イギリス・アイルランド出身のパトリック・ディキンソンの長編監督デビュー作。
主演は『ぐるりのこと。』などのリリー・フランキーで、共演には『ぐるりのこと。』でも夫婦役を演じていた木村多江。
ローマ国際映画祭では最優秀初長編作品賞を獲得した。
物語
60代の作家、大島兼三郎の最愛の妻、明子が、闘病生活の末に息を引き取った。埋めようのない喪失感に打ちひしがれた兼三郎は、生前の明子が寺の住職に託した一通の手紙を受け取る。そこには明子が愛したイギリスのウィンダミア湖に、遺灰をまいてほしいという最後の願いが記されていた。兼三郎は遺言を叶えるために、長らく疎遠だった息子の慧とその妻さつき、4歳の孫エミとともにイギリスへ旅立つ。しかし互いにわだかまりを抱えた兼三郎と慧は事あるごとに衝突し、単身ロンドンから湖水地方に向かった兼三郎は、その途中で道標を失ってしまい……。
(公式サイトより抜粋)
『ぐるりのこと。』の二人
橋口亮輔監督作『ぐるりのこと。』では、リリー・フランキーと木村多江が夫婦役を演じ、二人の10年にも渡る日々が描かれていた。『ぐるり』は木村多江には日本アカデミー賞の主演女優賞をはじめ多くの賞をもたらした。また、リリー・フランキーにとっては、俳優としての初の本格的な仕事であり、その後の活躍は多くの人が認めるところであるわけで、二人にとってそれぞれに重要な作品となったものと思われる。
そんな『ぐるりのこと。』の主演二人が、久しぶりに共演して夫婦役を演じることになるのが『コットンテール』ということになる。ちなみに「コットンテール」というのは、そのまま訳せば「綿の尻尾」ということになるわけだが、これはウサギの種類のことを指しているらしい。
本作で重要な役割を演じることになるのがあの“ピーター・ラビット”だ。ピーターや妹たち(フロプシー、モプシー、カトンテール)と同じ種類のウサギのことを「ワタオウサギ(cottontail rabbit)」と言うらしい。『ピーターラビット2/バーナバスの誘惑』では、ピーターが自然豊かな湖水地方を「ウンザリ」だと感じて都会へと出ていく話となっていた。本作ではその湖水地方への旅が出発点となっているのだ。
暴走老人、荒ぶる?
『ぐるりのこと。』の主演の二人の共演ということで、本作はどうしても『ぐるり』と地続きのようにも感じられてしまう。もちろんキャラクターそのものを引き継いでいるわけでない。『ぐるり』の時にリリー・フランキーが演じていたキャラは、もっと人懐っこい性格だったけれど、本作の主人公である兼三郎はかなり取っつきにくい感じの男だからだ。
兼三郎が市場でこっそりとタコをちょろまかしてしまうような行動は、やさぐれた不良老人に見える(職業は売れない作家らしいのだけれど)。ただ、昨今では“暴走老人”みたいな話題が取り上げられたりもしているわけで、『ぐるり』のキャラが耄碌して暴走しているように見えなくもないのだ。
恐らくパトリック・ディキンソン監督は『ぐるり』を観ていたからこそ、本作の夫婦に二人を選んだのだろう。二つの作品にはほかにも共通する点がある。『ぐるり』では、木村多江が演じた奥さんうつ病を抱えることになり、リリー・フランキーが演じた夫がそれを支える形になっていた。『コットンテール』でも、木村多江が演じる明子は若年性アルツハイマーを患うことになってしまう。どちらの作品も奥さんが病になってしまい、そのことで夫が途方に暮れることになるという点ではよく似ている部分があるのだ。
ただ、本作では冒頭から明子はすでに亡くなってしまっている。ところが明子は菩提寺の住職に手紙を遺しており、それによって物語が展開していくことになるのだ。明子が夫の兼三郎に宛てた手紙の中には、「遺灰をイギリスのウィンダミア湖にまいてほしい」という願いが書かれている。それによって兼三郎はイギリスへと旅をすることになるのだ。
厄介なのは、兼三郎は妻の明子を亡くして茫然としつつも、突然頑固にもなり、人の助言に耳を貸すこともないような状態になり、度々トラブルを引き起こすことだ。息子の慧(錦戸亮)はそんな父親との付き合い方に苦慮しつつも、奥さんのさつき(高梨臨)と娘を連れて、一緒にイギリスの旅に付き添うことになるのだが……。
※ 以下、ネタバレもあり!
