『52ヘルツのクジラたち』 謎が興味を惹き付ける

日本映画

原作は本屋大賞を受賞した町田そのこの同名ベストセラー小説。

監督は『八日目の蝉』などの成島出

脚本は『ロストケア』などの龍居由佳里

主演は『市子』などの杉咲花

物語

傷を抱え、東京から海辺の街の一軒家へと移り住んできた貴瑚は、虐待され、声を出せなくなった「ムシ」と呼ばれる少年と出会う。かつて自分も、家族に虐待され、搾取されてきた彼女は、少年を見過ごすことが出来ず、一緒に暮らし始める。やがて、夢も未来もなかった少年に、たった一つの“願い”が芽生える。その願いをかなえることを決心した貴瑚は、自身の声なきSOSを聴き取り救い出してくれた、今はもう会えない安吾とのかけがえのない日々に想いを馳せ、あの時、聴けなかった声を聴くために、もう一度 立ち上がる──。

(公式サイトより抜粋)

誰にも届かない声

『52ヘルツのクジラたち』のような、いかにも「感動作」というのはちょっと苦手だ。正直、あまり食指が動かない。大真面目に正論を説かれるのが、どうにも気恥ずかしいところがあるからかもしれない。

本作も、こんな不幸の連続があるのだろうかとか、人はそんなに絶叫したりはしないだろうという気がしてしまう。それでもそれ以外の部分は楽しませてくれる作品になっていたようにも感じた。こういう題材に対してエンタメなんて言うとマズいのかもしれないけれど、原作のことを何も知らずに観た人でも、いくつかの謎が提示されることで観客の興味を惹き付ける作品になっていたという意味だ。

52ヘルツのクジラ”というのは、音だけは確認されているけれど、姿は確認できていないとのこと。それでも実在するらしい。その周波数ではほかのクジラには聞こえないらしく、その声は誰にも届かない。そんな孤独な存在が“52ヘルツのクジラ”なのだ。タイトルにはそんな意味合いが込められている。

本作に登場する何人かの登場人物も、そんな“52ヘルツのクジラ”のような人たちということになる。誰にも声を届けられずに、孤独に生きている人だ。当然ながらそういう人たちの存在はほとんど誰にも知られないことになる。

たとえばネグレクトということ自体、自分の狭い世界の中では出くわすこともないし、自分の子供のことを「ムシ」呼ばわりする親(西野七瀬)など聞いたこともない。

もしかしたらこれは極端な例ではあるのかもしれないけれど、“52ヘルツのクジラ”のような人の声がどこにも伝わらないだけで、実際にそういう人もいるということなのかもしれない。『52ヘルツのクジラたち』は、そんな人たちの声を少しでも多くの人に届けるための映画ということなのだろう。

©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会

あんこときなこ

まず最初に登場するのが主人公の貴瑚きこ杉咲花)で、彼女はたまたま出会った浮浪児のような少年(桑名桃李)を助けることになる。その少年にはDVの跡らしき傷があり、声を出せない状態だった。また、貴瑚にも脇腹に刺し傷らしきものがある。一体、二人にはどんな過去があったのかという謎が提示されるのだ。

貴瑚はその少年に“52ヘルツのクジラ”の話をする。自分も誰にも声が届かないクジラのような孤独な存在だったけれど、届かぬ声を聞き届けてくれた人がいたということを明かすのだ。それがアンさん(志尊淳)という人物で、映画はそこから貴瑚とアンさんの過去のエピソードも交えながら進んでいくことになる。

アンさんは自分が“あん”だから、貴瑚のことを親しみを込めて“きなこ”と呼ぶことになる。アンさんは、ヤングケアラーとして母親(真飛聖)から家に閉じ込められるような形になっていた貴瑚を救い出す。見ず知らずの貴瑚を助け、親身になって接してくれるアンさんは信じ難いほどの“いい人”だ。アンさんは貴瑚のために行政機関などを走り回り、彼女を親から引き離してくれたのだ。

©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会

このヤングケアラー時代の貴瑚の様子を見ていると、ほとんど洗脳されているような状況だ。貴瑚にとって義父となる男は、母親の新しい男だったわけだが、貴瑚にとっては今まで育ててくれた恩のある人ということになる。

