『BLUE/ブルー』 やめられない“何か”

日本映画

監督・脚本は『ヒメアノ~ル』『犬猿』などの𠮷田恵輔。約30年もボクシングを続けてきたという吉田監督が製作したリアルなボクシング映画。

物語

誰よりもボクシングを愛する瓜田は、どれだけ努力しても負け続き。一方、ライバルで後輩の小川は抜群の才能とセンスで日本チャンピオン目前、瓜田の幼馴染の千佳とも結婚を控えていた。千佳は瓜田にとって初恋の人であり、この世界へ導いてくれた人。強さも、恋も、瓜田が欲しい物は全部小川が手に入れた。それでも瓜田はひたむきに努力し夢へ挑戦し続ける。しかし、ある出来事をきっかけに、瓜田は抱え続けてきた想いを二人の前で吐き出し、彼らの関係が変わり始める―。

(公式サイトから抜粋)

熱くない

ボクシングは拳ひとつで夢を叶えられる。だからボクシング映画の主人公はハングリー精神の持ち主で、成功をつかみ取ろうとしてギラギラしている。そんな通常のイメージとはかけ離れているのが『BLUE/ブルー』の主人公である瓜田(松山ケンイチ)だ。瓜田は誰よりもボクシングが好きなのだが、試合となると負けばかり。それでも腐ることもなく練習に顔を出し、ジムのぬしみたいに熱心に新人の世話を焼いたりもする。

ダイエットのための「ボクササイズ」に来ているおば様連中から「芽が出ないのにいつまでやっているの?」と問われても、鼻をほじりながら「ほかにやりたいこともないんですよね」などと気のないフリをしてかわしている。瓜田はあまり熱いものを感じさせないのだ。

また、瓜田の後輩の小川(東出昌大)は日本タイトルを目前にしているが、その小川は才能とセンスで勝ち上がってきたという意味では冷めて見えなくもないし、新人の楢崎(柄本時生)に至ってはモテたいがために「ボクシング風」を習得したいと考える勘違い野郎だけに言わずもがなだろう(本作のコメディパートを担っていて笑わせてくれるのだが)。

(C)2021「BLUE ブルー」製作委員会

ドラマチックでもない

『ロッキー』みたいな王道のボクシング映画となれば、主人公はそれまでのトレーニングの成果を発揮して対戦相手を打ち倒すといった高揚感が観客には与えられることになるだろう。努力は報われ、成功を勝ち取る。そんなサクセスストーリーだ。しかし、それはあくまでもフィクションの中だけの話なのかもしれない。本作はそんな絵空事とは違うボクシング映画なのだ。

30年もボクシングを続けてきた監督𠮷田恵輔がボクシングシーンの振付まで担当している本作は、リアルなボクシングが描かれる。そこでは観客を高揚させるようなドラマチックなシーンは極力排除されていると言ってもいいかもしれない。実際のボクシングではそんなシーンは滅多にないからなのだろう。

また、本作が高揚感に欠けるのは、負ける側の話でもあるからだろう。タイトルは「青春」という意味が込められているのかと思っていたのだが、ボクシングにおけるブルー・コーナーから採られているようだ。チャンピオンが入場してくるレッド・コーナーに対する、挑戦者としてのブルー・コーナーだ。チャンピオンという強者に対する弱者。瓜田は常にブルー・コーナーにいる。ボクシングは勝負事であり、勝者の傍らには常に敗者がいるということなのだ。

誰よりもボクシングを愛する瓜田は努力の人でもあるが、努力は試合で実を結ぶことはない。小川のように才能を持って生まれた人間にはどうやっても勝つことができないのだ。しかし、その小川も日本タイトルを獲得するまでにはなるのだが、病気に悩まされ、防衛戦ではケガによるドクターストップで呆気なく負けを喫することになる。才能があっても病に邪魔をされることもあるし、運に見放されることもある。本作がリアルだというのは、そんな残酷な現実を描いているからなのだ。

(C)2021「BLUE ブルー」製作委員会

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瓜田が内に秘めたもの

私は先ほどから本作の主人公たち(特に瓜田)に「熱さを感じない」などと書いてきたわけだが、映画の後半になるとそれは間違いだったとわかる。負け続けても常に笑顔で人にアドバイスを与えていた瓜田は、自分の役割をそうした脇役だとして満足していたわけではなかったのだ。やはり試合に負ければ悔しいのだ。瓜田はそれを表には出さないだけで、独りで侘しい夕食にありつく時にはそれを感じているし、誰にも見せないところで苦しんでもいたのだ。

