監督は『ブロークバック・マウンテン』『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』などのアン・リー。
『メン・イン・ブラック』『アラジン』などのウィル・スミス主演のアクション映画。
物語
ヘンリー(ウィル・スミス)は史上最高のスナイパーとされた伝説の男。それでも寄る年波には勝てず引退を決意するのだが、どういうわけか雇い主である政府から狙われる立場になってしまう。
海外へと逃亡したヘンリーはそこで新手の暗殺者と相まみえるのだが、自分の動きを予測するかのような攻撃を仕掛けてくる凄腕のその男は、実はヘンリーのクローンだった。
「ジェミニ」とは?
タイトルの「ジェミニ」というのは双子座のこと。ただ、正確にはヘンリーとクローンの男は双子ではない。歳が違うからだ。51歳のヘンリーに対し、クローンは23歳という設定。若いのときのヘンリーからDNAを採取して培養したということになるのだろう。クローン羊ドリーの人間版がヘンリーということになる。
過去の自分と闘うという設定は『LOOPER/ルーパー』のようなタイム・トラベルものにはたまにありそうな設定。『LOOPER/ルーパー』では別人が演じていた過去と現在の自分を、『ジェミニマン』では両方ともウィル・スミスが演じているというところが見どころと言える。約30歳もある年齢差をどうやってカバーするのかと言えば、若い頃のヘンリー(劇中ではジュニアと呼ばれる)のほうはフルCGで描かれているのだ。
本作の企画は結構前からあったものだったのだが、技術的に年齢が異なる主人公をCGで生み出すのが無理だったために延期となっていたものらしい。最近の『ジャングル・ブック』とか『ライオン・キング』なんかのCG技術を見ていると、現実にはないものすらCGで作り上げてしまうほど精巧になってきている。そうした技術的な革新があってこそ本作がようやく製作できたということだろう。クローズアップになっても若い頃のウィル・スミスがそのまま演じているかのようで、まったく違和感のないCGとなっている。
新技術による映像
それからもうひとつの目玉となっているのが、3D+IN HFR(ハイ・フレーム・レート)という新技術が使われているところ。アン・リーは『ライフ・オブ・パイ』で最先端の3D技術を駆使してアカデミー賞監督賞まで獲得しているわけで、本作もさらに新しい技術を使っていこうという意気込みがあるようだ。
ハイ・フレーム・レートという技術は、簡単に言えば、1秒あたりのコマ数が増えているということ。これまでの映像よりもより本物に近い映像が体験でき、3Dの没入感も段違いというのがウリとなっている。
新技術と相性のよくないアクション
宣伝などでも技術的なウリばかりが目立ってしまっているのは、物語としてはよくある話であって、特筆すべきことはないからなのかもしれない。オートバイのアクション・シーンではカラフルな街並みがいつもよりも鮮明に感じられたような気がするが、それがハイ・フレーム・レートという新技術の効果なのかもしれない。
追記:よく調べてみると、都内でも限られた映画館でしかハイ・フレーム・レートでの上映はやっていないらしく、私が観た2D版では新技術も何も関係ないのかも。つまりは本来意図しているような革新的な映像は体験出来ていないのだろう。
ただ、新旧ふたりのウィル・スミスが共演というウリは、アクション・シーンとなるとほとんど意味を失ってしまう。オートバイのシーンはちょっと遠景から撮ることになる上に、スピード感もあるために誰が演じていてもあまりわからないだろうし、暗闇での格闘シーンに関してもくんずほぐれつしているふたりがウィル・スミスであるかどうかは確認できないからだ。
せっかくのCG技術を活かすためにジュニアの顔を前面に出す必要があるからか、クローンとして生み出され殺人兵器に仕立てられたという自分の運命を悲しみを涙で表現したりもするのだが、CG技術としてとてもよくできてはいても、アクションの合い間に妙にウェットなシーンが入ってきて、どうにも中途半端なものになってしまっているようにも感じられた。
クローンという倫理的問題
なぜクローン技術を人間に応用して最強の兵士をつくろうとしたのかと言えば、ヘンリーのような伝説的な男も永遠に仕事を続けられるわけではないから。殺しを続けていると次第に疲弊し、夢のなかでも殺した人間の亡霊にうなされるようになる。しかし組織の側としては常にそうした人材は必要とされる。ただ、一から後継者を育て上げるのは手間とコストがかかる。だから一番才能がある者のクローンを作ったということになる。
クローン兵士計画を推進していたのは、ヘンリーと一緒に海兵隊にいたヴァリス(クライヴ・オーウェン)。ヴァリスは仲間が戦場で死んでいくのを見て、禁止されているクローン人間を作り出し、さらに痛みを感じない最強の兵士を作り出すことになったと説明される。
このあたりはアン・リーの前作『ビリー・リンの永遠の一日』の主張とも重なる部分を感じなくもない。『ビリー・リン』では、若者が駆り出される戦争は大人たちの勝手な都合によって始まっていて、戦争の英雄として祭り上げられる主人公が大人たちの勝手な思惑によって翻弄されることが批判的に描かれていた。
ちなみに『ビリー・リン』もハイ・フレーム・レートという新技術を使っているものの、日本では劇場公開すらされなかったとか。私は近くのレンタル店にはなかったために、某動画配信サイトで観たのだがSD(標準画質)ではその良さはまったく伝わってこなかった。
とりあえずプロデューサーのジェリー・ブラッカイマーが言う通り、観ている間はそれなりにほかのことを忘れられるような作品にはなっているのかもしれない。終わった途端に観たことすら忘れてしまうかもしれないけれど……。
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