『バティモン5 望まれざる者』 追いつめられて

外国映画

脚本・監督は『レ・ミゼラブル』などのラジ・リ

原題は「Batiment 5」。

物語

パリ郊外(バンリュー)。ここに立ち並ぶいくつもの団地には労働者階級の移民家族たちが多く暮らしている。再開発計画があるこのエリアの一画=バティモン5では、老朽化が進んだ団地の取り壊し計画が進められていた。
市長の急逝で、臨時市長となった医者のピエールは、汚職を追及されていた前任とは異なり、クリーンな政治活動を行う若き政治家だ。居住棟エリアの復興と治安改善を政策にかかげ、理想に燃えていた。一方、バティモン5の住人で移民たちのケアスタッフとして働くマリにルーツを持つフランス人女性アビーは、行政の怠慢な対応に苦しむ住人たちの助けになりたいと考えている。友人ブラズの手を借りながら、住民たちが抱える問題に向き合う日々を送っていた。
日頃から行政と住民との間には大きな溝があったが、ある事件をきっかけに両者の衝突は激化することになる。バティモン5の治安改善のために強硬な手段をとる市長ピエールと、理不尽に追い込まれる住民たちを先導するアビー、その両者間の均衡は崩れ去り、激しい抗争へと発展していく――。

(公式サイトより抜粋)

「バティモン5」とは?

ラジ・リ監督の前作『レ・ミゼラブル』は、バンリューと呼ばれるパリ郊外を描いた作品だった。バンリューは移民などの低所得者層が暮らす場所となっていて様々な問題が山積していた。『バティモン5 望まれざる者』もそうした問題を共有している。

バティモン5」というタイトルを聞くと、日本語の語感としては「パチモン」みたいで、いかがわしさを感じてしまうのだが、原題となっている「Batiment」とは、フランス語では「建物」といった意味らしい。「5」というのは「5号棟」という意味だ。バンリューにある団地の名前が「バティモン5」ということだ。

「バティモン5」はスラムと化している。10階建てなのにエレベーターは壊れていて使えないため、亡くなった人が出ると棺桶を担いだまま、狭い階段を強引に人力で降ろしていくほかない。移民である住民のひとりはそんな状況に「人が生き死にする場所じゃない」とつぶやくことになる。故郷の状況を想い出しているのかもしれず、それと比べると「今の状況は……」ということだろう。

行政としてもそんな場所は解体して新しくしたいわけで、本作では行政権力と住民との対立の構図が明らかになってくる。

©SRAB FILMS – LYLY FILMS – FRANCE 2 CINEMA – PANACHE PRODUCTIONS – LA COMPAGNIE CINEMATOGRAPHIQUE – 2023

棚ぼた市長の政策は……

本作でピエール市長を演じることになるのは、『レ・ミゼラブル』で一番横暴な警官を演じていたアレクシス・マネンティだ。ピエールは周囲に担ぎ出されただけの臨時市長ということになる。前市長が急逝し、突然そのお鉢が回ってきたのだ。前市長は汚職まみれで、クリーンなピエールが必要とされたということらしい。

ところがピエールが市長となると、その手法は傲慢なものへと変わっていく。ピエールの本来の仕事は小児科医であり、権力に対する欲望などは特に持ち合わせていない人物だ。純粋に市民のために政治に関わっていたということだろう。

ただ、ピエールの奥さんが市長の仕事を引き受けるのを心配していたように、ピエールは「バティモン5」の住民たちのリアルを知らない。ピエールは白人の富裕層であり、スラム化している「バティモン5」のような場所は市政の厄介な問題としてしか見えなかったのかもしれない。

ピエールの施策はキリスト教徒のシリア移民には優しいけれど、アフリカからの移民には厳しいものになっている。それをメディアに追求されても、共生のためにはそうした選別も当然といった態度のピエールは「保守反動」とも言われるようになり、次第に彼の施策は「バティモン5」の住民たちを苦しめる強引なものとなっていくのだ。

「バティモン5」に住む主人公アビー(アンタ・ディアウ)は、市政に対する反感から、自分が新しい市長に立候補すると言い出すことになる。アビーのこうした対応は真っ当だが、彼女の友人ブラズ(アリストート・ルインドゥラ)はもっと冷笑的に現実を見ている。ブラズは批判ばかりして現実を変えようという意識はなく、アビーとの関係も微妙なものになっていく。

