『由宇子の天秤』 信じたいものを信じる

日本映画

監督・脚本は『かぞくへ』春本雄二郎。本作は長編第二作とのこと。

英題は「A Balance」。

プロデューサーには『この世界の片隅に』の片渕須直も名前を連ねている。

物語

3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件を追うドキュメンタリーディレクターの由宇子は、テレビ局の方針と対立を繰返しながらも事件の真相に迫りつつあった。そんな時、学習塾を経営する父から思いもよらぬ〝衝撃の事実〞を聞かされる。大切なものを守りたい、しかし それは同時に自分の「正義」を揺るがすことになるー。果たして「〝正しさ〞とは何なのか?」。常に真実を明らかにしたいという信念に突き動かされてきた由宇子は、究極の選択を迫られる…ドキュメンタリーディレクターとしての自分と、一人の人間としての自分。その狭間 で激しく揺れ動き、迷い苦しみながらもドキュメンタリーを世に送り出すべく突き進む由宇子。彼女を最後に待ち受けていたものとはー?

(公式サイトより引用)

正しいことと小さな嘘

木下由宇子(瀧内公美)はドキュメンタリーディレクターとして、真実を明らかにすることを仕事としている。それは由宇子にとっては「正しい」ことなのだろう。だからこそインタビューする人の家の外観は決して撮影しないと約束しながらも、次の瞬間にはあっさりと確信的にそれを破る。「正しいことをしている」という信念があればこそ、小さな嘘など問題とならないといった行動なのだ。

しかし、由宇子はそんな自分の信念を揺るがす出来事に遭遇することになる。由宇子はドキュメンタリーの仕事の傍らで、自分の父親(光石研)が経営する木下塾の講師もしている。ある日、その塾生の一人である小畑めい河合優実)が妊娠したという出来事が起きる。由宇子は親身になって萌の世話をするのだが、実はその妊娠させた相手は由宇子の父親だったのだ。

製作中の「女子高生いじめ自殺事件」のドキュメンタリーはほぼ形が出来上がり、放送日まで決まったところだった。父親のスキャンダルが表沙汰になったとしたら、作品そのものがお蔵入りになり、関係者にも多大な迷惑をかけることになってしまうだろう。それでも萌のことを無視するわけにもいかない。由宇子は両方を天秤にかけ、あちらかこちらかと揺れ動くことになるのだ。

(C)2020 映画工房春組合同会社

正しさとは?

『由宇子の天秤』のキャッチコピーは「正しさとは何なのか?」というものだ。報道やドキュメンタリーが隠された真実を暴き出すことは確かに重要なのかもしれないのだが、本作で描かれた現場の様子を見ていると、それは理想論でしかないのかもしれない。

由宇子の手掛けたドキュメンタリーは、上司の一声で構成の変更を余儀なくされる。というのもインタビューの内容がメディア批判を含んでいたからで、そんな内容をテレビで放送することは自分たちへの批判になってしまうからだ。

それに伴って追っていく対象も次々と変わり、事態は渾沌としてくる。プロデューサーのような役割の富山(川瀬陽太)は「自分たちがつないだものが真実だ」とまで言い出すことになる。これではドキュメンタリーディレクターとしての由宇子の仕事は本当に正しいと言えるのか疑問となってくる。

それでも由宇子は自分の仕事が正しいことだと思い込んでいたのだろうか。由宇子は萌の妊娠が発覚した後、それを仕事と天秤にかけ、明らかに仕事のほうを選択しているからだ。正しい仕事のためなら、ほかのことは後回しにしても許されると考えたのかもしれない。

由宇子のこの判断はある意味では現実的な選択でもある。妊娠の責任を取るという点は当然としても、それを表沙汰にすることは誰の得にもならないからだ。常に正直であることが正解となるとは限らないのだ。

というのは木下塾のスキャンダルが表沙汰になったとすれば、世間的には由宇子の父親も由宇子自身も抹殺されることになる。教え子を妊娠させたことは法的に犯罪とは言えないかもしれないけれど、SNS等で誰もが好き勝手な罵詈雑言を垂れ流す時代にあっては、それは格好のネタだからだ。

由宇子が追っていた「女子高生いじめ自殺事件」でも、加害者の家族がネットでバッシングを受け、引っ越しをせざるを得ないような状況に追い込まれているわけで、由宇子たちも同じような状況になることは目に見えている。そうなると萌の妊娠をこっそり処理することで、父親の仕出かした失態を隠蔽するしかないというのが由宇子の結論だったのだ。

※ 以下、ネタバレもあり!