「そんな恩人を介護するのは当然」という理屈をずっと言い聞かされてきた貴瑚は、そのことに洗脳されて自分のことは二の次にして家族に尽くしている。この状態はほとんど奴隷のようだし、貴瑚自身も病んでいる。それでも貴瑚は外部との接触もないために、それが異常であることに気づかないのだ。

冒頭には、こんなシーンがあった。貴瑚がお客さん用にお茶を入れるシーンなのだが、そのあとに彼女は自分用にもお茶を入れて飲み干すことになる。ごく何気ないシーンなのだが、多分、ヤングケアラー時代の貴瑚ならばお客さん用のお茶を飲むことはなかったかもしれない。ヤングケアラー時代の貴瑚は、義父の朝食におかゆを用意しながらも、自分はパサついたパンをかじるだけだったのだ。

貴瑚はそんなふうに自分のことは二の次ということが沁みついているから、二十歳をとうに過ぎているのにお酒を飲んだこともなかったのだ。アンさんはそんな貴瑚を呪いとなっている家族から引き離し、自分の幸せというものを考えられるようにしてくれたのだ。アンさんは貴瑚にとっての本当の恩人ということになる。

※ 以下、ネタバレもあり!

©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会

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アンさんの秘密とは?

アンさんの存在は原作とはちょっとイメージが違うのかもしれない。私自身は原作を読んでいないので詳細は不明だけれど、原作のアンさんのイメージにはアンパンマンというヒーローがあるらしい。頼りになる存在だけれど、恋愛対象とは違うということだったのかもしれない。

一方で映画でアンさんを演じているのは志尊淳だから、貴瑚とアンさんが恋愛というものを意識することになるのはごく自然とも感じられる。ところがなぜかアンさんは貴瑚の告白をはぐらかすことになる。これはなぜなのかという点が、原作をまったく知らない観客としては気になるところになる。

そして、この謎についてはすぐに答えが示されることになる。実はアンさんはトランスジェンダー男性だったのだ(少年が女の子に見えていたのと逆のパターンだ)。このネタ自体は、公式サイトにも明確にアンさんがトランスジェンダー男性だと示されているわけで、それほどネタバレを恐れるものでもなさそうだ。そもそもの原作が人気作品だから、このネタ自体はそれなりに知られていることだったのかもしれない。それでも原作未読でいきなり映画から入った観客としては意外性のある展開だった。

©2024「52ヘルツのクジラたち」製作委員会

志尊淳の違和感のあるヒゲの謎が、ここでようやく納得できることになるのだ。志尊淳は頬なんかはツルツルで、それなのになぜか顎ヒゲだけを生やしている。これは男らしさをイメージさせるためのアイテムだったということになるわけだろう。

アンさんはこの秘密を誰にも言うことが出来なかったのだ。他人の届かぬ声を聞き届けることが出来たけれど、自分の声を伝えることは出来なかったのだ。そうなるとアンさんの矛盾した行動の訳もわかってくる。貴瑚の告白をはぐらかしておきながら、恋人となった男・主税ちから宮沢氷魚)に対してはちょっかいを出してくる。そんな矛盾もわからないではないという気持ちにさせることになるのだ。

その後の展開は、はじめから予想されていたことではある。冒頭近くでアンさんは貴瑚の前に亡霊のように出現していたし、貴瑚の腹の傷の訳もまだ明らかにされてはいないわけで、そうした謎が明らかにされるのだ。そして、最後には再び現在へと戻り、貴瑚は少年の声を聞き届ける役目を引き受けることを決意することになるというわけだ。

貴瑚の辿った経緯は浮き沈みが激しい。ヤングケアラー時代の奴隷のような日々から抜け出し、一時は幻のような幸せの絶頂も味わうことになる。それから再びすべてを失い、少年と出会ったというわけだ。

劇中の貴瑚は、美容院とはしばらく縁遠い感じのボサボサの長髪から、裕福で整った感じのスタイルへと変化し、その後の再出発を期したかのようなさっぱりとした髪型へと変化する。それぞれ特徴的だから混乱しないし、その浮き沈みをうまく表現している。何度も登場人物が絶叫することになる本作は、ジェットコースターみたいな映画だったように思えた。

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