『インフル病みのペトロフ家』 バスという運命共同体

外国映画

原作はアレクセイ・サリニコフのロシアではベストセラーになった小説「インフル病みのペトロフ家とその周辺」(邦訳はなし)。

監督・脚本は『LETO-レト-』などのキリル・セレブレンニコフ

カンヌ国際映画祭ではフランス映画高等技術委員会賞を受賞した。

原題は「Petrov’s Flu」で、「ペトロフのインフルエンザ」という意味。

日本では昨年4月に劇場公開され、今月になってソフト化された。

物語

2004年のロシア、エカテリンブルク。インフルエンザが流行している。ペトロフは高熱にうなされ、妄想と現実の間を行ったり来たり。やがてその妄想は、まだ国がソヴィエトだった子供時代の記憶へと回帰し…。

(公式サイトより抜粋)

本題の前に……

本当だったら今週は話題の映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のことを書こうと思っていた。そのつもりで初日に劇場で観たのだけれど、さっぱりノレずに苦痛ですらあった。『エブエブ』はアカデミー賞で作品賞・監督賞以下7部門を獲得したということなのだが、一体何がそこまで評価されたのだろうか。いまひとつわからない。アジア系移民のことや、性的マイノリティなんかについての目配せがなされているからということだろうか。

劇場では途中退出する人もいたし、誰もが楽しめる作品とは言い難い。たとえば難解で監督の自己陶酔が目立つような映画ならばそんなことにもなりがちだけれど、『エブエブ』はそういうわけではない。笑えるところもなくはないし、アクションでもそれなりに楽しませる。しかしながらどれも断片的で、限りない繰り返しにも感じられる。この監督ダニエルズのバカ騒ぎはアホな子供のしつこさみたいなもので、それが延々と続いていくのには辟易とする人もいるだろう。

同じようなバカをやっていても、『スイス・アーミー・マン』はとても素晴らしかったと思うだけれど、『エブエブ』はまったくダメだった。そんなわけで悪口を書くのも面倒だし気分がいいわけでもないので、今回はたまたまソフトが発売されたばかりの『インフル病みのペトロフ家』について。

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現実も妄想も一緒くたに

本作はバスの場面から始まって、最後もバスで終わることになる。主人公のペトロフ(セミョーン・セルジン)はインフルエンザに罹患していて、意識が朦朧とした状態でバスに揺られている。そこには多くの市民が乗り合わせ、おじいさんなどは「昔はよかった」という話に興じたりしている。かつてはよかったけれど、ゴルバチョフは国を売り、エリツィンは飲みつぶし、今では国が悪くなったと感じているらしい。

そんな中でペトロフは突然バスを降ろされたかと思うと、銃殺刑に参加させられる。そこに連れてこられたのは裕福そうな連中で、なぜか彼らはその場で理由もなく撃ち殺されることになる。意外なのはペトロフもそれを拒む様子がないことで、躊躇なく彼らに銃弾をぶち込むことになるのだ。

一体何が起きているのかわからない冒頭だ。ロシアという国では普段からこんなことが起きているのかと言えばそんなわけもなく、これはペトロフの妄想だったらしい。本作はペトロフの熱に浮かされた頭が見せる妄想や夢なども、現実とシームレスに描かれていくのだ。

最初はとても取っつきにくい作品ではある。観ている側まで朦朧としてくるかもしれないのだが、意味不明な描写と思われたものが次第につながってくると全体像が見えてくる。だから一度ではなく、再び観るとより一層細部がつながり、緻密な計算に基づいた作品と感じられるだろう。

印象的だったのが、18分間に及ぶという長回しだ。これはペトロフが幼なじみの作家の自殺を手伝うというシーンだ。ここではワンカットにも関わらず1週間の時間を経過させ、作家が描いた映画内映画を演じてみせ、その虚構をぶち破る形で現実に戻り、最終的には自殺幇助を実行するという、かなり複雑に技巧を凝らしたことをやっている。わけがわからなくともとても幻惑的な映画になっているのだ。

(C)2020 – HYPE FILM – KINOPRIME – LOGICAL PICTURES – CHARADES PRODUCTIONS – RAZOR FILM – BORD CADRE FILMS – ARTE FRANCE CINEMA – ZDF

バスという運命共同体

バスは市民の足として活躍する公共交通機関だが、『インフル病みのペトロフ家』においては恐らく国そのもののメタファーになっている。ちなみ冒頭で銃撃されることになる裕福そうな人たちは、原作においてはしっかりとプーチン大統領として描かれているのだとか(もちろんロシア語の原作を読めるわけもないから、不確かな情報だが)。

バスの中には料金を徴収している車掌らしきおばさんがいる。バスはこの車掌によって支配・管理されているらしい。気に食わない客がいると、バス停のない場所でもバスを停め、途中で放り出されたりする。中にはそんな車掌のことが気に入らなくて、自らバスを降りていく人もいるし、その反対に車掌に逆らってバスの運行を妨げる人をののしるような人もいる。

このバスは、今はロシアという名前で、その前にはソヴィエト連邦という名前だった運命共同体を示しているのだ。ここでは時の権力者の顔色を窺いながらでないと生きていくのが難しいのだろう。ペトロフは車掌の言いなりになって大人しくしているしかないのだ。これはかなりのストレスだろう。しかしロシアはそんな国ということなのだろう。

