『麻希のいる世界』 真っ直ぐな感情を肯定する

日本映画

監督・脚本は『月光の囁き』『さよならくちびる』などの塩田明彦

主演のふたりは『さよならくちびる』の脇役から抜擢された新谷ゆづみ日髙麻鈴

物語

重い持病を抱え、ただ“生きていること”だけを求められて生きてきた高校2年生の由希(新谷ゆづみ)は、ある日、海岸で麻希(日髙麻鈴)という同年代の少女と運命的に出会う。男がらみの悪い噂に包まれた麻希は周囲に疎まれ、嫌われていたが、世間のすべてを敵に回しても構わないというその勝気なふるまいは由希にとっての生きるよすがとなり、ふたりはいつしか行動を共にする。ふと口ずさんだ麻希の美しい歌声に、由希はその声で世界を見返すべくバンドの結成を試みる。

一方で由希を秘かに慕う軽音部の祐介(窪塚愛流)は、由希を麻希から引き離そうとやっきになるが、結局は彼女たちの音楽作りに荷担する。彼女たちの音楽は果たして世界に響かんとする。しかし由希、麻希、祐介、それぞれの関係、それぞれの想いが交錯し、惹かれて近づくほどに、その関係性は脆く崩れ去る予感を高まらせ──。

(公式サイトより抜粋)

あの『さよなるくちびる』から

このブログの2019年のベスト10の中の1本にも選んだ『さよなるくちびる』。そこに脇役として登場し、短い出演だったにも関わらず妙に印象に残るふたりだったのが、本作の主役となる新谷ゆづみと日髙麻鈴。監督は当初『さよならくちびる』のスピンオフ的なものを考えていたようだが、それが形を変えて『麻希のいる世界』になったとのこと。

由希(新谷ゆづみ)は病気によって若くして命の危機にあるという設定。とにかくストレスがダメとされている。それだからか学校では周囲とほとんど接しないようにしている。そんな由希が入れ込むことになるのが麻希(日髙麻鈴)という同級生だ。由希は同じ病気の仲間たちが次々と死んでいくのを知り、自分の生きた証を遺そうとする。その想いが麻希へと向かっているのだ。

由希は麻希をストーキングし始め、半ば強引に仲良くなる。そして麻希の歌の才能を知ると、突然麻希の気持ちも聞かずに行動に走ることになる。それまでの学校での態度が一変し、強引に周囲を巻き込んでいくのだ。由希は麻希とバンドを組み、軽音楽部でのバンド対決を勝手に決めて独りで走り出すことになる。

(C)SHIMAFILMS

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賛否両論の展開

学校では一切しゃべろうとしないふたりが、示し合わせたように自転車を漕ぎだす時、ふたりの息はぴったりと合っている。そんなふうにしてふたりがバンドを組み音楽をやり始めると、本作は『さよならくちびる』と同じような心地よさを醸し出しているようにも感じられた。さらに麻希のギターの音と、そのロックな歌声を聞くと、気分も高まってくる(音楽は向井秀徳が担当)。ところが『麻希のいる世界』はそんな観客の気持ちを裏切る展開が待っている。

自分の想いが先走って麻希のことをきちんと見ていない由希は、麻希から裏切られることになるのだ。由希は生きた証を遺したいという感情で突っ走るわけだが、一方の麻希はそんな感情とは無関係だ。

麻希は父親がレイプ犯として服役しているという複雑な家庭環境にある。世間の目は麻希にも対しても当然厳しいものになる。麻希に男がらみの悪い噂があるのは、麻希が実際に自暴自棄スレスレの行動をしているからで、麻希が由希の想いに応えてやる筋合いもないということになるのだろう。そこから本作はかなり強引な展開を見せることになる。

塩田明彦監督も本作がかなり狂った作りになっているということは自覚的だったようで、こんなツイートをしている。

監督自ら「賛否両論、毀誉褒貶」と言っているだけあって、後半の展開に関しては、何かしら間違ったものを見ているんじゃないかという気にもなった。そのくらい予想外で無茶苦茶な展開なのだ。

※ 以下、ネタバレもあり!

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麻希の負の感情

本作のふたりの主人公は『さよならくちびる』のふたりの関係性を引き継いでいる部分もあるようだが、麻希の自暴自棄なキャラは『害虫』宮崎あおいが演じた主人公・北サチ子のそれと重なるところがある。

サチ子は蒼井優が演じた夏子からの親切心を素直に受け取ることができない。というのは、父親はおらず母親は自殺未遂という家庭に育ったサチ子は、自らことを人に害を及ぼす“害虫”のようなものだと感じているからだろう。『麻希のいる世界』における麻希も、家庭環境などによって自らを“害虫”と感じているのだ。

そして『害虫』はサチ子がそんな負の感情を自覚するところで終わっていたように、そんな負の感情を克服するのは恐らく簡単には行かないだろう。由希が麻希のことを負の感情から救い出すためには、ふたりが何度もぶつかり合い、挫折と涙が繰り返されるのは必然だろう。ところが『麻希のいる世界』では、89分という短い上映時間にも関わらず、麻希はその負の感情を克服してしまうことになるのだ。

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真っ直ぐな感情を肯定する

本作のラストは最初は尻切れトンボのようにも思えた。しかし、今になって振り返れば、これはハッピーエンドとも言えるのかもしれない。とにかく言えることは、本作においては主人公たちの真っ直ぐな感情は肯定されているということだろう。

由希は生きている証を遺したいと感じていた。そして、祐介(窪塚愛流)はそんな由希のことを振り向かせたいと感じている。祐介のやったことは由希との関係の妨げになるものを排除しようという犯罪行為だが、本作ではそれすらも肯定されているようにも感じられる。

祐介が由希を振り向かせたいという真っ直ぐな感情は、神様のいたずらなのか奇跡的に麻希の負の感情の一切を洗い流す役割を担うのだ。麻希が自分を肯定できるようになれば、彼女は歌の才能をさらに開花させることができるだろう。それはまさに由希が生きる証として求めていたことだったわけで、最後に由希の流した涙は、希望の涙だったのだろう。

何とも厄介な作品だ。融通な思考能力に欠ける年老いた人間としては呆気に取られたまま終わってしまったのだが、もう一度観たら違った映画に見えるのかもしれない。そんなことも感じた。

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