『TITANE チタン』 変化は恐怖か? 喜びか?

外国映画

監督・脚本は『RAW 少女のめざめ』ジュリア・デュクルノー

カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを獲得した。

物語

幼い頃、交通事故により頭蓋骨にチタンプレートが埋め込まれたアレクシア。
彼女はそれ以来<>に対し異常な執着心を抱き、危険な衝動に駆られるようになる。自らの犯した罪により行き場を失った彼女はある日、消防士のヴァンサンと出会う。10年前に息子が行方不明となり、今は孤独に生きる彼に引き取られ、ふたりは奇妙な共同生活を始める。だが、彼女は自らの体にある重大な秘密を抱えていた──

(公式サイトより抜粋)

意味不明な出来事に圧倒……

本作は主人公アレクシア(アガト・ルセル)が交通事故に遭うシーンから始まる。事故によってチタンを頭に埋め込まれたアレクシアは、成長して車の上でセクシーなダンスを披露するダンサーとなる。その煽情的なダンスは男性ファンに人気なのだが、アレクシアはストーカーまがいのファンをかんざしのようなものであっさりと始末する。アレクシアは実はシリアル・キラーでもあるのだ。

本作の前半部分は女性シリアル・キラーが暴れ回るホラー映画といったノリなのだが、そこから転調したようにまったく違う映画になっていく。そして、最後にはなぜか愛が語られることになるのだが、グロくて痛みのある描写に顔をしかめながらも、怒涛の展開と意味不明な出来事に圧倒される2時間だった。

カンヌ国際映画祭で審査員長だったスパイク・リーは、本作について「キャデラックが女性を妊娠させる映画なんて初めて観たよ!」などと語っている。これはどういう意味なのかと言うと、そのままの意味なのだ。本作はアレクシアが車とセックスして身籠みごもってしまう映画なのだ。

(C)KAZAK PRODUCTIONS – FRAKAS PRODUCTIONS – ARTE FRANCE CINEMA – VOO 2020

肉体の変容

妊娠したらどうなるかと言えば、お腹が次第に膨れてくることになるわけだが、アレクシアの場合は相手が車だけにそれだけには留まらない。乳房からはオイルが漏れ出してくるし、はち切れんばかりになったお腹の皮膚の下から鉄のようなものが顔を出すようになる。アレクシアは車との子供を妊娠したことで、肉体的に大きく変容していくことになるのだ。

この「肉体の変容」というテーマは、監督のジュリア・デュクルノーが前作『RAW 少女のめざめ』でも扱っていたものだ。前作はベジタリアンとして育てられた少女が、生の肉を食べたことでカニバリズムへの衝動が抑えられなくなっていくという話だった。これは少女が大人になる際の肉体変化への恐怖が、カニバリズムという表現になったものだ。子供を産める身体になるという、肉体の変化に対する恐怖がそこにはある。

『TITANE チタン』における妊娠も、それと同様の恐怖ということになるだろう。自分の中に新しい生命が育まれ、腹が膨れてくるという現象は、女性にとってはそれまでになかったような肉体の変化ということになるからだ。

さらに「肉体の変容」というテーマには別の要素もあるだろう。それはボディ・ホラーと呼ばれるホラー映画のジャンルだ。公式サイトの「完全解析ページ」の記載によると、「視覚的に残酷でグロテスクな、見る者の心を激しくかき乱す人体の破壊や変性を提示する」ような映画ということになる。たとえばデヴィッド・クローネンバーグ『ヴィデオドローム』や、塚本晋也『鉄男』などがボディ・ホラーに当たるだろう。

ジュリア・デュクルノーはそんなボディ・ホラーの「肉体の変容」を、女性のリアルな身体の変化というものに結びつけて本作を生み出したということなのだろう。意味不明とも思えた「車とセックスして妊娠する」という出来事も、そんな背景を理解すればちょっとはわかりやすくなるのかもしれない。

(C)KAZAK PRODUCTIONS – FRAKAS PRODUCTIONS – ARTE FRANCE CINEMA – VOO 2020

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メタモルフォーゼ

本作では後半から消防士ヴァンサン(ヴァンサン・ランドン) と、彼の息子アドリアンに化けたアレクシアの奇妙な共同生活が描かれる。アレクシアはそこから逃げることもできたのだが、なぜかそれを思い止まる。それはヴァンサンがアレクシアの本当の父親とは正反対で、アレクシアに愛を注いでくれたからだろうか。

アレクシアの本当の父親は彼女に対して無関心だったように見える。一方でヴァンサンは幼い息子アドリアンが消えてしまったことで愛すべき対象を失っていた。ヴァンサンは突然現われたアレクシアのことを、偽者だと理解していたのかもしれない。それでもヴァンサンは愛する対象が必要だったし、アレクシアも父親から愛されることを望んでいたのだろう。

(C)KAZAK PRODUCTIONS – FRAKAS PRODUCTIONS – ARTE FRANCE CINEMA – VOO 2020

シリアル・キラーだったアレクシアがヴァンサンの家に住むようになってからは、その殺人に対する衝動も消えてしまったように見えるのも、ヴァンサンからの愛情を感じていたからだろうか。ヴァンサンの愛情はマッチョなもので、彼は彼なりに新しい息子に“男らしさ”を教え込もうとしている。それはゾンビーズの曲に合わせてダンスをしながら張り手をかましてきたりするような愛情なのだが、かつての本当の父親が示した無視よりは、そんな暑苦しい愛情をアレクシアは求めていたということだったのかもしれない。

ラストでアレクシアが子供を産んだ後にどうなったのかは記憶にない(あるいは描かれていなかったのだろうか)。恐らくアレクシアは死んだということなのだと思うのだが、それでもなぜかヴァンサンが赤ん坊を取り上げるラストシーンは喜びに満ちていたように感じられた。車を愛し、チタンを自分の中に取り込んだアレクシアは、出産することで古い身体を脱ぎ捨て、脱皮して新しい身体に生まれ変わったようにも見えたのだ。それはメタモルフォーゼの完遂ということだったんじゃないだろうか。

(C)KAZAK PRODUCTIONS – FRAKAS PRODUCTIONS – ARTE FRANCE CINEMA – VOO 2020

変化は恐怖か? 喜びか?

否応なしの「肉体の変容」の恐怖を描く本作は、アレクシアの妊娠と、ヴァンサンの加齢による衰えでそれを示している。妊娠による急激な変化と、加齢によるゆっくりとした変化には違いはあるが、それが恐れを伴っているという点ではどちらも同じだ。

しかし、それと同時に意図した変化も描かれている。アレクシアは女性から男性に化け、男性に化けつつも扇情的なダンスを踊ってみせる。この場面のアレクシアは男性なのか女性なのか?

さらに産まれてきた子供は人間と車の“合の子”であり、本作は様々な境界というものを乗り越えようとしているようにも、あるいは境界そのものを曖昧にしようとしているようにも思えてもくる。

そもそも本作はシリアル・キラーの話から始まり、愛の話に終わるわけで映画のジャンルもよくわからなくなってくる。果たしてそれがどんな意味合いを持つのかは私にはわかりかねるけれど、わかる人にはわかるのかもしれない。とりあえずはわからないなりに圧倒された映画だったとだけは言えるかもしれない。

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