ちなみに公式サイトの情報によると、本作の監督であるキリル・セレブレンニコフは、国の予算の不正に流用したとして起訴され自宅軟禁状態にあったとのこと。詳細は不明だが、これは政治的な弾圧だった可能性があるようだ。キリル・セレブレンニコフは母親がウクライナ人ということもあるからか、政府に対しては批判的であり、そのことがその出来事に影響を与えているのかもしれないのだ。

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ペトロフとペトロワ

ペトロフにはペトロワ(チュルパン・ハマートヴァ)という奥様(正式には離婚しているらしい)がいる。ペトロワはインフルに罹患しているわけではないけれど、なぜか妄想しがちだ。これもロシアという国のストレスが関係しているのかもしれないのだが、ペトロワは何度も暴力的な衝動に駆られることになる。

勤めている図書館では面倒な客をボコボコにしたり、公園では誰かを滅多刺しにしてみたりする。公園の出来事は現実の出来事のようでもあるのだが、それ以上に驚かされるのは、自宅では自分の息子の首を斬る妄想を抱いているところ。これはもちろん実現しないのだけれど、母親がそんな衝動を抱いていること自体に異様なものを感じさせるだろう。

ペトロフとペトロワのふたりはそれぞれ勝手に妄想を抱いているわけだけれど、それは妄想だけに相手に伝わることはない。ただ、ペトロフのほうは漫画を描いたりして、虚構によってうまく現実をやり過ごしたりしているところがある一方で、ペトロワのほうは現実的で、現実から逃避することが出来ずに苦しんでいるようにも見える。

ここには男女の差というものがあるのかもしれない。そんなふうに考えると、本作ではペトロフを引き回すイーゴリという男をはじめ、男たちはそれなりに現実逃避的に今を楽しんでいるけれど、女たちは現実に直面して苦しんでいるようにも感じられてくるのだ。

(C)2020 – HYPE FILM – KINOPRIME – LOGICAL PICTURES – CHARADES PRODUCTIONS – RAZOR FILM – BORD CADRE FILMS – ARTE FRANCE CINEMA – ZDF

女性が抱える現実、無知な男

本作の後半では、ペトロフの想い出の中の女性のエピソードが描かれることになる。この女性はロシア版クリスマスと言えるヨールカ祭に登場する雪むすめだ。雪むすめというのはサンタクロースの孫娘みたいなものらしい。ロシアの子供としては、雪むすめに会ったという想い出は、サンタクロースに会ったかのようないい想い出になっているのだ。

雪むすめはマリーナ(ユリヤ・ペレシリド)という名前の女性だ。マリーナはヨールカ祭でたまたま雪むすめの役を演じていただけなのだが、幼いペトロフは彼女を本物の雪むすめと信じ込んだらしい。ちなみにこのマリーナも妙な妄想を抱く癖があるようで、彼女は出会った男性を頭の中で素っ裸にしてみるらしい。しかしそんな妄想も何かの役に立つわけでもなく、彼女は恋人の子供を孕むという厳しい現実に直面することになるのだ。

このエピソードは、「昔はよかった」という懐古趣味を否定するような内容になっているわけだ。ただ、マリーナの過去を知らされるのは観客であって、ペトロフではない。ペトロフにとっての雪むすめは美しい幻想のままであり続け、多分、ペトロフ自身は「昔はよかった」といった懐古趣味に逃げ込むことを否定されたわけではないのだ。

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マリーナのエピソードは、ペトロワの絶叫するシーンから導かれることになる。ペトロワの苦しみがマリーナの苦しみへとつながっていくのだ。なぜペトロワが絶叫したのかと言えば、彼女の苦しみを家族がまったく理解しておらず孤独だったからだろう。

ペトロワはインフルにかかったばかりの病み上がりの息子がヨールカ祭に行くことに反対する。それに対して旦那のペトロフは、息子にも自分の大切な想い出でもあるヨールカ祭に行って欲しくて賛成することになる。結局は息子の希望もあってペトロフと息子のふたりで祭に行くことになるわけだけれど、独りで家で待っていたペトロワは戻ってきた満足そうなふたりの姿を見て絶叫することになるのだ。

ペトロフはこのペトロワの絶叫に気づいてはいない。マリーナの過去についてもペトロフは知らないわけで、ペトロフのような男性は無知ゆえに相変わらずのん気でいられるけれど、その分を女性たちが背負っているということなのかもしれないのだ。

本作ではペトロワとマリーナがそれぞれの母親と電話でやりとりする場面が用意されている。しかし、どちらの母親も娘に対して配慮するほどの余裕というものがない。母親のほうも日々生きていくので精一杯なのか、娘のことに気を回すよりも自分の窮状を訴えるばかりなのだ。このあたりはロシアという国における女性の立場を示しているような気もした。

ラストではなぜか棺桶に入っていた死体が生き返るのだが、これも男性だ。もしかするとこの男性は自分が死んでいたことにも気づかなかったのかも。そして、最後に彼はバスという運命共同体に乗り込むことになる。

ここでは混沌として幻惑的な物語を男女の差という切り口で整理してみたけれど、ほかにも色々な解釈が出来る作品になっているんじゃないだろうか。

チュルパン・ハマートヴァの危なっかしい母親が意外だった。『ブラ!ブラ!ブラ! 胸いっぱいの愛を』にも顔を出していたけれど、これまでの出演作では穏やかな表情ばかりの印象だったので……。

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