『his』 理想論だけれど涙を禁じ得ない

日本映画

『愛がなんだ』などの今泉力哉監督の最新作。

企画・脚本はアサダアツシ

主演の宮沢氷魚は、父がTHE BOOMのボーカル・宮沢和史で、母がタレントの光岡ディオンなんだとか。

物語

かつては都会でサラリーマンをしていた井川しゅん宮沢氷魚)は、今では岐阜県白川町の山のなかに引っ込んでいる。迅はそこで自給自足と物々交換でひっそりと暮らしていた。迅が人を避けるようになったきっかけは、彼が同性愛者であり、そのことを隠して生きていくつもりだったからだ。

そんな迅のもとへ、8年ぶりにかつての恋人・日比野渚(藤原季節)が現れる。しかも6歳になるという娘の空(外村紗玖良)も一緒に。渚は奥さんの玲奈(松本若菜)と離婚調停中なのだというのだが……。

同性愛者はつらいよ

本作には実は前日譚となるテレビドラマシリーズ(『his〜恋するつもりなんてなかった〜』)もあるらしい。もしかするとふたりの馴れ初めはそちらで描かれているのかもしれないが、本作は別れの場面から始まる。そこでも別れを告げるのは渚のほうだったように、ふたりの間で主導権を握っているのは渚で、迅は告げられた別れを受け入れるしかなかったようだ。

昨今ではLGBTQという言葉が普通に使われるようになってきたし、性的マイノリティに対する差別はいけないという認識だけは共有されるようになってきたのかもしれない。それでもやはり急に世の中すべてが変わるわけもないわけで、性的マイノリティに対する偏見は未だに残っているのだろう。本作に登場するふたりの主人公は、ゲイであることに苦しんでいる。

迅はそれを隠し人里離れた山の中で暮らすようになる。一方の渚は、ゲイであることを一度は否定し、玲奈と結婚し空という娘も授かる。それでも結婚生活のなかで自分を騙しきることまではできず、妻との関係は壊れてしまうことになる。

(C)2020 映画「his」製作委員会

再会したふたりと離婚調停

本作では再会した迅と渚の関係と、渚と玲奈との離婚調停の様子が追われていく。

迅は渚の突然の訪問に明らかに戸惑っている。世間の目から隠れるための場所に、かつての恋人が現れてしまったわけだから。そして、フラれた側の迅からすれば、今更どういうつもりなのかという怒りもあるのだろう。さらに渚は空の育児に迅が関わることを当てにしている様子でもあり、迅は自分の態度を決めかねているように見える。

一方、離婚調停では親権のことが問題になる。『マリッジ・ストーリー』でも妻側に親権が渡ることになるように、親権に関しては女性が有利になることが多いようだ。これは世間一般的に子育ては女性がするものという考えが既成概念化しているからだ。しかも渚は迅と男ふたりで空を育てるつもりだけに余計に特殊な事例と感じられ、調停では不利に働くことになってしまう。

※ 以下、ネタバレもあり!

(C)2020 映画「his」製作委員会

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ラブ・ストーリー?

本作は同性愛者のふたりのラブ・ストーリーであることは確かなのだが、個人的にはもっと普遍的なものを描いているように感じられた。ふたりのラブ・ストーリーであるとすれば、迅が地域社会に対してカミングアウトし、ふたりで空を育てていくことを決心する時点で終わってもよかったはずだからだ。

そもそも前半の迅と渚のラブ・ストーリーの部分は、渚の自分勝手な部分ばかりが目に付いて、迅の行動に感情移入することができなかった。迅と渚の関係は、渚に主導権があって、迅は振り回されるばかり。それでも迅は未だに渚のセーターを大切に保管しているほどで、すぐには受け入れることができなくとも、渚から「オレが求めてたのは、迅だった」などと言われると参ってしまうことになる。これは端的に言えば、惚れた側の弱味かもしれない。

物語が動くのはこの後で、ヨリを戻した形になったふたりは白川町という地域社会でどう暮らしていくかが問題になる。もちろんふたりとしては地域社会に自分たちの事情を宣伝するつもりはなかったわけだが、娘の空が無意識のトリックスターとして働き、迅は地域社会に対してゲイであることをカミングアウトすることになる。

迅は性的マイノリティとして弱者の立場にあるという意識から、人目を避けて田舎に引っ込んだわけだが、その白川町の人々は隣人の緒方(鈴木慶一)などやさしい人たちばかりで、彼らを自然に受け入れてくれていたのだ。性的マイノリティである自分が弱者だと決めつけていたのは自分自身であり、世界はもっとやさしいのかもしれないと感じるようになるのだ。

弱者と強者

個人的にはこの段階ですでに涙腺は崩壊していて、そのまま終わってもラブ・ストーリーとして、あるいはマイノリティが少しだけ前向きになる話として、納得していた気もする。だが本作はさらに続き、離婚調停のシークエンスにおいて、弱者と強者の関係について焦点化していくことになる。

