『Winny』 社会によって異なる評価

日本映画

監督・脚本は『ぜんぶ、ボクのせい』などの松本優作

「Winny事件」で逮捕されることになった、Winny開発者である金子勇氏のことを描いた作品。

物語

2002年、開発者・金子勇(東出昌大)は、簡単にファイルを共有できる革新的なソフト「Winny」を開発、試用版を「2ちゃんねる」に公開をする。彗星のごとく現れた「Winny」は、本人同士が直接データのやりとりができるシステムで、瞬く間にシェアを伸ばしていく。しかし、その裏で大量の映画やゲーム、音楽などが違法アップロードされ、ダウンロードする若者も続出、次第に社会問題へ発展していく。

(公式サイトより抜粋)

Winnyに対する誤解

Winnyというものが世間で騒がれていた頃に問題となっていたのは、それを使うとPC内部の情報が外部に流出してしまうからということだったように記憶している。当時、官房長官だった安倍晋三氏は「最も確実な情報漏えい対策は『Winnyを使わないこと』」だとして、Winnyそのものを問題視していたようだ。

そういう方面に関して疎い人間としては、Winnyというもの自体知らなかったし、使ったこともなかった。本作の劇中に登場する弁護士事務所の所長のような世代はみんなそんなものだったろうし、Winnyを何のことだか理解してなかったような気もする。

それでもニュース等でWinnyは世間の悪者になっていたわけで、それだけでWinnyをいかがわしい技術のように考えていたような気もする。当時、私はその開発者である金子氏が逮捕されたということも知らなかったのだけれど、知っていたとしたら金子氏のこともやはりいかがわしい目で見ていたのかもしれない。

しかしそれは大きな誤解だったということなのだろう。本作では、デジタル技術について無知な人でもわかるように、金子氏を弁護することになる壇弁護士が解説してくれている。人をナイフで殺した場合、逮捕されるのはナイフを使って殺人を犯した人であって、ナイフを生み出した人ではない。これは誰にでもわかる道理だろう。ナイフは単に料理をするための物であって、それを殺しに流用したのは、ナイフを生み出した人とはまったく関係ないことだからだ。

しかしながら日本ではそんな常識が覆されることになる。壇氏はアメリカでの同様の例を引いて、金子氏が逮捕されることはないと言い切っていた。アメリカで似たようなシステムであるNapsterを開発した人も、騒動には巻き込まれることになったけれども逮捕されることはなかったのだ。それでも日本ではそんなことが起きてしまうことになる。

(C)2023映画「Winny」製作委員会

事実? フィクション?

本作は実在する人物が実名で登場する。主人公の金子勇氏もそうだし、弁護士の壇俊光氏も同様だ。金子氏については壇氏が書いた本(『Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』)があるようだが、本作はそれを原作としているわけではないようだ。登場人物は実名で出てくるけれど、あくまでもフィクションということなのだろう。

『Winny』の中心となる人物は金子氏で間違いはないのだが、サブエピソードとして仙波敏郎氏という愛媛県警の巡査部長の話が描かれていく。この方も実在し、愛媛県警の裏金問題を告発した人物だ。

ちなみにこの仙波氏のエピソードは、金子氏の事件とは何の関係もないと言ってもいい。仙波氏が告発したことが警察組織によってもみ消されそうになった時に、たまたまWinnyによって証拠が流出したけれど、このことは金子氏の事件とは無関係だからだ(Winny事件を詳しく知らなかったので、二つが結びつくのだと思っていたのだが)。

それでも本作はそんなエピソードを交えて作られているわけで、金子氏という天才プログラマーの生涯を追うだけではなく、別の意図も込められた構成になっているのだ。つまり、本作はいくつかの事実を恣意的に混ぜ合わせたフィクションということになる。以下は、そのフィクションについて論じている。

(C)2023映画「Winny」製作委員会

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潰されていく日本の若者

裁判の後半においては、Winnyは匿名性に優れていて、それは使い方によっては政治汚職などの告発のツールとなる可能性もあるという議論がされている。そのあたりで金子(東出昌大)の「Winny事件」と、仙波(吉岡秀隆)の愛媛県警の裏金告発のつながりはなくはない。

もしそんなふうにWinnyが適切に利用されることがあったならば、仙波のような告発者が危険を冒すこともなくなるからだ。しかしながら、それ以上に問題なのは、どちらのエピソードでも、日本社会のあり方(あるいは行政組織?)が未来ある若者の可能性を潰してしまっているということだろう。

