原作は桜木紫乃の直木賞受賞の同名小説。
物語
北海道の釧路湿原を臨む場所にあるラブホテル「ホテルローヤル」。田中雅代(波瑠)は美大受験に失敗し行くところもなく、仕方なく両親が経営するラブホテルを手伝うことに……。
雅代は高校の頃から、アダルトグッズ会社の営業として顔を出す宮川(松山ケンイチ)に恋心を抱いているのだが、自分から何をすることもできずに過ごしている。ホテルには「非日常」的な場所を求めて様々な客が現れる。しかし、雅代にとってはそこが生活の場であり、雅代はそんな客たちを脇目に見ながら過ごしていくことになる。
ホテルを舞台にした群像劇
本作は、歌舞伎町のラブホテルを舞台にした『さよなら歌舞伎町』のような群像劇となっているわけだが、大きく異なるのは映画が扱うことになる「時間」だろうか。『さよなら歌舞伎町』の場合は1日だけの話であり、ある1日の利用客の様々な姿が描かれる。それに対して『ホテルローヤル』では、視点人物となる雅代が大学受験に失敗し、ホテルの仕事を引き継ぎ、母親が出ていき父親がリタイアし、ホテルを廃業することになるまでの長い時間を扱うことになる。
そのため時間経過に関して凝った演出をしている。冒頭、すでに廃墟となった「ホテルローヤル」の場面からスタートする。廃墟でのヌード写真に芸術的な夢を感じているらしい男(丞威)とそれに付き合わされる女(冨手麻妙)が、「ホテルローヤル」に不法侵入しヌード写真を撮影する。その際に部屋の壁紙が破れたのをきっかけに、時間を遡り「ホテルローヤル」がそれなりに賑わっていた過去へと飛ぶ。主人公の雅代は受験に失敗したばかりの高校生で、両親がホテルを切り盛りしていた時代だ。
それから様々なことがありホテルは廃業することになるわけだが、その間に父親は身体を悪くし次第に衰弱していき、雅代はホテルの手伝いから経営者へと成長し、使用する眼鏡も変わっていく。ラストでは「ホテルローヤル」を後にする雅代がすれ違うのは、まだ雅代が産まれる前にラブホテル経営に夢を感じていた若かりし頃の両親の姿であり、また一気に時間を遡ることになるのだ。このあたりの時間経過に関する演出は彩があってよかったし、短編集である原作をうまくひとつにまとめていたんじゃないだろうか。
普通の人々
ラブホテルの空間は「非日常」的なものだ。ゴテゴテした装飾に、ガラス張りの浴室、性的な欲求を満たすためだけに存在する空間なのだ。そこを訪れる人たちもそんな「非日常」的なものを求めているわけだが、本作においてはラブホテルという場所も極端に「非日常」的世界ではない。
歌舞伎町という東京のラブホテルを舞台にした『さよなら歌舞伎町』では、AVの撮影が行われたり、枕営業の舞台となったりなど「非日常」的な世界があったかもしれないのだが、本作では普段は介護や子供たちの世話に明け暮れる夫婦(正名僕蔵と内田慈)や、ホテルに清掃員として勤務する女性など、ごく普通の人々の姿が描かれていくのだ。
その姿を垣間見ることになる雅代も、そんな普通の人々たちを温かくやさしい目で見ているように感じられる。「ホテルローヤル」では客室内にみかんを常備している。田舎のラブホテルでは実際にそんなことがあるのかどうかは知らないけれど、このみかんはホテル側からの客へのおもてなしの気持ちということだろう。
みかんを客室に備える習慣は、雅代が母親・るり子(夏川結衣)から引き継いだものだ。そもそも「ホテルローヤル」という名称は、雅代の父親(安田顕)がつわりのひどい母親に酸味のあるものを食べさせようと購入した高級みかん「ローヤル」から採られたもの。本作におけるみかんは、誰かが相手に対してやさしい気持ちを示す時にやりとりされるものとなっているのだ。
自慢の息子が実は暴力団員であったことが判明して意気消沈したホテルの清掃員・能代ミコ(余貴美子)には、彼女を慰めようとするるり子からみかんが手渡される。ミコの母親(友近)は「一生懸命体動かしてる人間には、誰もなんも言わねえ」と彼女に教え、その教え通りにミコは生きている。足が悪くて稼ぎはなくともミコを愛してくれる旦那のためにも懸命に働いているのだ。また、美大受験を失敗した雅代にも、同じようにるり子から同情的にみかんが手渡される。そんな意味で一生懸命に生きている普通の人々や、失敗してしまった人にも同情的な温かい目が向けられているのだ。
「非日常」的な解放感は?
ラブホテルを舞台にしながらも、普通の人々への同情や共感といったものがモチーフとなる本作では、逆に言えば「非日常」の空間で弾けて解放されるといったエピソードには欠ける。
女子高生(伊藤沙莉)と教師(岡山天音)というカップルも、不純異性交遊を楽しむためにやってきたのではない。底抜けに明るく振る舞う女子高生は両親から棄てられ、教師のほうは妻が上司である校長と長年不倫関係にあることを知り絶望している。ふたりは愚痴を言い合い、教師は酒を飲みすぎ吐くことになるが、それによって気持ちがスッキリして解放されることもなく、連休前に行き場所を失ったふたりはホテルの一室で心中することになる。
解放されないのは雅代も同様だろう。恋心を抱いていた宮川への想いを最後に打ち明け、ふたりは廃業が決まって誰もいないホテルで行為を始めるに至る。しかし、事は途中で頓挫してしまう。
「大人のおもちゃ」を使って遊ぼうなどと雅代が言い出すあたりでは、何かしら「非日常」的な光景が垣間見られるのかと観客としてはちょっぴり期待したのだが、それは裏切られるのだ。それでも雅代は勃たなかった宮川に「期待通りでした(妻を愛する誠実な男性という意味か)」などとやさしい言葉を投げかけるわけで、どこまでもやさしいばかりで淡い期待を抱いた浅はかな観客としては、肩透かしで期待外れだったかもしれない。
積極的な逃避?
ラストでは「ホテルローヤル」を廃業し、釧路湿原を描いた絵画も途中になったまま、雅代はその場を去っていくことになる。このラストに関して、武正晴監督は「積極的逃避」だと語っている。
雅代はラブホテルの娘だと蔑まれた過去があり、親が始めた仕事を快くは思っていなかった。それでも受験失敗で行くところもなくそれを受け継ぐことになり、親の始めたことに巻き込まれた形になっていたわけだ。そんな場所から出ていくことは「積極的逃避」になるということなのだが、雅代やほかの登場人物の示すやさしさもあり、そのホテルはそれほど居心地の悪い空間には見えないのだ。
確かに雅代は当事者にはなれず、客や周囲の人々が人生に翻弄される姿を傍観するばかりなのだが、両親がホテル経営に夢を抱く姿を雅代が想像するラストでは、そんな過去に対して雅代が後ろ髪を引かれているように見え、逃げ出すことに対する希望よりも、その場所に愛おしさを感じているように見える。雅代がこの先どこへ行き何をしようとしているのかもまったく示されていないわけで、未来に向かう逃避には見えないのだ。登場人物のやさしさがかえって仇になり、打ち捨てていくべき過去がちょっと甘美なものにも感じられてしまい、ラストを曖昧なものにしてしまったのかも……。
それから音楽の仰々しさも気になった。ホテルのダサさ加減と同様のダサさを狙ったのだろうか。そのあたりはちょっとつかみかねた。
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