『ターミネーター』シリーズの最新作(第6作)。
監督は『デッドプール』などのティム・ミラー。
本作はシリーズの生みの親ジェームズ・キャメロンが製作に復帰し、サラ・コナー役には『ターミネーター2』以来のリンダ・ハミルトンが復帰しているのも見どころ。
原題は「Terminator: Dark Fate」。
物語
『T2』から約25年後の世界。メキシコシティの自動車工場で働いているダニー(ナタリア・レジェス)は、父親の姿をした新型ターミネーター「REV-9」(ガブリエル・ルナ)に襲撃される。
命を狙われたダニーを救ったのはグレース(マッケンジー・デイヴィス)という強化型兵士。人間離れした動きでREV-9を撃退するものの、REV-9はすぐに体勢を整えて再び襲ってくる。
工場を抜け出し逃走を図るものの絶体絶命のピンチに陥った時、突如として現れたのがサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)だった。サラはREV-9を撃退してダニーたちと行動を共にすることに……。
混迷を極めるシリーズ
ジェームズ・キャメロンが製作から離脱して以降、混迷を極めているこのシリーズ。『ターミネーター3』では女性版ターミネーターを登場させたものの、前2作の焼き直し以外の何ものでもなかった。
次の『ターミネーター4』(原題「Terminator Salvation」)では、伝説のように語られてきたジョン・コナーがいる未来に舞台を移し、スカイネット率いる機械軍とそれに対抗する人間たちの姿を描くことに。これが新シリーズとなり『ターミネーター』を救済するはずが、興行収入がまったく振るわずに新シリーズは頓挫してしまう。
さらに第5作『ターミネーター:新起動/ジェニシス』では、前作を無視して第1作と第2作をリブートして別世界の『ターミネーター』新シリーズにするつもりが、この新シリーズも同様に頓挫してしまう。
新作のたびにパラレルワールドが増えていくばかりで新しい物語を生み出すことができずにもがいている状況だ。今回の第6作『ターミネーター:ニュー・フェイト』は、ジェームズ・キャメロンとリンダ・ハミルトンというオリジナルな面子が復帰して『ターミネーター』『ターミネーター2』の正統な続編という触れ込みになっているのだが……。
※ 以下、ネタバレもあり!
カールじいさん?
『T2』ではサラはジョン・コナーを守り抜き、「審判の日」を回避することに成功する。しかし、未来から送られてきたターミネーター(T‐800)は1体だけではなかったというのが『ターミネーター:ニュー・フェイト』の設定。
実は『T2』の後に訪れた平穏な日々のなかで不意を突かれたサラは、ジョンをターミネーターに殺されてしまうことになる(久しぶりのエドワード・ファーロングはCGでの一瞬の出演だった)。
予告編ではサラがT‐800と遭遇して怒りを露わにしていたのが意外だったのだが、『T2』でジョン・コナーを守るためにプログラミングを書き換えられていたT‐800とは別のT‐800ということになるから当然とも言える。
ジョンを殺されてしまったサラが何をしていたかと言えば、未来から送られてくるターミネーターを狩ることを生きがいとして生き永らえている。そして、その情報をサラに送っていたのが本作でカールと呼ばれるT‐800(アーノルド・シュワルツェネッガー)ということになる。
『T2』ではジョンから人間らしく振舞うことを学んでいたT‐800だが、本作ではジョンの抹殺という目的を達成した後に、人間として生きていくうちに独自に人間について学習している。カールを名乗り人間の女性やその息子と一緒に暮らしていたことで、自分がサラにしたことの意味を知ることになるのだ。そして、T‐800は自分の意志でダニーを守りREV-9と戦うことを選ぶことになる。
聖母たちの争い?
