監督は『アラビアンナイト 三千年の願い』などのジョージ・ミラー。
主演は『ノースマン 導かれし復讐者』などのアニャ・テイラー=ジョイ。
あの『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の前日譚。
原題は「Furiosa: A Mad Max Saga」。
物語
世界の崩壊から45年。暴君ディメンタス将軍の率いるバイカー軍団の手に落ち、故郷や家族、すべてを奪われたフュリオサは、ディメンタス将軍と鉄壁の要塞を牛耳るイモータン・ジョーが土地の覇権を争う、狂気に満ちた世界と対峙することになる。狂ったものだけが生き残れる過酷な世界で、フュリオサは復讐のため、そして故郷に帰るため、人生を懸けて修羅の道を歩む。
(『映画.com』より抜粋)
あの傑作の前日譚
『マッドマックス 怒りのデスロード』は最高だった。『マッドマックス:フュリオサ』の公開前に改めて前作を鑑賞してみると、そんなふうに感じた。アクションに次ぐアクションで一気に2時間を爆走していくテンションの高さもさることながら、ワンカットごとの画の充実度も見事で、褒める言葉しか出てこないような素晴らしい映画だったのだ。
『マッドマックス:フュリオサ』は、それを受けての前日譚ということになる。フュリオサというキャラは謎めいた存在だ。女性だが丸坊主というのも不思議だし、片腕は機械を装着した状態で、パンダのようなメイクをしている。観客としては「一体、どうしてそんなことに?」ということが気にかかるわけで、前日譚である『フュリオサ』はそんなファンの好奇心を満たしてくれる作品になっている。
ただ、本作のアプローチは前作『デスロード』とは異なるものになっていると言える。前作はアクションの連続で魅せる作品だったとすれば、本作は物語に重点を置いているのだ。前作は物語としてはごく単純なものだった。フュリオサがイモータン・ジョーの妻たちを連れて荒野へと逃げ出し、そこから再び戻ってくるだけの話だ。期間としてもほんの数日だ。
一方で『フュリオサ』は、フュリオサが子供の時代から始まり、最後にはイモータン・ジョーのところから逃げ出す前作へとたどり着くことになる。フュリオサの長い年月を追った成長譚であり、心の軌跡を描いていくことになり、そこが前作とは異なるところということになる。
同じことを繰り返さない
監督のジョージ・ミラーは同じことを繰り返したくないという気持ちがあるのだろう。本作は『マッドマックス』というシリーズのスピンオフという扱いで、原題は「Furiosa: A Mad Max Saga」となっている。「シリーズもの」は同じことの繰り返しになり、規模だけは大きくなってもフォーマットを変えることができなくてマンネリ化していくものだって多いだろう。『マッドマックス』はそうはならなかった珍しいシリーズなのだ。
暴走族と警官の闘いを描いた『マッドマックス』は、メル・ギブソンを一気にスターにしたヒット作だが、このシリーズの人気と評価を決定づけたのは『マッドマックス2』だろう。『マッドマックス2』はその独自の世界観の構築が見事で、多くの追随者を生み出すことになったのだ。
そのわかりやすい一例が、日本の漫画『北斗の拳』であることもよく知られたことだろう。大国同士の戦争後の弱肉強食の世界で、パンクな男たちが暴れ回るという唯一無二の世界観が多くの追随者を惹きつけたのだ。『マッドマックス』というヒット作と同じフォーマットで続けることだってできたはずだが、ジョージ・ミラーはそれをしなかったのだ。それがさらなる成功につながったというわけだ。
前作『デスロード』のアクションはシリーズ屈指の充実ぶりだったけれど、『フュリオサ』の中盤ではパラシュートなどを使った空中戦とも言えるアクションシーンが用意されている。ウォータンクが襲われることになるのは毎度のことだけれど、これも単なる繰り返しにならないように新しいアイディアが詰め込まれていて、前作に負けないような手に汗握るアクションシーンを見せてくれるのだ。
繰り返しではないという点では、主人公が男性から女性へと入れ替わったこともそうだろう。これは前作から準備されていたことでもある。最初の3部作は男ばかりが目立つ映画だったけれど、『デスロード』でマックスからフュリオサへとバトンが引き渡され、『フュリオサ』では女性であるフュリオサが堂々の主役になったのだ。
『マッドマックス』の第1作で殺されたのは息子だったはずなのに、なぜか『デスロード』では少女の霊がマックスを導くことになっていた。これも、もしかすると4作目からはパラレルワールドという設定なのかもしれず、女性が主導していくシリーズに生まれ変わったということだったのかもしれない。
フュリオサの復讐譚
本作はフュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ、幼少期:アリーラ・ブラウン)の復讐譚ということになる。アクションは既に前作で極めているとも言えるわけで、本作の見どころはフュリオサの復讐だ。だからラスト近くでは「40日間戦争」という大きな出来事もあるのだが、あっさりと処理されることになる。フュリオサの心の軌跡こそがキモなのだ。
フュリオサは幼い頃はグリーンプレイスという場所で育った。そこは緑に溢れた場所で多くの果物が育つ、楽園のような場所になっている。『デスロード』では、フュリオサはそこへと向けて旅立つことになるわけだが、たどり着いた場所で見つけたのはグリーンプレイスそのものがなくなってしまったという事実だった。
本作で描かれるのはその前日譚であり、フュリオサが親の仇を討つことになる。フュリオサをグリーンプレイスから連れ去ったのは名もなき荒くれ者だが、彼女の母親メリー・ジャバサ(チャーリー・フレイザー)を殺したのはディメンタス(クリス・ヘムズワース)という男になる。ディメンタスはグリーンプレイスの場所を聞き出すために、フュリオサの母親を拷問して殺したのだ。
その後、成長したフュリオサは、ディメンタスからイモータン・ジョー(ラッキー・ヒューム)に引き渡されることになる。ディメンタスたちのバイカー集団は、イモータン・ジョーたちに対抗する手段としてフュリオサを利用したことになる。
フュリオサはイモータン・ジョーの嫁候補だったわけだが、そこを逃げ出して少年のフリをして何とか生き抜き、警護隊長へとのし上がっていくことになるのだ。しかしながらフュリオサの目的は母親の敵であるディメンタスを討つことなのだ。
壊れた世界を回復させる?
