『アス』 自分という存在に対する違和感

外国映画

『ゲット・アウト』ジョーダン・ピール監督の最新作。

原題はUs

物語

1986年は「Hands Across America」というアメリカの飢餓救済イベントが開催された年。主人公のアデレードはまだ幼く、ビーチの近くにある遊園地で迷子になってしまい、そのショックでしばらくしゃべることができなくなってしまう事件が起きる。

それから時は流れ、アデレード(ルピタ・ニョンゴ)には夫と子供二人がいる。夏休みにカリフォルニア州サンタクルーズという海辺の町へ行くのだが、そこはアデレードがかつて住んでいたところだった。迷子になったトラウマが残るビーチに行くのを嫌がるアデレードは、夜になるとかつての記憶が蘇るのか不安に駆られることになるのだが……。

赤いつなぎを着た4人の客人

アデレードの不安が的中するかのように、夜になるとアレデード宅に4人の客人が現れる。赤いつなぎを着た4人は、ただ不気味に家の前に立っているだけ。夫が声をかけても何も答えることはなく、無理やり家のなかに押し入ってくる。よく見ると、その4人はアデレードたち家族とそっくりな4人だったのだ。

自分たちの分身のような4人組。彼らは一体何者なのか?

(C)Universal Pictures

スポンサーリンク

ドッペルゲンガーとは何?

よくあるドッペルゲンガーものであるならば、主人公の分身となる人物は、主人公の自己像の投影であるというオチが多い。たとえばエドガー・アラン・ポーの短編小説「ウィリアム・ウィルソン」であれば、その分身は主人公の良心的な部分が投影されたものという解釈が成り立つ。そうすると本作ではその分身は一体何の投影なのか?

そんなふうに推測していたのだが、そもそも家族4人が同時にドッペルゲンガーを見てしまうという設定がかなり奇妙なものと言えるし、しかもそれらの分身は単なる幻影ではない実在の人物で、アデレードたちを殺すつもりで襲ってくるというわけで、よくあるようなドッペルゲンガーものとは違った作品であることが判明する。

それでもまだこの段階では、家族4人が集団ヒステリーで幻想を抱いてしまったという可能性も否定できないとも思っていたのだが、その推測も間違いであることがわかる。というのは、助けを求めたアデレードたちが隣家に赴くと、そこでは別家族が彼ら自身のドッペルゲンガーに殺害されていることが判明するからだ。この赤いつなぎのドッペルゲンガーたちは何者なのか?

(C)Universal Pictures

※ 以下、ネタバレもあり!

彼らの正体

実は彼らはアメリカ政府がつくったコピーだったということが明らかになる。ただ、コピーを作ったのはよかったものの、そこに魂を入れることはできず、計画自体も頓挫して彼らコピーは地下に隔離されることになったのだという。そんな彼らが一斉に地下から這い上がってきて、自分のオリジナルに対して反旗を翻したのが今回の事態だったということになる。

それでは地下から這い上がってきたコピーたちは一体何のメタファーなのか? それは裕福な生活を享受している富裕層に対する、未だに底辺の生活に苦しんでいる貧困層ということになるのだろう。彼らは「私たちはアメリカ人だ」と宣言していた。タイトルとなっているUsとは、「私たち」を意味すると同時にUnited Statesであることを指しているということになるわけだ。本作で描かれているのは、一部の富裕層が多くの富を独占し、その反面で底辺の生活を強いられる貧困層がさらに増えつつある、アメリカそのものということなのだろう。

(C)Universal Pictures

自分という存在に対する違和感

冒頭、少女時代のアデレードは遊園地のミラー・ハウスに入る。鏡がそこに何を映すかと言えば、それを覗き込んだ人を映すことになるわけで、そのミラー・ハウスには「自分探し」を意味する名前が付けられていた(子供時代のミラー・ハウスは「Vision Quest」、現在のそれには「Find Yourself」と記されていた)。

自分の顔を見るには鏡が必要で、自分の顔を直接見ることはできないはずだが、そのミラー・ハウスではアデレードは自分の顔と直接向き合うことになる。それがアデレードの分身であるレッド(ルピタ・ニョンゴの二役)だったのだが、実はその最初の遭遇の時点でふたりは入れ替わっていたというのがラストのゾクゾクさせるところ。

町山智浩の解説によれば、監督のジョーダン・ピールは、黒人の父親と白人の母親の間に生まれたとのこと。そうなると黒人からすれば白が混じっているということになるだろうし、白人からすれば黒人にしか見えないということになるわけで、どちらにも居場所がないということになる。

『ゲット・アウト』では黒人の肉体のなかに白人の魂(脳)を移植するというおぞましい話だったが、本作のオチを見ても、ジョーダン・ピールという人の自分という存在に対する違和感が独創的な物語を生み出しているようにも感じられた。

本作は前作『ゲット・アウト』ほど完璧に構築されていたという感じはしないのだが、突拍子もない展開はなかなか楽しませる。ただ、政府が人間のクローンを作っていた理由など、説明もなく放り出されている部分も多い気もする。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました