『タロウのバカ』 飛ぶと落ちるとき……死ぬ

日本映画

『ゲルマニウムの夜』『光』などの大森立嗣監督の最新作。

物語

タロウ(YOSHI)という名前は、エージ(菅田将暉)とスギオ(仲野太賀)がつけてくれたもの。タロウは初めてふたりと会った時に、名乗らなかったらしい。「名前のない奴はみんなタロウだ」という理由でタロウとなった少年は、いつも荒川沿いの空き地でブラブラしている。タロウは一度も学校に行ったことがないのだ。

三人の境遇

主人公はタロウということになるわけだが、グループのリーダーはエージだろう。エージは高校にスポーツ推薦で入学したもの、ケガで挫折して以降居場所を失っている。半ば自暴自棄な行動でほかのふたりも巻き込んでいくことになる。

一番常識的なのはスギオで、スギオはエージたちとつるみながらも心のなかでは洋子(植田紗々)のことを考えている。洋子はピアノが上手な同級生なのだが、ヤリマンなどと呼ばれている。いつもウリ(売春)をして金を稼いでいるからだ。洋子のことが好きなスギオはそれが堪らないらしく、そうした鬱屈を晴らすためにエージたちと一緒にいるのかもしれない。

タロウには一応家はあるのだが、家庭生活は成り立っていない。母親(豊田エリー)はなぜかタロウのことに無関心だからだ。戸籍もないから学校に行かなくとも問題がなく、勉強をする機会もないタロウはまったく常識がない。ピザを食べたことすらなかったらしいし、「好き」ということの言葉の意味もよく知らないのだ。

そんな無軌道なアウトサイダーの三人組はある出来事で拳銃を手にすることになり……。

※ 以下、ネタバレもあり!

(C)2019 映画「タロウのバカ」製作委員会

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どこにも行けず、目的もない三人

三人は学校にも行かず青春を謳歌しているのかというとそんなことはない。家には帰れないのか荒川沿いの高架線が走っている侘しい場所で暇をつぶしているだけだ。羽目を外して暴れてみても、三人の高笑いはかえって虚勢を張っているようにしか見えない。

最初のほうのナレーションでエージはこんなふうに語っていた。

「飛ぶと落ちるとき……死ぬ」

エージが半グレの吉岡(奥野瑛太)を襲撃したのは、「飛ぶ」ことだったのだろう。半グレを襲っても殺したわけではないから、逆襲に遭うのは目に見えているわけで、エージの行動は自殺行為とも言える。

エージは意図的にそうしているわけだが、スギオは洋子を通して社会とも辛うじてつながっている。その洋子もウリをしているアウトサイダーだから、スギオには解決策は見いだせないわけだが……。それでもスギオはそれ以上やるとヤバいことになることは理解しているから、エージの行動に恐れをなすことになる。

しかし、タロウはエージの無茶についていき、時にはエージに制されるほど羽目を外してしまう。タロウが恐れを知らないのは単に無知(バカ)だからだろう。無知ゆえの経験のなさが何でも可能にしてしまい、社会の枠組みの外へと踏み出させてしまうのだ。

生き残ったのは?

スギオは洋子との関係で悩み、混沌のなかで自ら銃で頭を撃ち抜く(『タクシードライバー』のトラヴィスの狂気のようだった)。さらにエージも最初に予想していた通り、飛んだ後に死ぬことになる。生き残ったのはタロウだけだ。そして、タロウは何をするのかと言えば、サッカー場で試合をしていた子供たちのなかに乱入して叫ぶことになる。

なぜタロウが生き残ることになったのだろうか?

本作の冒頭では半グレの吉岡が「相模原障害者施設殺傷事件」の犯人のような台詞を吐いていた。吉岡はある場所で障害者たちを囲って貧困ビジネスをしている。障害者を食い物にしつつも、彼がぶちまけるのは「生死の判断つかない奴はもう全員殺した方がいいんだよ」という、極端に偏った考えなのだ。

ここでは吉岡に「あんたは間違ってるよ」と語る元ヤクザの小田(國村隼)もいたのだが、吉岡は小田のことも殺してしまうために、なぜ吉岡が間違っているのかを知ることはできない。

この冒頭のエピソードを受けてラストを考えてみる。吉岡が言っていたような「生死の判断つかない奴」=「バカ」とするならば、タロウが真っ先に死ぬべきだったのかもしれないのだがタロウは生き残る。一方で「バカ」ではなかったエージとスギオは、考え過ぎたのか自滅してしまう。

ロシアの民話をもとにしたトルストイ『イワンのばか』は、兄弟のなかで一番のバカだったイワンが成功することになる話だ。ここでは「バカ」とは「愚直」のことを意味しているのだろう。

タロウも「バカ」ゆえに生き残ったともいえるのだ。ただ、最後の絶叫が周囲の人に与える印象は狂気以外の何物でもない。それでも三人の姿を追ってきた観客には、タロウが「怒り」や「悲しみ」や「もどかしさ」を感じていることを理解するだろう。「バカ」ゆえに表現としてはどうしようもなく拙いものだが、あの絶叫はこんな「バカ」でも生きているということの証明でもあるからだ。元ヤクザの小田が吉岡に言おうとして言えなかったことがここにあるのかもしれない

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