思えば『マッドマックス』という作品も、マックスの復讐を描くものだった。マックスは妻と息子を暴走族たちに殺されて闇落ちし、最終的には正義をかなぐり捨てて復讐を遂げることになる。暴走族の狂気を上回る狂気に陥ったとも言えるかもしれない。
タイトルにも“マッド”という言葉を冠しているように、このシリーズの世界では狂ってなければ生きていけないのだ。だから前作のマックスはフュリオサに助言していた。「希望を持たぬことだ」というのだ。心が折れたら残るのは狂気だけだからだ。マックス自身も自分のしてきたことが狂気の沙汰だと理解しているわけだ。
それに対してフュリオサは別の形の復讐を用意している。男たちの復讐は、更なる復讐を生み出すキリのないものだった。部下たちにも逃げられて敗走したディメンタスはフュリオサに捕獲されると、あっさりと観念し「オレとお前は同じだ」と語る。フュリオサがその怒りに任せてディメンタスを殺すだけだったとしたら、そうなっていたのかもしれない。
ディメンタスはかつて子供を殺された過去があるらしい。奪われたものは戻ってこないという恨みは、ほかの誰かから奪うことを連鎖させる。そのことは破壊するばかりで、何も生み出さない。ディメンタスが背負っていたぬいぐるみは最初は笑えるネタとも思えたのだけれど、その拘りを見ているとディメンタスの狂気の表れにも思えたのだ。
フュリオサは単に母親の仇を討つことだけを望まなかった。その点でフュリオサはディメンタスとは同じではなかったし、マックスとも違う存在になったのだろう。フュリオサはディメンタスを母親から託された果物の種を実らせる土壌としたのだ。
このラストはすでに『デスロード』から周到に用意されていたものだ。前作でもグリーンプレイスの生き残りの老婆が植物の種のことについて話していた。しかし、荒廃した土地ではそれらが育つことはなかったという。砂漠化したような荒れた土地では、植物の種も根付かないのだ。フュリオサはそれを知っていたかのように、本作の最後でディメンタスをその植物の栄養分にすることを選んだのだ。
男たちが中心となる最初の3部作では、男たちは世界を破壊し尽くすばかりで、そこに希望というものは感じられなかった。一方で『デスロード』から『フュリオサ』へとつながる流れでは、主役は男性から女性へと受け継がれ、壊れた世界を回復させるかもしれない兆しというものが見出されたということになるのだろう。そんな点でもジョージ・ミラーが同じことを繰り返すことを避け、新たな物語を紡いでいこうとしていると感じられたのだ。
最後に妄想を……
ラストは、キレイに『デスロード』の逃走劇へとつながっていく。フュリオサが片腕だった理由や、あのパンダメイクの謎も明らかにされた。そして、彼女に生き抜く術を授けた警護隊長ジャック(トム・バーク)の姿は、どこかでマックスにも似ている部分があったかもしれない。そのマックスも一カ所だけ姿を見せることになるし、『デスロード』を楽しんだ人にとっては必見の作品となっているのだ。本作によって『デスロード』が真に完成すると言ってもいいのかもしれない。
前作のシャーリーズ・セロンと比べると華奢に見えるアニャ・テイラー=ジョイのフュリオサだが、その鋭い眼光が存在感をアピールしていた。
それからこれは勝手な思い込みかもしれないけれど、冒頭近くで出てきたバイカーのヘルメットが『北斗の拳』のジャギそっくりに見えた。加えて言えば、果物の種をディメンタスに植えるというネタは、『北斗の拳』の最初の頃のエピソードでケンシロウが老人の墓の上に稲を撒く場面を思い出させる気もした。『北斗の拳』は『マッドマックス2』の強い影響下で生まれた作品であるわけだけれど、今度は逆に『フュリオサ』のほうが『北斗の拳』から影響を受けたかのようにも見えたのだ。
そんな妄想はともかくとしても、何だかんだ言いつつもテンションが上がる映画になっていることは間違いないと思う。
コメント