そんな瓜田が小川に対して「いつも負けることを祈ってたよ」と告白するのは、勝負の世界で生きる者だからこそだろうか。小川はボクシングであっという間に瓜田を追い越していったし、プライベートでは瓜田がボクシングを始めるきっかけとなった女性・千佳(木村文乃)のことを奪っていった。

小川が日本タイトルを獲得し、千佳との結婚も決まり、すべての勝敗が決した時、瓜田は小川にそんな言葉を残してジムを去っていく。勝負は明らかに決したけれど、それでも勝負の世界に生きる者として、「負けたくなかった」という気持ちを小川に伝えたということなのかもしれない。そして、小川もそのことを感じていたから、その言葉にさほど驚くこともなく受け入れる。これは拳を交えた人たちにしかわからない感覚なのかもしれない。

瓜田は心密かに燃えていたのだ。派手な色合いの真っ赤な炎とは違うけれど、青い炎で静かに燃えているのが瓜田なのだろう。しかし、その見た目とは裏腹で、青い炎というのは赤い炎よりも実際には高温なんだとか……。小川も瓜田のボクシング愛の熱量には負けるかもしれないと語っていたように、瓜田は静かに誰よりも熱く燃えていたのだ。

(C)2021「BLUE ブルー」製作委員会

やめられない“何か”

「参加することに意義がある」という言葉は、オリンピックをきっかけにして生まれたものだが、今ではほかの場面でもよく使われる。本来は勝負よりも「人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること」といった意味合いで用いられる。とはいえそれは最初にその言葉が使われた際の文脈ではそうなるわけだが、今では負けた人のため慰めとして使われている言葉のようにも感じる。勝負よりも大切なことがあり、それが努力する過程であり、負けたことはたいしたことではない。本作の3人もそんな言葉に慰めを見出すだろうか?

瓜田はジムを辞めてもボクシングを捨てきれなかったのか、仕事の合い間にはシャドーボクシングをしている。千佳との約束で一度はボクシングをやめた小川も再び練習を開始することになるし、カッコつけるために始めた楢崎もなぜかボクシングの魅力に憑りつかれているようだ。

しかし、彼らはボクシングというスポーツに参加することに意義を見出しているわけではないだろう。また、努力することが大切だと考えているわけでもない(努力が成功に結びつくとは限らないことをよく知っているわけだし)。

だとすれば何のためにやっているのか。やはり勝ちたいからだろうし、そして何よりもボクシングが好きだからだろう。ボクシングをやることに意義なんて関係ないし、やりたいからやるだけで、それ以外の何ものでもないのだ。

吉田監督は冗談めかしてボクシングの対戦相手のことを“一度抱いた女”にたとえているが、ボクシングも恋愛と同じで理屈ではないのだろう。

ラスト、瓜田は魚市場で独りシャドーボクシングを始める。濡れた地面に長靴のゴムが擦れ合って音を立てる。そんな瓜田のステップを捉えながら映画はエンドロールに入る。そこで流れる竹原ピストルの曲「きーぷ、うぉーきんぐ!!」が三人の気持ちを代弁している。

もはや足跡を残したいわけじゃない

でも足音を鳴らしていたいんだ

三人はこの先、ボクシング界に爪痕を残すような試合はできないだろう。それでもいつまでもやり続けていたいと思わせる“何か”がボクシングにはあるらしい。静かに熱いものを感じさせる印象深いラストだったと思う。

サクセスストーリーは確かに気分が上がるし、それによって観客も勇気をもらえるかもしれない。ただ、実際にそうした成功を勝ち取れる人はどれだけいるだろうか。当然ながら敗者の数とは比べものにならないほど少数だろう。その意味ではサクセスストーリーは「自分の物語」とは言えないかもしれない。

一方で負けた側に寄り添う映画はどうだろうか。負けを経験しない者などほとんどいないわけで、本作はボクシングという拳で殴り合う危険なものを題材にしながらも、多くの人から共感を得られる作品になっているんじゃないだろうか。私は途中から瓜田を自分に重ね合わせて観ていたし、本作を「自分の物語」のように感じていたような気がする。「下手の横好き」ってのはあるんだろうし、好きだからやめられないから厄介だ。それでもやはり「ほかにやりたいこともないんですよね」などと言いつつ続けることになるわけだが、同時にやめられない“何か”があることは悪くないとも思えた。

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