本作は市政という権力と、「バティモン5」の住民たちの争いにフォーカスしていく。両者の間に立っていたのが副市長のロジェ(スティーブ・ティアンチュー)と言えるかもしれない。ロジェは「バティモン5」の元住民で、そこからのし上がった人物だ。ロジェは「バティモン5」の若い世代であるアビーなどからは裏切り者として嫌われているのだが、実際には権力者側と住民の間の均衡を保つ役割を果たしていた部分もあるのだろう。ピエールが彼の上に立つようになり、両者を調整する立場の人がいなくなってしまったため、それが住民にとっては悪い方向へと働くことになる。

©SRAB FILMS – LYLY FILMS – FRANCE 2 CINEMA – PANACHE PRODUCTIONS – LA COMPAGNIE CINEMATOGRAPHIQUE – 2023

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言論か? 暴力か?

前作『レ・ミゼラブル』は、バンリュー内におけるグループの対立がヤクザの抗争めいたところもあって、スリリングな話になっていた。その予告編では「権力VS民衆」などと煽っていたのだが、権力側の警察はかなり傲慢とはいえグループ間の調整役を果たしていたようにも見えた。最後にはグループの対立の構図が、「子供たちVS大人たち」という構図に変化していくわけだが、その部分が私にはちょっとわかりかねたのだが、バンリューのエネルギーのようなものが感じられる作品だったと思う。

一方で『バティモン5』は、対立の構図は前作よりもハッキリしていて、こちらのほうが「権力VS民衆」の構図に相応しい。しかしながらこの構図からすると、その力の差は歴然としていて、民衆たる「バティモン5」の住民たちとしてはほとんど闘いようがない。だからスリリングな話にはなりようもないのだろう。その分、前作にあったような無茶苦茶なエネルギーのようなものは感じられず、絶望感のほうが強くなったかもしれない。

「バティモン5」の住民たちはピエール市長により、突然そこを退去させられる。たまたま起きた火事をきっかけに、ピエールは建物が老朽化して危険であるとし、住民の安全のためと称してクリスマス・イブに突然の退去を求めたのだ。権力の圧倒的な力で住民はねじ伏せられることになってしまうのだ。

その意味では、前作のラストの子供たちの反乱がちょっとわかりにくい感じがしたのとは対照的に、本作でブラズが一線を越えてしまうのはわかりやすい気がする。ブラズはもう失うものは何もないわけで、その怒りを直接的に市政を担う市長たちへと向けることになるのだ。

窮鼠猫を噛む」とことわざにもある。猫と鼠ではもちろん猫のほうが圧倒的に強い。しかし、鼠も絶体絶命のピンチに追い込まれれば反撃することになる。どこかで逃げ道を残しておかなければ、手痛いしっぺ返しを喰らうことになるということだろう。

この鼠は今風の言葉で言えば、「無敵の人」とも言えるのかもしれない。「どこかに逃げ道を」というのは、そういう人たちにもある程度のケアは必要ということでもあり、追い詰めればロクなことにはならないということだろう。

もっとも、ラジ・リ監督の立場としては、アビーのように正々堂々と言論でもってやり合うべきというものであり、暴力を肯定しているわけではないけれど……。とはいうものの、バンリューの人たちがかなり追い詰められていることも事実ということなのかもしれない。

前作でも印象的だったドローンでの撮影がラストを飾る。住民の居なくなった「バンリュー5」の姿を映し出すことになるけれど、それは壮大な墓標みたいにも見えた。

『バティモン5』とは直接的には関係ないとも言えるけれど、ラジ・リが製作と脚本に参加している2022年の『アテナ』というNetflixオリジナル作品も今回初めて観た(監督はロマン・ガヴラス)。『アテナ』も舞台となるのはバンリューで、警察に住民のひとりが殺されたことから大きな暴動へと発展していく。この作品はメッセージ性は強くないけれど、カメラが登場人物を延々と追っていく長回しがスリリングで引き込まれた。バンリューのリアルというよりはギリシャ悲劇的なものを狙っているようで、派手な演出で魅せる作品になっていておもしろかった。

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