(C)2020 映画工房春組合同会社

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監督からの問いかけ

本作を鑑賞した日には、上映後に春本雄二郎監督による舞台挨拶があった。その際、監督が語っていたのは、「ラストでなぜ由宇子が自らにカメラを向けたのか考えてみてください」という問いかけだった。

劇中、由宇子がインタビュー以外で誰かにカメラを向けるシーンが二度あった。萌を妊娠させた父親に対してと、作品を強引に変えさせようとした富山に対してだ。ここでは由宇子はカメラを武器として糾弾する相手にカメラを向けている。だとすれば由宇子は自分を糾弾するために自らにカメラを向けたということだろう。

上述したように本作は「正しさとは何なのか?」を巡って描かれていくことになっている。だとすれば、由宇子は自分が正しくなかったと気づいたから、最後に自分にカメラを向けたのだろうか。春本監督の意図としてはそれもあるのかもしれないが、個人的にはそれ以上に由宇子は自らのメディアリテラシーのなさに愕然としたからのように見えた。というのは由宇子は自分が正しくないことを理解しつつ、それでも父親と一緒にそれを抱えていくことを選択していたからだ。

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2つの柱の共通点は?

本作では「女子高生いじめ自殺事件」に関するドキュメンタリー製作と、萌の妊娠騒動が2つの柱として平行して描かれる。そして、それらが共通して示すのが、由宇子がメディアや世間の噂に踊らされていたということではないだろうか。

「女子高生いじめ自殺事件」に関してはかなり多くの時間が割かれることになるわけだが、真相が明らかになることはない。というのはそこに大きな嘘が混じっていたからだ。ある人物が嘘をつき、それをメディアが大々的に真実として取り上げることになり、由宇子もそれを信じてしまっていたのだ。ところが放送日が近づくと嘘をついた人物は恐ろしくなったのかそれを白状することになる。このことでドキュメンタリーは大きな事実誤認があったとして放送中止になってしまう。

そして、本作のもう一方の柱でもある萌の妊娠騒動だが、これも由宇子の失敗によって隠蔽工作も無駄になってしまう。由宇子にとって萌の妊娠は自分の仕事をお蔵入りにするかもしれない汚点となっている。それがもしかしたら杞憂に終わるかもしれない事実が、あるところからもたらされる。

木下塾の男子学生が、「萌は嘘つきだから信じるな、萌はウリをやっている」といった内容を暴露するのだ。もしそれが本当なら、萌のお腹の子供は由宇子の父親とは無関係である可能性も出てくる。そんな打算がその言葉を萌に対して投げかけることにつながる。そして萌はそれがきっかけで交通事故に遭うことになってしまう。

萌はシェクスピア劇の有名な台詞「ブルータス、お前もか」のように、「先生もなんだね」と残して消える。萌は世間の噂に傷ついていたのだろう。由宇子はその傷に塩を塗りつけたようなものだ。萌の反応からすると、男子学生が語った噂はまことしやかな嘘だった可能性を捨てきれない。由宇子はここでも世間に流布する嘘に踊らされたのだ。由宇子はその自戒を込めてカメラを自分に向けたのではないだろうか。

(C)2020 映画工房春組合同会社

信じたいものを信じる

テレビ局は視聴率欲しさから視聴者の見たがるものが真実だと信じたいのだろうし、ネットリンチをしたい人は過剰な正義感から事件の加害者を罰を与えて当然の極悪人と信じたいのだろう。それと同じように、由宇子は自分にとって有利なことを信じたかったのかもしれない。人は自分の信じたいものを信じてしまうから、時に物事を見誤ってしまうのだ。

私の本作に対する最初の関心は「女子高生いじめ自殺事件」にあった。だから途中でそれについての真相追及が放棄された時、ちょっと困惑した。一体何を観てきたのかと迷子になったような感覚に襲われたのだ。私自身もワイドショー的なものに興味をひかれていたわけで、自分が見たいと思っていた展開にならなかったために、その先何を追うべきなのかわからなかったのだ。

本作は町山智浩が今年のベストに推すなどとても評価が高い一方で、「ラストに至っても何も解決しない」など感じている人もいるようだ。これも自分の予想していたものとは違っていたために、ラストで監督が意図していたことが飲み込めなかったということなのかとも思えた。本作は主役の由宇子だけではなく、観客も揺さぶられるところがあるのだろう。個人的には152分を飽きもせずに惹きこまれつつも、「正しさとは何なのか?」がさっぱりわからず(正しさを体現している人はいたのだろうか)、観た後に色々と考え込んでしまうような作品だった。

最後に付け加えておけば、『恋人たち』以来久しぶりで池田良という役者が出ていたという点が自分にとっては特筆すべきところだった(最近CMでも見かけるので気になっていたのだ)。『恋人たち』での人を見下したにやけた感じが印象的で、本作でも医者としてちょっとだけ顔を出している。

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