二人が約束していたこと
『ぐるりのこと。』という作品は、監督の橋口亮輔がうつ病を患った経験から出来た作品ということで、観ていても辛くなるところもある作品だ。そして、本作『コットンテール』もパトリック・ディキンソン監督が母親を亡くした経験に基づいているということらしく、こちらもアルツハイマーに関して描いた部分には辛いところもある。
兼三郎は旅の道中、度々、過去の記憶を蘇らせることになる。その記憶の中には奥さんの明子と出逢った頃の楽しい想い出もあるけれど、アルツハイマーを患ってからの記憶は次第に辛いものになっていくことになるのだ。
アルツハイマーと診断されたからには、明子自身もどんな未来が待ち受けているのかはある程度想像できることになる。その時に二人はある約束をしていたらしい。どうしようもなくなった時には、明子は兼三郎に助けてくれるようにとお願いしていたのだ。この「助ける」という言葉は優しい響きだが、それを正確に言えば「殺してほしい」ということになる。ただ、そんな願いを簡単には受け入れられるわけもないということになる。
この兼三郎の葛藤だけでも簡単に片付くものでもないわけだが、本作は94分の上映時間しかない。それに対して内容は盛りだくさんな気もして、ちょっと詰め込み過ぎという感もあった。
本作を観ながら何となく思い浮べたのは『君を想い、バスに乗る』だった。この作品も夫が妻との約束を果たすためにイギリスを旅するという話となっている。ただ、『君を想い、バスに乗る』はとてもシンプルで、ほとんど夫と妻の関係のみにテーマを絞っていた。それに対して本作は欲張り過ぎたんじゃないだろうか。
ロードムービー+α+β……
本作はロードムービーでもあるし、老夫婦の記憶を巡る旅でもある。そして父と息子の関係を描く話でもあり、アルツハイマーという病と闘う夫婦の話でもある。
それぞれに一応の結末や答えは示されているとも言えるけれど、色々と端折り過ぎて中途半端になっているようにも感じられた。自分勝手な単独行動で道に迷った兼三郎は、見ず知らずのイギリス人親子に助けられることになるのだが、そこからウィンダミア湖までは「何百キロもある」と言いながらも、車で走り出した次のカットではすでにウィンダミア湖に着いているというのにはちょっとビックリした(結局、そこからさらに写真を撮影した場所を探すことにはなるけれど)。
明子は遺言によってウィンダミア湖まで兼三郎を連れてきたわけだけれど、その旅によって慧との関係を修復させようという意図があったのだろうか。劇中でイギリス人の父親と娘の関係は良好だったけれど、一方で兼三郎と慧の関係はうまくいかない。これは男同士ということが何かしらの距離感を生んでいるということだろうか。
兼三郎みたいな不器用な父親ならそんなこともありそうだ。とはいえ息子・慧の父親に対する執着みたいなものは、私にはあまりピンとこなかった(錦戸亮の二枚目ぶりは際立っていた)。多分、慧は監督自身がモデルとなっているのだろうし、父親に対する想いも込められているのだろうけれど……。
本作では兼三郎と明子の若い頃を、それぞれ工藤孝生と恒松祐里が演じている。この二人の選択はとてもうまく決まっていたように思えた。工藤孝生は初めて知った名前だけれど、兼三郎らしい風貌にうまく化けていたと思う。
さらに印象的だったのは、明子(というか木村多江)の右頬のほくろが若い頃を演じた恒松祐里ともピッタリと一致し、何の説明がなくとも若い頃の明子だと示していたところ。メイクでわざわざ付けたのかとも思っていたのだが、どうやらあのほくろは恒松祐里自身のものらしい(恒松祐里の左頬のほくろは多分メイクで消したのだろう)。そうしたチャームポイントから二人がごく自然につながることになり、すんなりと過去のエピソードに移行していくことができたと思う。
主演のリリー・フランキーは相変わらずうまかったし、木村多江がアルツハイマーになって以降の場面ではやはり泣かせるものがあったと思う。そんな二人に監督が惚れているからなのか、本作はかなりクローズアップが多かった。イギリスの湖水地方の風景も魅力的だったので、もっと遠景のシーンがあってもよかったような気もした。
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