『私は確信する』 人を納得させるのは難しい?

外国映画

フランスで実際に起きた未解決事件を追ったフィクション。

監督・脚本・脚色・原案はアントワーヌ・ランボー。本作が長編デビュー作とのこと。

原題は「Une intime conviction」。

物語

2000年2月、フランス南西部トゥールーズ。38歳の女性スザンヌ・ヴィギエが人の子供を残して忽然と姿を消した。夫ジャックに殺人容疑がかけられるが、明確な動機がなく、決め手となる証拠は見つからない。ジャックは第一審で無罪となるがすぐさま検察に控訴され、翌年の第二審で、再び殺人罪を問う裁判が行われる。

無実を確信するシングルマザーのノラは、敏腕弁護士デュポン=モレッティに弁護を懇願。自らも助手となり250時間の電話記録を調べるうちに、新たな真実と疑惑に気がつくが…。

(公式ホームページより抜粋)

ヴィギエ事件とは

この事件がフランスで話題となったのは、夫のジャックが「完全犯罪は可能だ」と言っていたことがメディアに取り上げられたからなのだとか。ジャックは法学部教授で、ヒッチコックの映画が好きらしく、授業の際にそんな発言をしたらしい。メディアをそのことを“ヒッチコック狂による完全犯罪”などと煽ったため、注目を浴びることになったようだ。

もともとヴィギエ夫婦の仲は悪く、家庭内別居状態にあったためか、捜索願を出すのが遅れたことが後に問題になったりもする。結局、スザンヌは消えたままで、死体はおろか何の証拠がないにも関わらず、夫は容疑者にされてしまう。

そして、それから9年後の2009年に第一審が行われ、そこでは無罪だったにも関わらず、検察はすぐに控訴し、翌年の2010年に第二審が行われることになる。本作で描かれるのは、この第二審の部分だ。

(C)Delante Productions – Photo Severine BRIGEOT

フランスでは大ヒット

ヴィギエ事件そのものがフランスで話題になったということもあり、本作は口コミで広がり、40万人を動員する大ヒットになったのだとか。二審の裁判長も注目を浴びている事件だということを意識してか、裁判が始まる前にヒッチコックの映画に言及している。

裁判長はこの事件はヒッチコックの2つの作品を思い出すと語る。ひとつは『バルカン超特急』で、もうひとつは『間違えられた男』だ。『バルカン超特急』は特急列車からある老女が消えてしまうという作品で事件と通じるところがある。そして『間違えられた男』は、タイトル通り“冤罪”を描いた作品だ。

裁判長は裁判の最初に、この事件は女性が消えてしまった事件であり、それに関して冤罪が起きているとほのかしたつもりだったのだろうか。事実を元にした映画とはいえ、どこまでが本当のことなのかはわからないけれど……。

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主人公は料理人

『私は確信する』で奇妙なのは、主人公が第二審の弁護士ではなくて、部外者とも言えるただの料理人であるところかもしれない。その主人公ノラ(マリナ・フォイス)は、被告であるジャック(ローラン・リュカ)の娘の知り合いで、ジャックの無罪を信じていたために裁判に協力するようになっていく。第二審に敏腕弁護士として有名なデュポン=モレッティ(オリヴィエ・グルメ)を担いだのもノラであり、ノラはデュポン=モレッティからの依頼で250時間にも及ぶ通話記録を調べることになる。

その調査でわかってくるのは、失踪したスザンヌの愛人デュランデ(フィリップ・ウシャン)があやしい動きをしているということだ。デュランデはスザンヌが失踪した後に、「ジャックがあやしい」などとあちこちで触れ回っていることがわかってくる。

ノラは根気よく通話記録を聞き続けていくと、次第にデュランデの嘘が明らかになってくる。ベビーシッターをやっていたセヴェリーヌという女性は、ヴィギエ家の風呂場で「血を見た」と証言して、それがジャック逮捕につながるのだが、その証言はデュランデがセヴェリーヌに言わせていたことが判明するのだ。

(C)Delante Productions – Photo Severine BRIGEOT

真犯人は誰だ?

