『ひらいて』 予想外というのは……

日本映画

原作は『勝手にふるえてろ』『私をくいとめて』などの綿矢りさ

監督・脚本は『なっちゃんはまだ新宿』などの首藤凜

物語

成績もよくて、明るくて目立つタイプの愛(山田杏奈)は、同じクラスの“たとえ”(作間龍斗)にずっと片思いをしている。 ひっそりとした佇まいで寡黙なタイプだけど、聡明さと、どことなく謎めいた影を持つたとえの魅力は、 愛だけが知っていた。 そう思っていたある日、彼には「秘密の恋人」がいることを知る。 それが病気がちで目立たない美雪(芋生悠)だとわかった時、いいようのない悔しさと心が張り裂けそうな想いが彼女を動かした─。 「もう、爆発しそう─」 愛は美雪に近づいていく。誰も、想像しなかったカタチで・・・。

これは、誰にも言えない、わたしたちの本当のホント。

(公式サイトより抜粋)

サイコスリラー?

キラキラ映画みたいな雰囲気のチラシからは想像できないような展開で「おもしろかった」というのが最初の感想になるだろうか。こじらせている女の子ばかりが登場する綿矢りさ原作の映画を知っているなら予想しておくべきだったのかもしれないけれど、主人公・木村愛(山田杏奈)はかなりヤバい女の子だ。

愛は成績優秀でクラスのリーダー的存在で、スクールカーストの上位に位置する。ダンスではセンターを務めているし、文化祭の展示物製作(折り鶴でできた桜の木)も先頭に立って進めている。男子にも人気でこっそり友人の彼氏から告白されたりもする。それでもそれは上辺を取り繕っていただけだったのかもしれない。本作は愛が失恋することで闇落ちし、危険人物になっていく過程でもある。

西村たとえ(作間龍斗)と話すきっかけを作るために本当はわかっている問題について質問したり、ゴミ箱をぶちまけたりするのはかわいらしい努力だが、たとえが机の中に隠した手紙を盗むために危険を侵して夜の学校に侵入するようになるとちょっと異様さが増してくる。

愛はその手紙でたとえに「秘密の恋人」がいることを知る。それは糖尿病を患う新藤美雪(芋生悠)という女の子だった。愛はその美雪に近づき、彼女と仲良くなろうとする。愛の行動の真意は謎だが、やっていることは結構怖い。青春映画のフォーマットにサイコスリラー的狂人(?)が舞い込んでいるかのようにすら見えるのだ。

(C)綿矢りさ・新潮社/「ひらいて」製作委員会

狂える人びと

たとえを手に入れるために強引に突き進んでいく愛を筆頭に、本作の登場人物はどこか狂っているのかもしれない。たとえと美雪は至極真っ当にも見えるけれど、あまりに真っ当すぎてそれもかえっておかしいとも言える。

ふたりは中学生の時から付き合っているというのに手を握るくらいで、キスすらしたことがない。やりとりは秘密の手紙だけで、学校の中では一切交渉を持たない。そんな関係なのだ。それでいてたとえが大学に受かったとしたら、ふたりで一緒に東京に行こうという計画だけは立てている(美雪は地元の大学を受けるつもりなのに)。ふたりは自分たちの世界に入り込み過ぎてあまり周りが見えていないようにも見えるのだ。

そんなたとえが美雪と強く結びついているのは、ふたりがそれぞれ障害を抱えているからかもしれない。美雪にとっての障害は糖尿病で、たとえにとってのそれは彼の父親(萩原聖人)ということになる。この父親は威圧的でたとえが東京に行くことにも反対している。自分の息子を縛り付けておくことが当然だと考えているし、美雪からたとえへの手紙を気持ち悪いと言い捨てる狂った人間だ。たとえと美雪との関係が進まないのもこれがひとつの原因となっているのだ。

それから付け加えておくと、愛の母親(板谷由夏)にも怖いところがある。二度登場する母親は、二回とも朝から菓子を焼いている。これは別々に暮らしている旦那様へのプレゼントだ。これだけだと愛情深い奥様というエピソードに過ぎないが、なぜか愛の爪が自分とそっくりだと繰り返す。そして二度目の際は「(爪を見れば)顔がなくなっても愛ちゃんだとわかるわ」みたいなことをにこやかに語っている。この母親の頭の中でどんな想像が巡らされているのかはわからないけれど、「顔がなくなっても」という仮定の部分がちょっと怖い。

もしかしたらこれは「顔がなくても」だったかもしれない。そうだとしても、愛の爪がボロボロになっているのを見つつも、にこやかにそんなことを語る母親にはちょっと異様なものを感じた。愛の狂気は母親譲りなのかもしれない。

(C)綿矢りさ・新潮社/「ひらいて」製作委員会

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予想外の展開?