金子は天才的なプログラマーだったようだ。彼の意図としては著作権法違反を蔓延させるなどということはまったく頭になく、彼ができることをしたということになる。「山があったから登った」という登山家の心理みたいなもので、金子にとってはプログラミングすることが表現であって、その表現のためにもしかしたらヤバいことかもしれないと思いつつもやってしまったということだろう。

劇中でも裁判に入ると、金子の動向はすべてその後の裁判にも影響してくるから、Winnyの開発をしたくとも制限されることになってしまう。金子はダメだとわかっていても、何度もそれをやろうとしてハラハラさせることになる。

ちなみに、かつて問題にされていた情報漏洩だが、Winnyが情報を流出させたわけではなく、悪意のある誰かが紛れ込ませたウイルスが悪さをしていたということだったようだ。金子はその脆弱性を修正したかったようだが、裁判中はそれは叶わなかったということになる。

そんなわけで著作権違反幇助の罪に問われた金子は裁判に駆り出されることになり、最高裁までで7年の年月を費やすことになってしまう。最終的には無罪を勝ち取ったものの、その年月を不自由な形で過ごすことになり、半年後に病気で亡くなってしまう。

さらに仙波のエピソードだが、これは愛媛県警で日常茶飯事となっていた裏金作りに関してだ。なぜ仙波が告発したかと言えば、希望を抱いて警察組織に入ってきた若者たちが、汚職に加担させられることになり絶望的な気持ちになっていることを知っていたからだろう。どちらのエピソードでも前途有望な若者が日本という社会によって潰されていくことになるのだ。

(C)2023映画「Winny」製作委員会

社会によって異なる評価

私は門外漢なのでWinnyの技術的な凄さはわからないけれど、多分、それをうまく活かせば何かしらのイノベーションを起こすようなものにつながったのかもしれない。ところが金子は事件によって不自由な立場に置かれ、それは叶わぬまま亡くなってしまう。劇中では、金子が裁判でろくにPCにも触れられずにいるうちに、世の中ではYouTubeのような新しいサービスが出てきたことが描かれている。

YouTubeもアメリカの企業だが、アメリカではほかにもGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon.com)などと言われる大手のIT企業がある。世界を席捲するような企業がアメリカばかりに生まれているのは、アメリカが進取の気性に富むことを評価し、チャレンジする人を応援するような社会になっているからだろう。一方で日本は出る杭を打とうとする社会になっているのだ。

先ほどもちょっと触れたけれど、アメリカでNapsterを作った人は、その後セレブ的な扱いだったらしい。この人はショーン・パーカー氏という人物で、Facebook設立について描いた『ソーシャル・ネットワーク』においてはジャステイン・ティンバーレイクが演じていた。

この映画の中では主人公がちょっと憧れている感じのカッコいい人物として描かれている。実在のショーン・パーカー氏は、映画の中の自分をフィクションだと否定しているらしいが、それでも映画の中で彼がそんなふうに描かれるのは、世間から見たらIT技術で成功したイケてる人物と見なされていたからだろう。

それに対して、本作における金子はどうにもカッコ悪く描かれているように思える。これはなぜかと言えば、もしかしたら成功者になり得たかもしれない金子のことを、日本が潰してしまったからだろう。

金子はパソコンオタクの変わり者だ。東大の関連組織に属しながらも、世間のことは何も知らない人間で、彼を助けようとする壇弁護士(三浦貴大)を唖然とさせたりもする。金子がカッコ悪く映るのは、日本が彼の才能を伸ばすような幅広さを持たなかったからであって、彼を犯罪者のように扱って意気消沈させたからだろう。

金子を演じているのは東出昌大だ。彼は『桐島、部活やめるってよ』でデビューして以来、いつも人より飛びぬけたところのある人物を演じてきた役者だ。それにも関わらず、本作の彼はちょっとイケてない。彼はショーン・パーカー氏と同じような能力を持っていても、所属している社会によって正反対の評価がなされてしまっている。金子をカッコ悪くしてしまっているのは、実は日本社会なんじゃないかというのがフィクションとしての本作の言わんとしていることだったんじゃないだろうか? そして、それは日本のどんづまり感をひしひしと意識させられる昨今では納得させられるところがあると思う。

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