現実の事件を題材としたとされながらも、エンドロールで初めて知らされるのは、主人公のノラの存在がフィクションだということだ。ほかの登場人物は実在の人物であるのに、わざわざ実在しない主人公を創造するのはちょっと奇妙にも思えるし、実際の裁判において活躍するのは弁護士であるデュポン=モレッティだから、不必要なキャラにも感じられる。にも関わらず、ノラを登場させなければならなったのにはもちろん理由がある。

ノラはジャックの無罪を信じているし、検察の横暴なやり方にも怒りを抱いている正義感の強い女性だ。裁判の中では検察がジャックの父親を半ば脅すような形で、ジャックに自白を促すように仕向けることを強要されたりもしている。ジャックは何の証拠もないのに、容疑者として10年もの月日を過ごすことになり、ウツ病を患い苦しんでいる。そんな状況に義憤を感じ、ノラは裁判に協力することになるわけだ。

しかし、そののめり込み方は異常とも言える。ノラはシングルマザーであるのに息子のこともほったらかしにし、最後は仕事を放り出して裁判に向き合うことになるからだ。

ノラの仕事に信頼を置いていた弁護士のデュポン=モレッティも、最後にはノラを突き放すことになる。というのも、ノラは自分だけがデュランデの通話記録の詳細について知っているために、事件の真犯人をデュランデだと決めてかかっているからだ。

(C)Delante Productions – Photo Severine BRIGEOT

行き過ぎた正義感

デュポン=モレッティが最終弁論で語るのは、「推定無罪」という裁判の大原則についてだ。検察はひとつの仮説を提示する。ジャックがスザンヌを殺し完全犯罪を目論んだというものだ。陪審員はその仮説が説得力があるか否かを判断することになる。この裁判で問われているのは、その仮説だけに関してなのだが、われわれはノラと同様に真犯人探しをしてしまう。

被害者とされるスザンヌに関しては、失踪したことだけしかわからない。実際にスザンヌが自分で家出をすることもできたはずで、証拠がなければ罪には問えないということが原則なのだ。

通話記録によるとデュランデがあやしいというのもわかる。とはいえ、それに関して立証するのは弁護士であるデュポン=モレッティの仕事ではない。検察はジャックを疑い、何の証拠もないのに、ジャックを犯人に仕立て上げようとした。

ノラがデュランデを疑うのはわかるが、それによってデュランデを真犯人扱いすることになれば、検察と同じ過ちを繰り返すことになる。そこを際立たせるために、わざわざノラという主人公が創造されたということなのだろう。

確かに物語はノラの視点で展開していくために、われわれ観客としてはノラと同様にデュランデを真犯人だろうと思い込んでしまうところがある。そして、弁護士のデュポン=モレッティがもっとデュランデを追い込まないことを不満に感じたりもする。もし観客がそんなふうに思ったとしたならば、それはノラと同様の行き過ぎた正義感に囚われているということなのだ。

(C)Delante Productions – Photo Severine BRIGEOT

解説が欲しい

ダルデンヌ兄弟作品の常連役者として、『息子のまなざし』ではカンヌ国際映画祭 男優賞も獲得しているオリヴィエ・グルメが最後に魅せる。最終弁論では長台詞を朗々と語り上げて、陪審員に対して説得力のある論を展開していたし、オリヴィエ・グルメとしても見せ場だったと思う。

ただ、司法制度に関してはよくわからない部分もあったかもしれない。公式ホームページには「フランス特有の司法制度の問題点」などと記されているのだが、そもそも日本の司法制度のこともほとんど知らない無知な観客としては、どこがフランス特有なのかいまひとつわからないのだ。

タイトルとなっている「Une intime conviction」は、日本語に訳せば「内なる確信」といった意味だが、これは法律用語であるとのこと。本作の裁判においては証拠がなくてもジャックは容疑者とされてしまうわけだが、それはフランスの司法制度がその「Une intime conviction」に寄り掛かっているということなのかもしれないのだが、そのあたりが映画だけではよくわからず、ちょっともやもやとしたものが残った。公式ホームページに司法制度に詳しい人の解説でもあれば納得できたのかもしれないのだが……。

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