本作が予想外だと言うのは、愛がたとえを奪うために美雪を狙うという行動が観客にとって予想外ということだが、それだけではない。そんな突飛な行動をした愛自身も予想してなかった方向へと事態が展開していくという意味でもあるのだ。

愛は異性愛者と思われ、最初は美雪と性的なふれあいをすることに抵抗感を覚えている。ところが美雪と関係を結んだ後には、愛の中で何かしら別の感情が生まれているようでもある。

二度目に愛が美雪と寝るきっかけは、同級生たちがラブホテルへ入っていくところを目撃したからだ。何かしらの欲望に駆られて美雪のところへと駆けつけたように見えるのだ。愛のターゲットはたとえであり、それは変わらないわけだが、手段として美雪と寝たはずが、なぜか事態は愛自身も予想もしていないほうへと転がっていくのだ。

さらに、たとえと美雪の関係に割って入ろうとした愛が、ふたりから反撃を食らうことも予想外だったかもしれない。愛はたとえに告白するもののそれは拒否され、愛はふたりが「狭い世界に閉じこもっているだけ」だと非難する。そんな愛に対して、たとえは「なんでも奪い取れる」と思っている愛の傲慢さを非難し、美雪は反省してないのに軽々しく謝罪してみせる愛を「怖い」と語る。

『勝手にふるえてろ』『私をくいとめて』などの綿矢りさ原作の映画をかなり大雑把にまとめると、恋愛によって人は変わらざるを得なくなるということなのかもしれない。本作の三人も変化を余儀なくされることになる。愛はたとえと美雪からかなり辛辣な言葉を投げかけられる。しかし、それによって三人は決裂するわけではなく、紆余曲折を経て最後には互いを受け入れる形になる。タイトルの「ひらいて」というのは、「心をひらいて」ということだろう。三人はそれぞれに心をひらくことになるのだ。

(C)綿矢りさ・新潮社/「ひらいて」製作委員会

あのシーンを分析すると……

愛がふたりから受け入れられるようになるまでには、かなり複雑で屈折した心理があるわけだけれど、本作はそれを一つのシーンに集約しているのかもしれない。それは愛がたとえの父親を殴るシーンだ。

愛もたとえの父親も狂える人物だということは上述した。愛は大学進学と上京の件でトラブルになっていたたとえの家に美雪と一緒に紛れ込み、たとえと美雪の前でたとえの父親に鉄拳制裁を喰らわす。

これは狂える父親を前にしても常識的な対応をしようとするたとえと美雪に対して、愛が正しい突破口を見せた瞬間だったと思う。これが三人が和解するきっかけとなる。ただ、よく考えてみると不思議な気もする。愛がたとえの父親を殴ることが、なぜ三人の和解へとつながるのだろうか。これに関しては、『キネマ旬報』(2021年11月上旬特別号)に掲載されていた首藤凜監督のインタビューが参考になった。

首藤監督はこのシーンで愛にたとえの父親を殴らせることで、愛が愛自身を殴っているという意味合いを持たせている。愛は傲慢で自分勝手な狂える人であり、たとえの父親も似たような狂える人だ。だから愛がたとえの父親を見る目は複雑だ。

愛は奇妙なものでも見つめるようにたとえの父親を見ているわけだが、それは他人から見た愛の姿を垣間見ているような気持ちだったのかもしれない。愛の不安定な言動はクラスメイトの間でも噂になっているほどで、愛はそんな自分の姿をたとえの父親に重ねているのだ。

たとえは愛に対しては辛辣な言葉を投げつけた。愛がヤバいやつでそのくらい突き放す必要を感じたからだろう。一方で父親にはそこまでできずにいた。しかし、父親も話してわかる相手ではないわけで、愛にしたと同じように対応すべきだったのだ。それを愛が示して見せたわけだ。

それから美雪は愛に「反省してない」と指摘していたが、このシーンで愛はたとえの父親の形をした自分を殴りつけることで、ある種の反省をしてみせたことになっているのだ。だから愛はその後にたとえと美雪から受け入れられることになる。愛とたとえが見つめ合うシーンでは、暗い目をしていた愛が急に愛おしい女の子に見えるわけで、愛の変化を感じることになるだろう。

(C)綿矢りさ・新潮社/「ひらいて」製作委員会

私がここまでたどたどしく書き連ねた複雑な心の動きが『ひらいて』ではワンシーンに集約されているのだ。愛がたとえの父親を殴った後、三人が心をひらく。そのことを観客としての私もすんなりと受け入れていたのは、監督が「愛が愛自身を殴る」と語ったようには明確に言語化はできていなかったけれど、ぼんやりと感じていたからだと思う。うまく伝わるように撮られていたのだ。

『ミスミソウ』『ジオラマボーイ・パノラマガール』などいくつか主演作も観ている山田杏奈だが、本作が一番インパクトがあったと思う。「暗い目」と指摘されるその目をしっかりと体現していた気がする。その山田杏奈とのきわどいシーンもあった芋生悠は、『37セカンズ』の陽に焼けた健康的な姿とは一変していて、これもまたよかった。

ラストでオチのように使われる「また一緒に寝ようね」という台詞は、監督である首藤凜のデビュー作のタイトルでもあるのだとか。それほどこだわりがある作品ということだ。原作は愛の心の内が詳細に連ねられていくもののようだが、本作はそんな心の内をうまく映像で表現していたんじゃないだろうか。

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