それではREV-9のターゲットとなっているダニーは何者なのか。
ダニーはまだ21歳で、自動車工場で働いている弟想いの女性。まだ何者にもなっていない人物だ。この「何者にもなっていない」という設定はかつてのサラと同じで、ダニーの境遇を知ったサラは、ダニーが未来の指導者を生む母親なのだと推測する。
本作ではサラが「聖母」という言葉を口にしている。これまでの作品ではそんな言葉が使われたことはなかったはずだが、未来の人類の救世主であるジョン・コナーを生んだ聖母という意味だろう。そうなると本作では『ターミネーター』『ターミネーター2』で聖母の役割を与えられていたサラから、新聖母たるダニーへとバトンタッチをする作品ということになる。
町山智浩の指摘によると、ジョン・コナー(John Connor)はそのイニシャルがイエス・キリスト(Jesus Christ)と同じになっている。キャメロンは始めからジョン・コナーに救世主としてのイメージを重ねていたということだ。
聖母として思い浮かぶのは「聖母マリア」だが、マリアが聖母とされているのはイエス・キリストという救世主を生んだから。ジョン・コナーも「審判の日」で滅亡しかけた人類にとっての救世主であり、それを生んだ母親だからサラは聖母とされるわけだ。
ただ、その聖母のイメージは聖母マリアとは全く異なる。『ターミネーター』ではしがないウェイトレスだったサラは、『ターミネーター2』ではジョンを守り未来の指導者として教育するために自らも戦士として生まれ変わっていた。そんな戦う女性が聖母としてのサラだったわけだ。
聖母から救世主へ
本作はそんな聖母の座を巡る戦いなのだと思わせつつ展開していくのだが、実はそれはサラの早とちりであり、シリーズの生みの親キャメロンはさらに先を見据えている。グレースが語るところによれば、ダニーは未来の救世主の母親ではなく、ダニー自身が未来の救世主になる人物だったのだ。
わざわざキャメロンが復帰して本作を製作することになったのも、この点の更新という意図があったようにも感じられる。サラはジョン・コナーの母親だからという意味で聖母とされ崇拝される位置にあったわけだが、ダニーは彼女自身が崇拝の対象となっている。グレースは未来のダニーによってこの時代に送られたわけだが、グレースが危険なミッションに従事するのはダニーに対する崇拝の念があるからなのだ。
本作では老いてもなお意気軒高な姿を見せるサラ・コナーを筆頭に強い女性たちが描かれる。すらりとした体格とボーイッシュな風貌のカッコよさも特筆すべきところだが、ダニーを守ることに関しては一途なグレースは、人間でありながら未来の技術で強化されていて異次元の動きを見せている。そして、わけもわからずに戦いに巻き込まれる形のダニーは、家族を殺され圧倒的に不利な戦いを生き抜くことで成長していく。ダニーは逃亡するほかないと思われていたREV-9にも積極的に戦いを挑むようになっていく。
これまでもキャメロン作品では強い女性が描かれてきた。『ターミネーター』のサラ・コナーはもちろんのこと、『エイリアン2』のリプリーだってそうだろうし、『アリータ:バトル・エンジェル』のアリータを付け加えてもいいかもしれない。本作では救世主を生んだ聖母だからという理由ではなくて、ダニー自身が救世主となることで、ジョン・コナーというこれまでの救世主を抹殺することになっているのだ。
ジョン・コナーが死ななければならなかったのは、ダニーという新しい救世主像を描くために必要だったからだろう。キャメロンは何かに寄り掛かるかのような聖母というイメージを更新していくために、自身が救世主となるダニーという強い女性像を求めたということではなかったろうか。しかし、その隣にはジョンの代わりにダニーを未来の人類の指導者に育てようとする、聖母サラ・コナーの姿があることも言い添えておかねばならない。
アクション映画として
新たな強い女性像という意味では新機軸を打ち出したとも言える本作だが、アクション映画としてはやはり行き詰りを感じざるを得ない。『ターミネーター』『ターミネーター2』はSF的な設定のおもしろさはもちろんだが、しつこいほどに追ってくるターミネーターの姿にハラハラドキドキさせられるところだろう。本作はそうしたアクションのつるべ打ちとしては、空中戦や水中戦など新趣向を模索したりはしているものの既視感があるのは否めない。
それから『T2』で登場した液体金属のターミネーター(T‐1000)はほとんど無敵で、その後に登場するターミネーターもこれを継承している。本作のREV-9は液体金属版とスケルトン版(?)の2体に分身する機能が付け加わっているものの、T‐1000と大きな違いはないとも感じられる。この点は『T2』であまりに強すぎるキャラクターを作ってしまったことの弊害と言えるのかもしれない。その点では後先考えずに作った『T2』はシリーズのなかでも傑作として名高いものとなったわけだが……。
というわけで本作も新シリーズとして続くというのは難しいのかもしれない。アメリカでの興行収入はかなり厳しい状況で、赤字になることが予想されているのだとか。
シュワルツェネッガーの名台詞「I’ll be back」は、本作ではリンダ・ハミルトン演じるサラの台詞となっている。一方でシュワルツェネッガーが演じるカールは、劇中で自分が暮らしていた家族に「I’ll won’t be back(もう戻らない)」と言い残している。シュワルツェネッガーの出世作となったこのシリーズだが、「もう終了」ということになってしまうのかもしれないのだがどうだろうか?
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