、彼女が演じる日和に「また会いたい」と思わせるような映画になっているのだ。

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