プロデュースは『チェイサー』や『哭声/コクソン』などのナ・ホンジン。
監督は『愛しのゴースト』などのバンジョン・ピサンタナクーン。
原題は「The Medium」。
物語
小さな村で暮らす若く美しい女性ミンが、原因不明の体調不良に見舞われ、まるで人格が変わったように凶暴な言動を繰り返す。途方に暮れた母親は、祈祷師である妹のニムに助けを求める。もしやミンは一族の新たな後継者として選ばれて憑依され、その影響でもがき苦しんでいるのではないかー。やがてニムはミンを救うために祈祷を行うが、彼女に取り憑いている何者かの正体は、ニムの想像をはるかに超えるほど強大な存在だった……。
(公式サイトより抜粋)
祈祷師の一族
『女神の継承』はタイを舞台としている。しかもバンコクなどの都会ではなく、東北部のイサーン地方と呼ばれる田舎が舞台となっている。ここは未だに伝統的で古臭いものが残っているところらしい。
日本で言うところの“八百万の神”のように、あらゆるものに精霊が宿っていると考えられている世界なのだ。そして、それはいい霊もあれば、悪霊もいるという。このあたりの感覚は、“トイレの神様”すら存在する日本の人たちには理解しやすいと言える。
本作のタイの雰囲気はとても薄暗い。緑は豊かで青々としているのだが、常に曇っていてどこかジメジメとしている。そして、村では森の奥に住むらしいバヤンという女神が崇拝されている。
最初に登場するのはニム(サワニー・ウトーンマ)という祈祷師だ。ニムの一族は代々の女性が祈祷師を務めてきたとされる。最初にバヤンに選ばれたのは長女のノイ(シラニ・ヤンキッティカン)なのだが、ノイはそれを拒否し、ニムにその役割が回ってきたらしい。
そして、次の祈祷師に選ばれたのはノイの娘のミン(ナリルヤ・グルモンコルペチ)であり、ミンは突然体調を崩すことになる。バヤンに選ばれるとしばらく生理が続くなどの体調不良が起き、それがきっかけとなりバヤンのための祈祷師を継承することになるらしい。
悪魔祓い+疑似ドキュメンタリー
本作はフィクションだが、それをドキュメンタリー映画風に撮影する「モキュメンタリー」という手法を採っている。ドキュメンタリー映画のスタッフが祈祷師であるニムを撮影していたところ、ミンに体調不良が生じ、スタッフとしてはバヤンという女神の継承過程を撮影できるのではないかと考え、ミンのほうにもカメラを向けることになる。
ところがミンはどんどん異常を来たしていくことになる。生理が止まらないだけではなく、夜中に自分の職場に男たちを連れ込んではセックスをしている様子が監視カメラに残っていて、ミンは仕事も辞めざるを得ないことになる。さらには自殺未遂をしてみたり、行方不明になり1カ月も廃墟で過ごしていたり、奇妙な行動が続くことになる。
祈祷師のニムは、ミンが自分の後釜だと勘違いしていたのだが、実際にはミンは何かしらの悪霊に憑りつかれていることがわかってくる。そうなると村の守護神たるバヤンと悪霊との祈祷合戦の様相を呈してくることになる。
端的に言えば、本作は『エクソシスト』のような悪魔祓いの話を、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『パラノーマル・アクティビティ』のような疑似ドキュメンタリーの手法で描いた作品ということになる。
派手なクライマックス
悪霊に憑りつかれることになるミンは、最初は今風の若者として登場する。演じているナリルヤ・グルモンコルペチはとてもかわいらしい女の子で、アイドル風のルックスとも言える。その姿がおぞましい化け物のように変貌していく様子が見どころと言える。
ちなみに本作のレーティングが「R18+」となっているのは、ミンが裸になったりセックスしたりするシーンがあるからでもあるのだが、そのほかにも残酷な描写が連発する。特に飼い犬に対する仕打ちは怖気を震うような描写だったし、ミンの狂いっぷりも凄まじいものがあって、何もかもかなぐり捨てたようなナリルヤ・グルモンコルペチの振り切り方は見事だった。
とは言うものの不満点もあって、祈祷師と悪霊との対決となるクライマックスは派手なお祭り騒ぎが延々と繰り広げられ賑やかなのだが、『哭声/コクソン』にあったような眩惑感みたいなものは感じられなかった。
呪術的世界の背後に……
そもそも本作製作のきっかけは、ナ・ホンジンが『哭声/コクソン』の続編として、ファン・ジョンミンが怪演した祈祷師・イルグァンの物語を思いついたことだったようだ。それが場所をタイに変えて、本作に姿を変えたということらしい。
ただ、『女神の継承』はシンプルに呪術的世界ばかりが描かれ、『哭声』のような複雑さに欠けるような気もした。『哭声』では、ルカによる福音書の言葉が引用され、信じることの重要性が説かれていた。これは端的に言えば「病は気から」というやつだ。もっと世俗的に(あるいは科学的に)言えば、「プラセボ効果」ということになるかもしれない。
人が悪魔を信じてしまえば悪魔は存在することになるし、呪いを信じ込めば呪われることになってしまう。「信じる者は救われる」ではなく「信じる者は呪われる」ということだ。呪術的世界の背後にそうした設定があったからこそ、呪いというものもそれなりに信憑性があったし、世俗化された社会に生きているわれわれにとっても怖さを感じられたんじゃないだろうか。
一方で『女神の継承』は、呪術的世界が素朴に実在するかのように描かれている(逆に言えば、その背後には何もない)。
ちなみに本作の原題は「The Medium」となっている。これは「媒体」という意味であり、「霊媒」のことも指す。「霊媒」とか「霊媒師」というのは、神の言葉を人間に伝える役割をする人のことだ。
通常、人は神と直接にやりとりできるわけもなく、選ばれた者だけが神の言葉を授かることができる。日本ではそんな存在は「口寄せ」とか「イタコ」とか呼ばれてきた。たとえば卑弥呼などはその最も有名な例ということになる。
「霊媒師」と「祈祷師」は正確には種類が異なるのかもしれないけれど、神と人間の間をつなぐ存在ということでは同じだろう。ニムはバヤンという女神の祈祷師ということになっていて、悪い霊に憑りつかれた者を祓ったりする仕事をしていた。それでも最後はニム自身もバヤンのことを感じたことがないということを告白している。
そんなニムは、ラストの祈祷師と悪霊との対決を前にあっさりと死んでしまう。バヤンのことを感じたことがない、つまりは女神を疑っているにも関わらず、呪いだけは実在しているということになる。もちろんそんな世界があってもいいのかもしれないけれど、今さら呪いの藁人形で単純に人が呪い殺されるというだけの映画がおもしろいとは思えないのだ。
緑が多いタイの暗くジメジメとした雰囲気は何かしら得体の知れないものが潜んでいるようでよかったのだけれど、呪いによる惨劇が連発する後半は派手なのだけれどかえって単調にすら感じられてしまった。
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