『MEN 同じ顔の男たち』 連綿と受け継がれるもの

外国映画

監督・脚本は『エクス・マキナ』などのアレックス・ガーランド

主演は『ロスト・ドーター』などのジェシー・バックリー

原題は「MEN」。

物語

夫の死を目の前で目撃してしまったハーパー(ジェシー・バックリー)は心の傷を癒すため、イギリスの田舎街を訪れる。そこで待っていたのは豪華なカントリーハウスの管理人ジェフリー(ロリー・キニア)。
ハーパーが街へ出かけると少年、牧師、そして警察官など出会う男たちが管理人のジェフリーと全く同じ顔であることに気づく。
街に住む同じ顔の男たち、廃トンネルからついてくる謎の影、木から大量に落ちるりんご、そしてフラッシュバックする夫の死。
不穏な出来事が連鎖し、“得体の知れない恐怖”が徐々に正体を現し始めるー。

(公式サイトより抜粋)

永遠のトラウマ!

なかなか悪趣味な映画だ。主人公のハーパー(ジェシー・バックリー)は夫の飛び降り自殺を目撃してしまう。しかも落ちてゆく夫は、部屋の中にいるハーパーと目を合わせるのだ。もちろんそれはわずか一瞬の出来事で、次の瞬間には夫は重力に引っぱられて地面に激突することになるだろう。

確か『4人の食卓』という韓国映画にも似たようなシーンがあった(実際には予告編しか観ていないけれど)。韓国映画にも悪趣味な部分があるけれど、『MEN 同じ顔の男たち』も負けてない。というのも、本作のラストのシークエンスは宣伝文句によれば“永遠のトラウマ”とされるくらいのインパクトがあるからだ。

毎週のように新作映画を追っかけていれば、ヘタすれば観たことすら記憶に残ってないような作品もないわけではない。しかしながら本作は一度観たら良くも悪くも頭に刻み付けられることになるんじゃないだろうか。そこで起きていることは意味不明で、「一体、何を見させられているんだろうか」という気にもなってくるけれど、それでも忘れられない映画にはなることは間違いない。

(C)2022 MEN FILM RIGHTS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

うざい男たち

ハーパーは自宅のリビングから夫の落ちてゆく姿を目撃する。そんな場所で暮らすことはなかなかキツイわけで、彼女は田舎のカントリーハウスと呼ばれる豪華な邸宅でしばらく静養するつもりで出かけることになる。

しかし、そこで出会う男たちはハーパーにとっては癇に障る輩ばかりだ。下半身も丸出しで追いかけてくるストーカーや、ビッチ呼ばわりしてくるお面を被った少年に、足にタッチしながら夫の件で説教してくるエロ牧師など。どいつもこいつもうざい男なのだ。

カントリーハウスの管理人であるジェフリー(ロリー・キニア)は冗談好きの人のいいおじさんに見えるけれど、ハーパーが「マーロウ夫人」という名義で予約していたことを妙に気にしているようだ。夫の死の痛手から逃れるつもりだったカントリーハウスなのに、ハーパーは街の男たちに悩まされることになるのだ。

 ※ 以下、ネタバレもあり!

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男は本質的に同じ?

実はこの街の登場人物はすべてロリー・キニアが演じている。だから邦題では「同じ顔の男たち」という副題までついているし、日本語版の公式サイトのストーリー欄ではハーパーがそのことに気づいたと記されているのだが、劇中ではそんな素振りはまったくない。私自身は副題のことを知っていたけれど、街の男たちがすべて同じ顔だと思わなかったくらい、ロリー・キニアは髪型や瞳の色まで変えて別人になりすましている(少年役は違和感があったけれど)。

本作では、実際には街の男たちが「同じ顔である」とは示されないけれど、彼らが「同じような存在」であることが示されることになる。後半になりハーパーがカントリーハウスに籠城する形になると、そこへ男たちが次々に襲いかかる。するとハーパーの反撃によって男たちはみんな同じように傷を負うことになる。片腕は裂け、片足はポッキリと折れてしまっている。この姿は、地面に激突した死んだジェームズ(パーパ・エッシードゥ)の姿であることは言うまでもない。

ジェームズはハーパーが離婚を切り出すと取り乱し、そんなことなら自殺するとハーパーを脅す。そうすればハーパーは、その罪にさいなまれることになるだろうというのだ。

ジェームズの死が本当に自殺だったのか、事故だったのかはわからないけれど、どちらにしてもジェームズの死によって、まさに彼が予告していた通りになってしまう。そのことがハーパーに街の男たちをジェームズと同じような傍迷惑で「うざい存在」として見せることになったのだろう。彼らがみんなジェフリーと同じ顔なのは、ジェフリーがその街で初めて出会った男だからということになる。ハーパーにとって男たちはことごとく有害な存在ということなのだ。

街の男たちをすべてロリー・キニアが演じていることは、トリビア的に明かされることでより一層効果的だったようにも感じられる。別人のように見えた街の男たちは、結局、本質的にはみんな一緒ということを示すことにもなるからだ。まあ、これに関しては、日本での宣伝の仕方の問題に過ぎないわけだが……。

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連綿と受け継がれるもの

ラストのシークエンスとは、男が男を産むという意味不明な現象を描いたものだ。これはもちろん比喩的な表現だ。いわゆる“有害な男らしさ”というものがこの世の中には蔓延はびこっていて、それがハーパーの夫だったジェームズのような男性を産み出すことになる。

男にしても、女にしても、産まれるのは女からだ。男は子供を産むことができないわけで、これは当然のことだ。しかし“有害な男らしさ”というものは、男たちがそれを自分たちで独自に、単為生殖的に再生産していく(劇中に登場する西洋タンポポと同様に)。男が別の男を産み、その男も別の男を産む。そんな再生産によって“有害な男らしさ”というものが連綿と受け継がれてきている。そんなことを示したのがアレということになる。

本作ではキリスト教の「禁断の果実」の話や、ギリシア神話のレダの話、それからもっと古い時代のグリーンマンとシーラ・ナ・ギグという組み合わせも顔を出す。これらの宗教的モチーフも、古今東西を通じ、この世界は男性主導であり女性たちがそんな男たちに苦しめられてきたということを示しているのかもしれない。

ちなみに監督のアレックス・ガーランドは、このラストのシークエンスについて『進撃の巨人』からの影響を語っているようだ。詳しくはどこに影響されたのかはわからないけれど、一部の巨人が男の形状なのに妙に膨れた腹をしていたりしたところが、男が男を産むという発想につながったのだろうか。

この“男が男を産む現象”によって最後に産まれてくるのが、ハーパーに呪いをかけた張本人であるジェームズなのだが、彼はハーパーの「何が欲しいの?」という問いかけに対し、「愛」と応えることになる。自分で呪いをかけておきながらも、それを知らん顔して愛が欲しいなどとのたまわれては、ハーパーとしては呆れて醒めた目になってしまうのは致し方ないのかもしれない。

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