離婚調停では最初はゲイのふたりが娘を育てるという特殊性が問題となって、世間一般の偏見が示されることになるわけだが、途中から形勢は逆転する。というのも、玲奈は酒に酔って子育てを放棄するという失態を演じていて、そのことが法廷で明らかになるからだ。このこと自体は観客も共有しているわけだから、調停の勝利は当然のことと思え、本作が同性愛者のラブ・ストーリーだとすると離婚調停のシークエンスが蛇足にも感じられた。

しかし、それは私の早とちりだったようで、この後にまた物語が動くことになる。渚は法廷のなかで弱者になりつつある玲奈に救いの手を差し延べることになるのだ。

(C)2020 映画「his」製作委員会

本作の迅がサラリーマン時代に体験していたように、性的マイノリィに対する差別はいけないという認識はあったとしても、やはりLGBTQという性的マイノリィが弱者となる場面はあるのだろう。LGBTQの割合は13人に1人だとか、もっと少ないとか色々説があるようだが、数的に少ないことは確かなのだろう。大部分を占める側は性的マイノリィに対して、知らず知らずに強者として振舞っていることもあるのかもしれない。

以下、弱者と強者という観点で本作を見てみたいと思う。迅と渚との関係で言えば、渚は強者になるだろう。また、渚と玲奈との関係においても、渚が強者と言える。前半部分で二組の関係性が交互に編集されて示される場面があるが、ここでは渚がどちらにおいても強者として振舞っていたように感じられた。

しかし他方で、渚が同性愛者である点では、マイノリティという弱者になるだろう。また、上述したように迅は自分が同性愛者ということで勝手に弱者だと思っていたのは間違いだったとカミングアウトする。強者と弱者という立場は、シチュエーションによって入れ替わることがあるということだ。

そして離婚調停という法廷の場では、渚は性的マイノリティというレッテルを貼られ弱者の立場にあるわけだが、後半になって玲奈の失態が明らかになると立場は逆転し、母親失格というイメージを負わされた玲奈は弱者となり、渚は強者の立場に置かれる。渚はここで弱者となっていた玲奈に突然和解を申し入れるのだ。

渚は自らも性的マイノリティという立場で弱者としての経験もあるわけで、玲奈に母親失格というレッテルを与え、空の親権を奪い取ることまでは憚られたということのなのだろう。これは弱者の辛さがわかっている渚だからこその決断だったのだろうと思う。

ここまでの分析をまとめると、迅は性的マイノリティであることで自分を勝手に弱者であると決めつけていたことを反省し、渚は強者の立場から弱者の側に歩み寄ることになったわけだ。これはかなりの理想論だとも思う。弱者にはもっと強くあれ鼓舞し、強者にはもっとやさしくあれと教え諭すわけだから。

この結論は「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」(『プレイバック』)というフィリップ・マーロウの言葉を思わせる。『his』はマーロウのようなハードボイルドの世界とはまったく違うわけだけれど……。

ラストは空が自転車の練習をしている姿を上空から捉えている。渚と迅と玲奈という三人の大人が、空が倒れてしまったところへ駆け寄るところで終わる。強者と弱者が共に生きていくというメッセージというわけだが、言葉にすると説教臭いが本作はそれをすんなりと観客に届けることに成功していたんじゃないだろうか。とりあえず私自身は涙を禁じ得なかったことだけは告白しておきたいと思う。

(C)2020 映画「his」製作委員会

今泉力哉映画として

前回取り上げた『mellow メロウ』は、今泉力哉のエッセンスを純粋培養したような作品だったわけだが、本作は脚本が用意されたものということで全体の雰囲気は異なる。それでも空が父親渚と迅のキスを目撃してしまったときの気まずいんだけどちょっとおかしな感じは、『mellow メロウ』の主人公が夫同席で奥様に告白されてしまう場面のようなおもしろさがあった。そして、本作でも「ありがとう。でも、ごめんなさい」という例の台詞も使われていた。

この台詞は白川町の役場に勤める美里(松本穂香)が迅に向けたもの。白川町は過疎化もあって都会から移住してくる人に協力的な場所なのだ。迅はそれを「ありがとう。でも、ごめんなさい」と断ることになるわけだが、本作ではそれをひっくり返して使っている場面もあった。

これは渚が玲奈に対して法廷で発したもので、「ごめんなさい。でも、ありがとう」という形になっていたのだ。謝罪が先に来ているのは、渚が異性愛者を装った形になり玲奈を騙していたからだ。しかし玲奈がキャリアウーマンとして外で働いてくれていたことで、渚は主夫として空の成長していく姿に間近で接することができたことに対して感謝もしている。今泉作品においては、感謝と謝罪は表裏一体になっているということだろうか?

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