原作は山本崇一朗の同名漫画。
監督は『愛がなんだ』などの今泉力哉。
主演は『母性』などの永野芽郁と、『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』などの高橋文哉。
物語
とある島の中学校。隣の席になった女の子・高木さんに、何かとからかわれてしまう男の子・西片。どうにかしてからかい返そうと策を練るも、いつも見透かされて失敗…。そんなかけがえのない毎日を過ごしていた二人だったが、ある日、離ればなれになってしまう…。それから10年――、高木さんが島に帰ってきた!
「西片、ただいま。」
母校で体育教師として奮闘する西片の前に、教育実習生として突然、現れたのだった!
10年ぶりに再会した二人の、止まっていた時間と、止まっていた「からかい」の日々が再び動き出す――。
(公式サイトより抜粋)
人気漫画の実写化
原作となっているのはシリーズ累計発行部数が1200万部という人気漫画らしい。すでにテレビアニメ化もされていて、劇場版アニメも公開されたらしい。このテレビアニメはちょっとだけ観てみたのだが、30分の中にいくつかのエピソードが入っていて、それぞれ高木さんが西片のことをからかうことになる。
毎回、そんな細かなエピソードが展開していくっぽい。ちびまる子ちゃんは“永遠の小学3年生”だけれど、高木さんと西片もいつまでも中学生で居続け、いつまでもふたりでからかい合うことを続けていたいのだろう。
今回はその実写版ということだが、すでに前日譚となるテレビドラマ版(全8回)が放送されている(Netflixでも配信中)。テレビドラマの高木さん(月島琉衣)と西片(『怪物』の黒川想矢)もからかい合っているわけだけれど、傍から見るとふたりは付き合っているようにも見えなくもない。
高木さんが西片を好きであることは明らかに見えるし、西片だって高木さんにからかわれることを嫌がっているようには見えない。勝負に負けたとか悔しがっているけれど、そうやってるのが楽しいからこそ、改めて勝負を挑むことになるわけで、何だかんだでふたりはずっと楽しそうなのだ。イチャイチャしているようにすら見えてくる。そんなふたりの姿を羨ましがったり、微笑ましく感じたりしながら楽しむ作品なのだろう。
ふたりはそんないい関係だったわけだが、高木さんが親の都合でパリへと転校することになり、離ればなれになってしまう。そして、10年後になってふたりが再会するところからが映画版の『からかい上手の高木さん』ということになる。
変わらないふたりの関係
テレビドラマ版と映画版で変わっていることはほとんどないようにも見える(もちろん中学生ではなくなったけれど)。テレビ版とは演者が変わっても、雰囲気が似ている人を選んでいるからかほぼ違和感はない。
映画版で高木さんを演じるのは永野芽郁で、ごく自然な感じでテレビ版のにこやかな高木さんを引き継いでいる(アニメ版の高木さんはクールな印象)。永野芽郁自身が明るくて奔放な人だからなのかもしれない。これまでいくつかの映画などで彼女を見てきたけれど、永野芽郁のパブリックイメージに近いキャラクターなのかもしれない。
一方、映画版の西片を演じた高橋文哉はイケメン過ぎるきらいがあるけれど、嫌味のないさわやかさでそこは好印象だった。ほかのサブキャラ(平祐奈の真野など)もテレビ版のキャライメージをうまく引き継いでいるようで、すんなりと映画版に入っていけた気がする。
高木さんは「変わらないことがいい」と言っている。舞台となっている島(ロケ地は小豆島)も変わらないし、西片もずっと変わっていない。西片は未だにからかわれた時の反応がおもしろいし、正直者なところも変わっていない。変わらないことがいいことだというのが本作であり、だから良くも悪くも、本作はテレビ版の繰り返しとも言える(テレビ版は過去の回想として何度も引用される)。
最後に高木さんが言うように、彼女が戻りたかったのは島でもなく、中学校の教室でもなく、西片の隣であり、かつての楽しかった日々に戻りたかったのだ。そして、ふたりの関係はいつまでも「からかい、からかわれる」という関係でなければならないわけで、どうしたって告白のような出来事は先延ばしされることになるのだ。告白はひょっとすると関係をぶち壊すことになりかねないからだ。
告白は暴力だがそれでも……
おもしろいのは最終的に告白へと至ることになるきっかけには、「告白は暴力」という言葉があることだろう。この言葉は不登校の生徒・町田(『カラオケ行こ!』の齋藤潤)の指摘だ。町田はひとりが好きで、群れるのが苦手だ。そんな町田がクラスの優等生・大関(『永い言い訳』の白鳥玉季)から告白されることになったのだ。
なぜ告白が暴力になるのかと言えば、相手から回答を要求するものだからだろう。町田はひとりでいたいのに、告白によって大関との関係を余儀なくされる。町田にとってはそれが面倒だったのかもしれない。とはいえ、町田も大関のことが嫌いというわけではなく、単に困惑してしまったということなのだろう。そして、告白した大関自身も、その暴力性を自覚して「申し訳ない」と感じている。
高木さんも西片も、告白の暴力性について、それぞれ町田と大関から話を聞くことになり、それを理解したはずだ。それにも関わらず、なぜか最終的には告白を選ぶことになるのだ(この告白合戦は長回しで延々と続くことになる)。
「告白は暴力」という台詞が原作にあるものなのかどうかはわからないけれど、これは今泉力哉作品の『mellow メロウ』に通じるものがあった気がする(『mellow メロウ』の主演志田彩良も本作に顔を出している)。
『mellow メロウ』では、「片想いこそが一番」と言いつつも、なぜか「常にそれは相手に伝えなければならない」ことになっていた。告白してしまえばもしかしたら両想いになってしまうかもしれないし、失敗したら気まずい想いをすることになる。それでも常に告白はなされなけばならなかったわけだ。これはなぜかと言えば、本作の田辺先生(江口洋介)が言うように、「誰かを好き」という気持ち自体がそれだけで素晴らしいからなのかもしれない。
そんなふうにして本作でも最後にようやく告白の場面を迎えることになるわけだが、西片がカッコよく決めたとは言えず、何とももどかしい感じを抱かせることになる。それでもそんなところがとても微笑ましい気もして、予想通りの結末を迎えることになるわけだけれど、それがまた安心して楽しめる要因になっている。
中学時代なんてものは誰にとっても地獄なのかと思っていたのだけれど、小豆島ではそんなことはないということなのかもしれない。ヤンキーみたいな輩もおらず、みんないい人たちばかりでほっこりとさせる。単純に島自体が風光明媚で、観ていても癒されるところがある映画だったんじゃないだろうか。
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