『デューン 砂の惑星PART2』 歴史の大きな流れ?

外国映画

原作はフランク・ハーバートの同名SF小説。

監督は『メッセージ』などのドゥニ・ヴィルヌーヴ

主演は『ボーンズ アンド オール』などのティモシー・シャラメ

物語

砂の惑星デューンをめぐるアトレイデス家とハルコンネン家の壮絶な宇宙戦争が勃発!
ハルコンネン家の策略により、アトレイデス家は全滅。しかし、最愛の父とすべてを失うも、後継者ポールは生きていた。ポールは愛する砂漠の民チャニと心を通わせ、その絆は、彼を救世主としての運命に導いていく。一方で、ハルコンネン家は宇宙を統べる皇帝と連携し、その力を増していく。
そして、遂に復讐の時―。
未来の希望を取り戻すため、ポールたちの全宇宙を巻き込む最終決戦が始まる。

(公式サイトより抜粋)

かつてない映像体験再び

前作『DUNE/デューン 砂の惑星』では、アトレイデス家とハルコネン家の殺し合いが始まり、主人公ポール(ティモシー・シャラメ)が砂の惑星デューンで先住民族フレメンの中に潜り込むことになった。フレメンを味方につけなければ、砂の惑星での戦いに勝つことができないとポールが知ったからだった。『デューン 砂の惑星PART2』では、ポールがフレメンの中で認められ、彼らを味方につけ、いよいよ両家の全面戦争に突入していくことになる。

映像や音響効果の凄さには、前作同様で目を見張るものがある。それは間違いないだろう。多分、IMAXで鑑賞すればさらにそう感じるのかもしれない(私は通常バージョンだったけれど)。それでもなぜか物語に没入できない感覚ばかりが残った気もする。

前作の場合は、砂の惑星の独特な設定を見せていく側面があった。たとえば水というものの価値が地球とはまったく違う世界であり、サンドワームが砂漠の中を蠢いているという独特な世界観だ。

前作の場合は、そんなふうに見たことのない新しい世界の体験をさせてくれる側面があってなかなか楽しめたのだが、すでに前作でそれはやり尽くしているわけで、『PART2』はその面での新奇さはない。それでも『PART2』も165分という長尺だ。どうにも後半にはダレてきたように感じられた。

©2023 Legendary and Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

既視感もあり?

『PART2』でテンションが上がったのは、新キャラが登場する場面だった。たとえば一瞬だけ顔を出すことになるアニヤ・テイラー=ジョイや、皇帝を演じるクリストファー・ウォーケンやその娘イルーランを演じたフローレンス・ピューが登場する場面は確かにテンションが上がったかもしれない(多分、これらのキャラはさらなる続編に受け継がれることになるのだろう)。

その意味ではフェイド=ラウサを演じるオースティン・バトラーと、それを篭絡する女性を演じたレア・セドゥが揃うシークエンスはおもしろかった。このハルコネンの惑星はすべてが色を無くしていてほとんどモノクロの世界になっているのだ。

しかしながら、『PART2』は最初の“ヴォイス”で始まる冒頭からして前作を受け継いでいるし、後半の砂の惑星デューンでの戦いはどこかで既視感があったのだ。

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歴史の大きな流れ?

物語がわからなかったというわけではない。一応、前作を見た後に原作小説の第1巻『デューン 砂の惑星』だけは読んでみたから、流れは理解しているつもりだ。それでもなぜかノレなかった。エピソード間のつながりが唐突だったからだろうか。ポールが一体何を目指しているのかという点は、あまり伝わってこないような気もした。

ちなみに『PART2』では、原作小説の第1巻の部分は終わるものの、さらなる続編もありそうな含みを残して終わることになる。

ポールは未来のビジョンを見ることになる。彼が救世主となることは宇宙の多くの人を苦しめることになるのだ。それを知ってポールは躊躇うことになる。一方で母親ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)のほうは救世主伝説を広めたベネ・ゲセリットという集団の一員でもある。

最終的にポールは運命を受け入れたということなのだろう(つまりは多くの人を犠牲にするビジョンのほうへ、大領家たちとの戦いへと突き進むということだ)。『PART2』においてそのビジョンが実現することはないわけだけれど、そうなると何かしらに決められた“定め”に基づいて展開していくことになるわけで、ポールの逡巡なんかはどこへやらという感じで、最終的にはすでに定まった歴史を見ている気分になっていたのだ。原作を読んで流れを知っていたから、余計にそんなふうに感じたのかもしれない。

大きな流れの中ではポールも一つの駒に過ぎないということだろうか。そんなわけで後半のアトレイデス家とハルコネン家の戦いとか、皇帝とのやり取りなんかは、そんな醒めた目で見ていた感じで、物語への没入感がまったくなかったのだ。

もしかするとチャニ(ゼンデイヤ)というキャラはそうした運命に逆らうような役割を担っているのかもしれない。原作ではポールのやることに理解を示すキャラだったのに、映画版では最後にポールの下から去ることになるからだ。

『PART2』をあまり楽しめなかったわけだけれど、そもそも単にドゥニ・ヴィルヌーヴが苦手なのかもしれない。ドゥニ・ヴィルヌーヴで素直におもしろかったと感じたのは一番最初に観た『渦』くらいだろうか(どの作品もとても端正な作品という感じで、評価が高いのはわかるのだけれど)。『渦』は一度劇場で観ただけで詳細はすっかり忘れたけれど、エロくて奇妙でおもしろかったというぼんやりとした印象だけは残っているのだ。

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